時間に追われ「工業化」していく暮らしについて考える | 恋着、横着、漂着 遊び盛りゆるゆるのびのび60代

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2年早く退職して機能と効率のタガを外すことが出来ました。
人生をゆるゆるのびのびと楽しんで味わって行きたいと思う60代です。

 編集メンバーになっている地元の週刊ミニコミ紙ではコラムが定番としてある。

 二人のベテランの書き手が交代で書いているのだが、その当人たちが他の記事を書くために忙しい週があると、私がコラムを書くことがある。

 先週がそうだった。

 私は、幕内秀夫氏の『日本人のための病気にならない食べ方』の一部を紹介させてもらいながら、工業製品ばかり口にするようになってしまっている今時の日本人の食習慣のありかたについて書いてみた。

 で、編集会議の場では「工業製品というのはすぐにピンと来ない気がするね。工場内加工食品と言う方が分かりやすいんじゃないかな」という意見も出された。 

 しかし、衣食住の「衣」に関しては、私たちは既に工業製品ばかりを身に着けているし、「住」に関してでさえ、工業製品化されたユニット式の住宅に住むようになりつつある。ここに異論はないだろう。

 その上で、幕内氏はあえて「工業製品ばかり口にするようになった」と指摘しているのだ。意識的にこの言葉を使っているのである。

 編集会議の場で少しの間、議論しながら、そのことを私自身が改めて理解し直した。なお、会議では「工業製品」というキーワードはそのまま使うことも了解された。

 

 今時そうした「工業製品」から縁遠い暮らしをしていくのはたやすくはない。

 ゴールデンウィークの前半に次女の家族が我が家にやって来た。

 迎えに行った時に、二才になる前の孫娘が口をもごもごさせている。何を食べているのかと婿殿に訊けば、おにぎりだという。そのおにぎりはコンビニで売られた工業製品である。

 「うーむ、あんまりよくないなあ」と小声で言いはしたが、会って早々ケンカもしたくない。

 なお、次女夫婦はしっかり共働きである。

 

 その翌日、お互いに久しぶりに長女の家族とも再会の場を持てた。

 長女夫婦もしっかり共働きである。

 私たちじいさんばあさん夫婦は、これまでしっかり共働きをして来た期間はなかった。

 色々と話をしていくと、長女夫婦の間では近々、食器洗い機を買う予定だと言う。次女夫婦は既に買っている。

 フルタイムで共働きの夫婦の間では「今や必須」と言う。そうでなければ、一体どちらが食器を洗い、拭き、食器棚に収めるのかケンカになるらしい。

 そんな風に「工業製品に囲まれた暮らし」をせざるえない。

 長女家には二才半の息子がいる。

 世間話が進む中で、ずいぶんと外食が多いことが分かる。

 ウチのカミサンは孫息子、孫娘の食生活を気遣い、パルシステムをお勧めしたり、お勧めの食材やら化学添加物の無い調味料などを手渡したりしているのだが、工業製品から縁遠い食生活に至る道のりは簡単ではない気がする。

 おにぎりや総菜パン、飲み物がコンビニかスーパーで売られているもの中心になって行けば、縁は切れないだろう。

 

 共働きであれば、それもしかたないとは断言できない。

 ウチのカミサンが長い間、事実上、専業主婦だったから、あれこれと子どもたちに工業製品とは縁遠い食事をさせることができたとも断言はできないだろう。

 ただし、時間は決定的である。

 当のカミサンが会議と仕事の合間に昼食を済まさなければならない時などは、コンビニの品で済ませていたこともある。つい最近である。私は、それらの品の裏面にある「原材料名」を見て、うんざりしたし、残っても口になどしない。そんな私の態度に「他のものを買う時間がないからしかたない」とカミサンはこぼしていた。

 長女も次女も毎日が「時間がない」のであれば、そうなってしまう。いや、現になっている。もちろん、我が子の健康を省みるのは妻だけでなく夫も責任を負うわけだから、「母親として云々」などと責めるのも的外れである。

 

 ところで、そう言う私自身は最近、買い物でささやかな失敗をした。

 パスコのパンが美味そうで、裏面を見れば「小麦(国内製造)」などとあったから安心したので買った。しかし、買った後に、ん?待てよとなった。「国内製造」は「国産」ではない・・・・のか?

  カミサンには「まるで違う。原材料はどこの国のものか分からない」と指摘された。なお、カミサンによれば、パスコはまだ良心的で国産小麦100%のパンも売っているらしい。

 つい先日、買った「信州そば」もそうだった。「そば粉(国内製造)」とある。

 あ~あ~・・・信州そばが外国産そば粉かね・・・・・意味ないよなあ・・・・とは思ったが、後の祭りである。

 

 時間があるはずの退職者であり前期高齢者直前の私は、少なくともじっくりと確かめながら安心安全で高値でない食材を買い、時には子どもたちの家庭にも提供していける。

 工業製品とはかなり縁遠い食生活を実現できるはずなのだと改めて自戒している。