アニミズムの世界は日常のそこここに | 恋着、横着、漂着 遊び盛りゆるゆるのびのび60代

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2年早く退職して機能と効率のタガを外すことが出来ました。
人生をゆるゆるのびのびと楽しんで味わって行きたいと思う60代です。

 岩田慶治の本を読んだ後、アニミズムについて探るためには更に他の本を読み進めることよりは、自分の体験を重ねて行くべきだと思った。

 体験といっても、大したものにはならないことは分かっている。

 国内外のどこかの特定の地域をフィールドワークしてみるなどといった「探検」レベルの体験ではなく、自分の日常の生活の中に見つけて行く。むしろ、その方が「非日常としてのアニミズム」ではなく「日常としてのアニミズム」を体験し、考えることができる。

 幸いにして私の地元飯能市は、歩けば川も林も山もある。

 

 実は毎週火曜日に地元ミニコミ紙の編集会議に参加しているのだが、その場所が河原に面した家屋である。

 以前は自転車で通っていたのだが、我が家から坂道を上がることも下がることも不要な河原沿いの遊歩道を歩いてみたことがあった。急がず歩いて25分だった。以来、歩くことにした。

 

 この遊歩道はまず右側の岸にある。

 

 

 

 

 その後、飛び石の橋を渡り、左岸に行き、更に行くと、また同じ飛び石の橋を渡り、もう一度右岸に戻る。

 それ以外に進む道はない。

 

 

 

 左岸から撮るのを忘れていたが、ざっとこんな景観である。

 

 先週は雨が止んだ後、ここを歩こうとしたのだが、水流が多く、しかも激しく、飛び石が水に埋もれていた。

 ワークマンで買ったレインブーツは長靴ではないので、ドンドンと水に浸かって、足元はずぶぬれになってしまったのだが、まあそれも仕方ない。このまま行こうと思って、左岸に渡ろうとしたら、まるで岸がなく、すべて川だった(笑)。

 なので、引き返して自転車に乗り直して向かうことになった。

 

 この日はデジカメを持たなかったのだが、水流の多さと激しさに圧倒された。

 流れ着いた木株が飛び石の橋の間にひっかかったままで、その木株も川の水も石ころも林に抜けて行く風のざわめきも一人いる人間の私とは全くお構いなしに生きている。

 河童も潜んでいるんじゃあないかと思った(笑)。

 岩田慶治がフィールドワークや自身の身辺で掴んだらしい(?) 八百万の神々との交信、交感のレベルなどにはまるで至らない。

 凡夫はただ圧倒されるだけだ。

 それでも、人間界からほんの少しばかり離れた不思議な時空にひととき立ち会わせてもらっている。

 まあ、それで充分だ。

 これからも出歩く先で、こんなひとときに立ち会わせてもらいたいものだ。