佐久市の眺望を短歌に・・・※更に修正+秋の独り芝居のネタ作り | 恋着、横着、漂着 遊び盛りゆるゆるのびのび60代

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2年早く退職して機能と効率のタガを外すことが出来ました。
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 秩父から群馬へ299を走り、その後、下仁田を経由して初めて佐久市に達した時の解放感は格別だった。

 山間の窮屈な道をひたすら走った後、そこはまるで大陸だった。

 道の駅などに行けば、「佐久市は海から最も遠い市」との紹介文のひとくさりに出会い、素直に納得したものである。

 その時の自分の感情も含めて、どうにか短歌にしたいものだと思い、少しばかり気の長い宿題にして頭の片隅に置いていた。

 で、今日、街中を歩きながらブツブツと試行錯誤し、信号待ちでガラホのメモ帳に入力し、帰宅してからもあれこれと練り直してみて、先ほど何とか形になった。

 

 

 ★下仁田を出で西へ突き進み臨めば佐久市稜線遥か

 

 ★山間(やまあい)に住む我の目に映る佐久市はあたかも大陸なり

 

 「海から最も遠い」という佐久市をめぐる事実も盛り込もうとしたことがあったのだが、説明だけに終わりかねない。自分の感情はどこかへ追いやられてしまう。

 国道299号線を辿る・・・といった経路も入れようとしたが、群馬県上野村まではそうであっても、その先の下仁田町への北上の道は299ではない。299をそのまま行けば、佐久穂町である。

 とすれば事実と違う。上野村から佐久穂町に至る風景は、自分が高揚感を抱いた下仁田町から佐久市への経路とはまた違う。

 ガラリと変わる風景ではないのだ。  

 

 とりあえず、★の二首で「出来たかなあ」という実感である。

 

 ・・・と一旦終わらせようと思ったものの、日付も変わった後の入浴中にまた思い直した。

 

 「稜線遥か」は説明だけである。それに二首目も説明調だ。

 

 ならば一首に捻り直した方がいい。

 というわけで

 

 ★鉄馬駆り下仁田を出で西進し臨めば佐久は大陸なるや

  

   ※バイクを「鉄馬」と言い換えるのは、ほぼ認知されているようである。

 

  としてみる。「佐久は大陸」とは風景をとらえた自分の主観がきちんと入っている。

  ・・・まあ、相変わらずへぼ短歌ではあるが(笑)。

 

     

 

 ところで、最近の自分の意識感情は「読みたい」よりも「書きたい」に傾いている。

 まあ、そうした時期なのだろう。

 秋の独り芝居の硬派調のネタは「鏡花二題」として、一本はかつて書いたへぼ短篇の「闇紫陽花」を独り語り調に書き直してみるつもりである。

 

 もう一本は新しいオリジナルを練っている最中である。

 祭囃しの音が遠く近く聴こえる中で、初老の男がおかしな時空に迷い込む。男は生きる意欲を失っている。自死さえ頭をかすめる。そこへキツネの面を被った妙な輩が近づく。「おかしなことを考えちゃいけねえ」と言う。

 その時空は、日中まともに見れば駅前のパチンコ店である。広い屋内駐車場がある。クルマの数からして店はほぼいつも客でにぎわっている。しかし、今は夜更け。そこは物の怪たちの解放区のようである。あるはずのないものばかりが見える。

 男は幽明の境を超えてしまったようなのだ。

 しかし、キツネの面の輩に何だか操られるように自分の過去を見せられ、生きて行くことの切なさ、愛しさが胸の内に蘇って来る。

 ・・・私が演じつもりなのはキツネの面の方である。

 べらんめえ口調で、時にやさしく、時に突き放すようにもして、男を思い直させる。

 

 歩きながら花粉対策のマスクの下で、こちらも仮にセリフをブツブツやってみた。

 書き起こすのはもう少し先でもいいだろう。

 但し、キツネの面だけは今日、地元のおもちゃ屋で買っておいた。1500円の日本製、しかも紙で出来たお面である。実はネタを思いつく前からずっと気になっていたお面だった。なかなかよく出来ている。