橋本治『父権制の崩壊 あるいは指導者はもう来ない』   | 恋着、横着、漂着 遊び盛りゆるゆるのびのび60代

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 本書は「小説トリッパー」の2017年秋季号から2018年冬季号までの連載をまとめたもの」と冒頭の「編集部付記」にある。

 なお、橋本治氏は2019年1月に逝去されていて、本書の発行は逝去後の同年4月の発行となっているから、事実上の遺稿集と言っていいのだろうか。

 

 本書の内の多くが、当時の(そして今なお任期中の)小池都知事や凶弾に倒れた前首相他、政界のトップ連中について書かれていて、読者としては少々面食らった。政治の問題を正攻法でこんな風に論じた氏の論考は少ない・・・と決めつけるのは私の不見識だろうか。それほど、当時の(そして現在進行の)政治について、どうしても論究しないではいられなかった氏のこだわりがあったことは確かなのだ。

 しかしながら、一読者ファンとしては、やっぱり、映画その他文化現象について論じられたものの方が面白いのである。

 現に本書でも、「ゴッドファーザー」三部作や「スターウォーズ」、「バットマン」の映画と原作コミックなどについての「父権制の崩壊」や「父の不在」、「女からの視点」などについての分析に大いに刺激された。

 中でも、「アメコミ系のスーパーヒーローは、みんな父親がいない」なんて指摘は、これはもう改めて一冊の本として出してほしかったなあなんて、ないものねだりしたくなって来る。

 

 「ゴッドファーザー」を私は高校時代に第二部だけ当時の名画座で観たことがあった。

 一作目なんかまるで興味がわかなかった私がなぜ、映画としてのつながりなど無視して観る気になったのかと言えば、単純にアル・パチーノに対する俳優としての興味だった。

 で、結果は、ふーん・・・面白くねえな・・・だった。未だに第一部を観ていないし、当然のこと、第三部はもっとつまらないと確信したから無視した。

 ただ、そんな私のような中途半端な鑑賞者にも、氏の分析は面白いのだ。

 三作に共通するのは、マフィアとまるで関係のないダイアン・キートンの役柄なのだという。

 ええと、第二作の主役で、二代目親分になったマイケル(アル・パチーノが演じた)の妻の役だ。マイケルが同じ大学で知性を身に着けた彼女と出逢い結婚してしまえば、「旧秩序は崩壊へ向かうことになる」。それが二作目の舞台である70年代のアメリカだった。「父権制を転覆させたのは女である」のだ、文字通り。

 かつて、氏は「大河ドラマというのは二代目の没落の歴史を描く」と指摘していたことがあった。こういうデカいくくり方の出来る人はそうざらにいない。映画、小説、テレビドラマすべてひっくるめての指摘である。映画「ジャイアンツ」について書かれた時の指摘だったと記憶している(つもりだ)。

 

 「スターウォーズ」については、もうまるで興味が無いのだが、それでも「派手なおとぎ話」の中に「父と息子」の話が40年近くもえんえんと続けられて行く謎や、若くて強い女がすべてを変えるという構図で終わったという分析には、へえーなるほどねぇとうなづいてしまう。 

 ただし、「父と息子」の話に集中しているうんぬんについては、他の「バットマン」だのアメコミも含めての論及だから、「スターウォーズ」だけに絞っての分析ではないんだが。

 

 最終章には、元日本ボクシング連盟終身会長のことも取り上げられていて、この辺りがイマドキの日本の古い古ーいおやじたちの醜悪さとその背景や歴史についても分かりやすく触れられている。そこでは「パワハラというのは・・・」という分析もあって、イマドキの日本に限らず、組織の「場の力」から離れた権力者の卑小さや空虚さという必然的共通点についても書かれている。これもまたデカいくくりの分析である。

 

 はい、そんなわけで、一貫してひらがなの多い、つまり、辞書を引かなければ分からないような語句、用語などは一切使われない論考なのですが、うーん・・・と唸って、しばしば立ち止まって閉じ、へぼ頭を回転させてくれた本でした。