文化文政時代をもっと知ろう  ※傑人たちの生没年誤記訂正をしました | 恋着、横着、漂着 遊び盛りゆるゆるのびのび60代

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 梅棹忠夫は「近代日本の原点は化政時代」であり、「明治維新はその延長にあった政治的結論のひとつに過ぎない」とした。

 それで連想したことがある。

 つい最近、現政権に対する支持率が史上最低との報道があった。政権と政権党を「見放している」という状況は今に始まったことではないが、それでも様(さま)は度を増している。

 「日本の政治は十流、文化は一流」という指摘がかつてあった。

いつどこでだれがというのは思い出せないが、その指摘は的を得ていると改めて思う。日本のいくつものアニメが数十か国で放映されていて、放映されている各国ではファンが広く深く定着しているという事実の一片は「日本文化は一流」の証明だろう。政治は十流というのは今更、ここで論証など必要ない。

 この指摘は次のように言い換えることもできるだろう。

 「日本が国際政治に貢献できるていることは何一つないが、世界的な文化交流には極めて貢献している」と。

 そこには梅棹の指摘した近代日本の原点も潜んでいるのではないか。

 

 ところで、その文化文政時代について、今の私はあまりに知らない。しっかりと知りたい。

 しばらく検索していると一冊、ドンピシャと思える本が見つけられた。小学館の全集日本の歴史シリーズ『別巻 日本文化の原型』という本である。早速、古本を注文した。

 

 この本が届く前に少々、文化文政時代(1804-1830)に対する自分のイメージをこれまでの読書のおさらいとともに整理しておきたい。著名人の生没年は改めて確認しながらメモしてみた。

 ※生年順に列記した方が整理できるようなので、そうしてみた。

 

 平賀源内(1728- 1780)は厳密に言えば、化政時代より前に生涯を終えているが、その天才性とキャラクターは文字通り先駆だろう(桜田恒久『平賀源内)。

   前野良沢(1723-1803)の没年は化政時代の前年だが、彼もまた先駆だろう(吉村昭『冬の鷹』)。

   大黒屋光太夫(1751-1821)はロシアに漂着し、やがて帰国した(吉村昭『大黒屋光太夫』)。

   備前屋(浮田)幸吉(1757-1847)が空を飛ぶことを試みた(飯嶋和一『始祖鳥記』)。

   野村長平(1762-1821)が漂流から生還して生き永らえた(吉村昭『漂流』)。

   小林一茶(1763-1828)の俳句の「生々しさ」は生活と人生そのものだった(金子兜太の指摘)。 

   滝沢馬琴(1767-1848)は著作「南総里見八犬伝」で歴史への透徹した俯瞰を披歴した(小谷野敦『八犬伝奇想』)。

 雷電為衛門(1767-1825)がいた(飯嶋和一『雷電本紀』)。       

 

 葛飾北斎(1760-1849)他、この時代の数多くの浮世絵師たちの活躍と後世への世界的影響の大きさは空前絶後と思えて来る。

 

 これだけの傑出した人物たちがほぼ同時代に生きていたと思うだけでも、めまいを覚える。

 更には、ここにこそ、現代を生きている私たちの原点があるのだとすれば、これはもう大いに誇りを持つべきことだろう。

 

 そんなわけで、目下の私のテーマ、マイブームは「化政時代」であり、政治の貧困を吹き飛ばす「文化の力」のありようである。