コロナに関するトンデモ本に遭遇した | 恋着、横着、漂着 遊び盛りゆるゆるのびのび60代

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 コロナのピーク時には、このブログでも規制があった。

 今は何をどう書こうが規制されることはないだろうし、自主規制する必要も無いだろう。

 実は泉鏡花に関わって書くために全集の中の数冊を函から取り出して拾い読みをしていた時だった。どういうわけか、旧友からの手紙が、ある巻に挟まれていた。いや、挟んでいたのは自分しかいないのだが、なぜよりによって『鏡花全集』の中の一冊に挟んだのか、自分でも全く覚えていない。確かめると2年前にもらった手紙である。

 

 その手紙の中で、旧友はコロナ問題にかかわって2人の研究者、学者の本を勧めていた。

 改めて、その1人はアマゾンで検索すると、医学博士であり、著作は多い。

 当時2年前に勧められていた本もあるが、コロナが「収束時期」に向かった頃の、問題をより総括的に扱っていると思った本があった。レビューは読んでみた。ほぼすべて高評価になっている。もちろん、レビューに「釣られる」つもりはないし、妄信などしないが、ひとつの目安にはなる。

 そんなことで、高評価のレビューばかりが書かれた一冊を注文してみた。

 

 自主規制するつもりはないが、ここでは著者名も本の題名も明記しないでおく。

 明記しなくとも、その内容をかいつまんで紹介すれば問題は明らかになるだろうと思うからである。

 

 さて、届いたのは二、三日前である。

 アマゾンの高評価が連綿と続く本だから、まさかトンデモ本ではないだろうと思っていた。

 

 ところで、これも2年程前の話である。

 その旧友が招かれた講演集会はざっと7~80人がひとつの屋内施設に集い、ほぼ誰もマスクをしていなかった。私は旧友とも会わず、すぐさまそこを退避した。以来、その旧友とはお互い手紙のやりとりが途絶えた。

 しかし、この本がトンデモ本でないとしたら、私は猛省しなければならないだろう。マスクを付けるということの「愚かしさ」がをもし明快な根拠をもって書かれているのだとしたら、学び直す必要があるだろう。

 そんな「心の準備」(笑)もしながら、早速読んでみた。

 

 結果、トンデモ本だった。

 以下、その内容について、私の勝手解釈も含めて紹介してみる。

 中国の武漢で起きた「コロナ騒動」と日本のクルーズ船ダイヤモンドプリンセス号内の「騒動」との接点を証明するものは何もない。どころか、人から人に感染することも、そもそもウィルスの存在も証明されていない。PCRは遺伝子工学の技術に過ぎず、検査は何も証明していない。現在の組織的政治的対処・措置は、仮説の上に更にいくつも重ねられた仮説にのっとっているに過ぎない。

 ・・・

 要約する私の頭の粗雑さが災いしているのだとしたら、まずそこから問題が始まるのだが(笑)、とにかく「何も証明されていないという実態、事実」が延々と書かれて行く。

 では逆に何が証明されているのか。

 その点が読み進めて行っても分からない。

 挙句の果て、「波動」が大した根拠もなしに数頁にわたって書かれている箇所に出っくわした。あーあ、「波動」かあ・・・スピリチュアル絡みや、まやかし「量子力学」論で、同じように根拠不明なまま、乱用される用語だよねえ。

 私は、これはもう、うさんくさいこと極まりないと感じた。

 

 マスクを付けることの「愚かしさ」に関しての明快な根拠をともなう指摘も、どこにも書かれていない。

 すべては「仮説」で、「証明されていない」のだから、「対処」も愚かだろうということなのだろうか。 

 

 

 著者の結びはこうである。

 他人の言葉よりも、自分の観察を信じる必要性が問われている、と。

 

 ふーむ。

 では、私は私の観察と実体験に依拠しながら、私の周囲への観察も含めて、とりあえずは「小康状態」に見えるコロナ問題について考えよう。

 私は、コロナ・ワクチンが始まった頃、受付カードだか何だかを見失ってしまい、カミサンと一緒に受ける機会をのがした。

 その後、受けた人の副反応の強さ云々を聞くことがあった。また、二度目三度目のワクチンが呼びかけられる中で、うーむ、何だかイタチごっこじゃあないだろうか。試しに、一切、ワクチンは受けずに過ごしてみようと思うようになった。とりあえず、自分の身体に自分が責任を持つわけだから、大問題にはならないだろう、と。

 で、お互いにマスクを付けたマンションの理事会などに出たり、人づてに話を聞くと、同じようにワクチンを受けていない人が少なからずいると知った。

 以来、私はワクチンを一度も受けていない。

 

 そうした中で、一昨年の年末に、私は「コロナ」に「感染」した。

 「感染」して体感したのは、インフルエンザは風邪より重いが、更に重い症状だということだった。

 とりあえず隔離が必要な一週間だったか、その日を過ごした後、職場に復帰した。体調がだるいということはなかったが、咳がしばらく続いた。一週間から十日くらい、あるいはもう少しかかっただろうか。これもインフルエンザではかからなかった「症状」だと実感した。

 幸い、私の場合は何も「後遺症」はない。

 

 一方で、ニュースで流れている「後遺症」の様々なタイプが「フェイク」であるというのなら、それについては触れないでおこう。しかし、極々身近に「後遺症」に悩まされている同僚や知り合いがいた。

 私の職場では、ある日の会議の場で「集団感染」があった。

 「空気感染」が警戒されていた「新型」の「コロナ」の時期である。

 その日に「感染」したとされた同僚の一人は、その後かなり長い間、味覚が悪化して治らなかった。忙しい中でも、行き合えばお互い好きなビールの話題をほんの数分駄弁る仲なのだが、その「感染」からの復帰後、かなりしばらく「味覚がないから、いちばん安いその他の雑酒を飲んでいる」と言っていた。10カ月くらいの間はそうだった。

 また、同じ会議に出て「感染」した知り合いは、味覚の悪化に悩まされる毎日のため、心療内科でカウンセリングを受けたという話だった。しかし、「打つ手は無い」と言われ、かなり落胆していた。

 

 こうした私自身の体験や同僚や知り合いの体験は「フェイク」ではない。

 「症状」は各人の幻想ではない。実感であり、事実である。催眠状態にかけられた上での錯覚などではない。

 

 そうした体験と事実に立った上で、とりあえず持った結論は、この本がトンデモ本だったということである。

 尚且つ、このトンデモ本を勧めてくれた旧友に対して、かつて私は「迷走し続けている」という観察をした。その観察は否定されるどころか、今、確信に近くなっている。