ある同級生のこと | 恋着、横着、漂着 遊び盛りゆるゆるのびのび60代

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2年早く退職して機能と効率のタガを外すことが出来ました。
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 以前、ある中学校時代の同級生について書いたことがある。

 それは、月に一度、散髪してもらっている床屋での駄弁りだった。

 床屋の主も私と同級生である。ある時、話が一人の同級生のことになった。

 床屋の主は、その同級生について

 「変わった奴だったよな」

 と言ったのだった。

 私は、それに対して

 「それは実害がない関係だったから、そう言うんだろうが、実害を受けた俺にとってはとんでもなく嫌な奴だった」

 と返した。

 

 

 改めて、ここに書いてみたいと思ったのだが、そのわけは時折、この自分の中に沸き起こる人間観察にまつわる特有の感情の、それも少々意地の悪い一端を客観化、対象化してみたかったからである。

 

 さて、「実害を受けた」と書いたが、一方的に暴力を振るわれたなどという関係ではない。

 しかし、いくつかの嫌な記憶は今でも残っている。以下、その同級生をSとする。

 例えばその一つ。

 ある夏休みの日、Sに「図書館で一緒に勉強しないか」と誘われた。

 「いいよ」と私は、約束の時間に自転車で奴と待ち合わせ、図書館に向かった。

 私が持参した夏休みの宿題の中には、もう終わりかけの社会科の提出用学習ノートの類いがあった。

 それを見たSは

 「ちょっと見せて」

 と言った。私はSに渡した。

 すると、Sは自分の提出用ノートを出した。ほとんどやっていない。真っ白である。私の提出ノートを受け取ると、長時間かなりのページにわたり、片っ端から丸写しして行った。

 実に涼しい顔で、のうのうとやった。

 私はその時は何も言わず、しかし、半ば呆れ、半ば怒りの混じった顔をして奴を凝視していたと思う。

 

 またしばらく経った頃、「また図書館で一緒に勉強しよう」

 とSは言って来た。

 「いやなこった」 

 と私は憤慨して返した。

 「なんでだ」とSは聞いて来た。私の憤慨ぶりが分からず、ムッとして聞き返した。

 「俺のやったのをそっくり写したじゃないか。あんなのは御免だ」

 そう言う私にSは「ふうん」と声にならない返事をしたが、それ以上、何か反論して来ることはなかった。

 

 またある日、当時の私の家でひとしきり駄弁った後、Sが庭に停めていた自転車で帰る段になった。

 自転車にまたがったまま、Sは少しの間、私と駄弁っていた。駄弁りながら、庭の植木の伸びた枝に前輪でガサガサと踏み入れていた。ガサガサと踏み入れ、枝はあちこちに飛び散る。植木を傷めている。それを繰り返す。

 「おい、それやめろ」

 と言うと、すんなりやめた。

 悪意でやっていたわけではないのだろう。しかし、どう見ても常識を欠く行為だった。

 

 こうしたことを今更つらつらと書くのは、今でも奴に対して「恨み骨髄に達す」からではない。

 もう50年も前のことで(笑)、そこまでの感情はない。

 しかし、不快な記憶である。

 Sについては、そうした不快な記憶ばかりが残っている。

 

 当時、Sは私に対してだけ、そうした振る舞いをしていたのではない。

 誰に対しても同じように振舞っていたと思われる。

 だから当然の結果だが、周囲から好かれてはいなかった。いつでもつるんでいるような友だちはいなかった。帰宅部でもあったから尚更だったかも知れない。

 私にとっても、元はと言えば、小学校時代から川遊びだの色々遊んでいた同じ通学班の友だちがいて、その友だちを介して知り合った程度の関係だった。近所ではあったが、小学校時代はSとは違う通学班だったから遊ぶことはなかった。その程度の仲である。

 だから、クラス替えして同級生ではなくなった中学二年生の頃には、もうSとは遊ばなくなっていた。

 いや、そうなると、たった一年だけの付き合いだったわけで、その結果、不快な記憶しか残っていないのだから、Sも大した奴である(笑)。

 

 その後、Sは地元から電車に乗り継いだ先の、そう遠くない男子校に進学した。地元近辺では、それなりに名の知れた進学校である。

 その頃にはもうお互い姿を見かけることもなくなっていた。

 更にその後、Sは大学受験の時期になって、現役と一浪中の受験の季節に大風邪をひいたため合格できず、二浪した後、ある公立大学に入ったという噂を耳にしたことがあった。

 精神的に荒れて家庭内暴力を起こした云々という噂も聞いたことがある。

 

 大学在学の頃、私は帰省していた冬にSと遭遇した。私は自転車で、Sは徒歩だった。お互い近所ではあるので、そんな偶然も珍しくはない。

 Sは

 「忙しい?」

 と聞いて来た。

 私は間髪入れず

 「忙しい」と返し、その場を去った。

 このことは以前にも書いた。

 今、改めて付け足せば、私はその時の自分の振る舞いを思い出すと、今でも苦笑が込み上げる。

 誰がどう見ても、あの時の私は「お前のことは大嫌いだ」と身体全体で表現していた。

 

 その後、かなりしばらく経った頃、それでも今からもう20年以上も前のことだが、街中でSが私に気づいたらしかったが、私はまるで気づかず、一瞬おかしな視線を向けてすれ違ったその男のことを数分後にSだと気づいた・・・という一幕も以前に書いた。

 尚、それ以前に、すでにSは家族で引っ越していた。

 「クルマにも乗らないのに、なんでまたあんな不便なところに引っ越したんだろうね」

 と私のオフクロが話していたことがある。

 

 直近では、そのオフクロの犬友だちのおじいちゃんが、Sについて耳にしたことを喋ってくれたことがある。

 「母親がとんでもなく教育ママで、それで精神的におかしくなったらしい」のだと。

 大学受験二浪中の頃だけでなく、それ以降の時期も含んだことらしい。

 そう言えば、Sの父親は公立高校の教員だった。うーん、そんなに母親は教育ママだったのか?

  

 それにしても、と思う。

 ああした振る舞いが日常ならば、友だちは出来ないだろうし、成人後、まともに仕事に就けなかったかも知れない。

 多少なりとも百歩譲って他人様と折り合い、決まり事に沿って働く、気配りもするといった、フツーの社会人としての常識感覚を持てないまま大人になってしまったとすればなのだが。

 かといって、人付き合いなど一切無用の科学または芸術上の天才、秀才の器などではない。

 

 20年以上前に、一瞬すれ違った時のSは、私の目には「まともな大人」ではなかった。

 何も私が千里眼なのではない。

 夏の平日の昼下がりで、私は世間で言う営業中だった。そんな時に、誰かのクルマに乗せてもらい、そこから降りて、サンダルを履いてトボトボ歩きながらタバコに火をつける・・・といった40才前後の男を見たら、誰も「まともな大人」とは見ないだろう。いや、それだけでなく、Sのその時の雰囲気が充分にそれを感じさせた。

 

 その人間の本性や品といったものは、案外、一瞬にして分かるものである。

 それは無論、他人様が自分を見る場合も例外ではないのだが(笑)。

 

 私は、時折こんな風に嫌な奴のことを思い出し、人間観察のための素材にしている。

 で、ほぼ断言できることがある。

 それは、私が嫌だとか不快だとか感じた相手の振る舞い、態度は多かれ少なかれ他の誰もが同じように感じるはずだ、ということである。私の一人合点でもないし、私が特に人として狭量であるためでもないのだ。

 言ってみれば、人が人に対して持つ共通感覚というものだろう。

 思い出す人たちの中には素晴らしい人、素敵な人もいらっしゃるのだが、嫌な奴のことを素材にした方が、ずっと面白い。

 まあ、この辺りが私の意地の悪いという由縁なのだろうが(笑)。