未だ性愛について「迷想」中の60代 | 恋着、横着、漂着 遊び盛りゆるゆるのびのび60代

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2年早く退職して機能と効率のタガを外すことが出来ました。
人生をゆるゆるのびのびと楽しんで味わって行きたいと思う60代です。

 お断りしておくが「迷想」とは私の下手な造語である。「瞑想」または「迷走」という字句はあっても「迷想」はない。悟りの境地などに達することのない「迷走中の情動と自意識」というつもりである。

 ここしばらく、「エロティックルパン」と題して、私流のドール仕立て遊びに夢中になっていた。その延長で、北斎の「海女と蛸」の好き勝手立体再現も思いついた。

 

 その根っこには何を隠そう、私自身の性愛についての「迷想」がある。

 およそ5年前、このブログで「性愛妄記」と題してポルノ小説もどきを書いていた。私なりの性愛情動の昇華だった。「アメンバー限定」という設定にしたので、私に尋ねていただき、承認の上でなければ読めないことになっている。今まで1人もお尋ねはなかったから、誰も読んでいない。自分で読み返すだけである。それも、アクセス記録を確認すると、一応、その頁を読もうとしている方がおられることがあるので、その際に(ええと・・・このタイトルでは何を書いたかな・・・(笑))と確認してみる程度である。

 

 このアメーバブログにはハッシュタグという便利な機能がある。

 これまで自分では性愛についてのハッシュタグにして残さなかったのだが、例えば「〇〇〇〇レス」で検索すると多くのブログ記事に当たる。

 特に既婚女性の方々のあれこれが吐露されているものが少なくない。

 これらの記事のひとつから「セルフプレジャー」なる新語も教えてもらった。なるほどなあと思う。性愛を後ろめたさと共に暗く語らなければならない時代ではないのだ。

 女性があけっぴろげに語る時代なのだ。

 様々な思いと共に赤裸々な実体験も書かれていて、「遅れている」60代男のこちらが少々戸惑うこともある。

 女性風俗に没入している現状を語る方もいるのには驚きながらも、夫との間で「レス」が延々と強制されるかのような現在と未来であれば、そうした境地になるのも無理からぬことだろうと思う。

 「タントラヒーリング」という未知の字句を知り、動画も見た。字句のみか、体験中の光景も全く未知のものだった。

 

 かといって、私は風俗には走らないだろうし、「タントラヒーリング」にも出かけないだろう。

 「それほどまで元気じゃないだろう、そろそろ枯れる頃だろうし」なんて思われるかも知れないが、いやいや元気なんですよ。元気さからすれば10代の頃とも30代の頃とも変わらない(笑)。尚且つ、レスである日常は続いている。

 

 「タントラヒーリング」は体験してみたいとは思わないものの、「タントラ」というキーワードについては少々、学んでみようか知ってみようかと思いもしたが・・・いやいや、性愛というのはアタマの中で進んだり、解決したりするものじゃあないですからね(笑)。

 桑田次郎さんが『意撫と阿陀夢』という豪華画集を世に出したのは50代後半の頃だったことを知り、大いに納得出来たつもりになっている。まるで枯れてはいないし、枯れていたら、あんな風に画家としての性愛エネルギーを絵に傾注できないはずである。

 

 漫画家であり、画家としてもすぐれていた桑田さんだからこそ、あの画集を世に出せたのだが、凡俗な自分はせいぜい北斎の「海女と蛸」の再現遊びに無心夢中になるくらいである。

 まあ、それで暴発は防げているのだから、良しとしておくべきだろう(笑)。