老いは「発見」でありたい | 恋着、横着、漂着 遊び盛りゆるゆるのびのび60代

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2年早く退職して機能と効率のタガを外すことが出来ました。
人生をゆるゆるのびのびと楽しんで味わって行きたいと思う60代です。

 昨日と同じく今日の午前中も実家で独り芝居の稽古をし、その稽古を終えてから徒歩で帰る途中、ワークマンに立ち寄ることにした。芝居本番では黒の上下という恰好にすることを決めている。ブラックジーンズは持っているのだが、持っていない黒の無地の長袖Tシャツを買おうと思ったのだった。

 その道すがら、知り合いの80代のご夫婦に遭った。

 そのご夫婦の近況を私は耳にしていた。夫殿の認知症が進み、妻殿が介護しているということ、妻殿が外出できるのは、夫殿がデイサービスの送迎のある週三日間のみだということなど・・・である。

 夫殿は杖を突き、それでもしっかりゆっくり歩き、妻殿は杖を持たない方の手に自分の手をつなぎ、散歩をしていたのだった。

 しばらくの間、立ち話になったが、私の話し相手は妻殿だけで、夫殿からは言葉は聞かれなかった。ただ、認知症発症前から寡黙な人であり、しばらく前から認知症が始まっていた際の夫殿にも私は接したことがあったので、さほど違和感はなかった。

 夫殿に付きそう妻殿の姿はとても愛情深いもので、お二人の後姿にしばらく釘付けになった。

 ご夫婦とも80代前半であると思う。

 

 敬老の日にEテレで認知症関係の特集番組を観た。

 レビー小体型認知症と共に高齢型の認知症を公表した蛭子能収さんが出ていた。動物園をめぐりながら、独特の絵を描いている様子が撮られていたが、公表直後の頃よりも言葉数が明らかに減っていた。かなり進行しているのではないかと思われた。蛭子さんは76才である。

 

 私の母親は来月で90才になる。「足が痛い」と言って、畳の上でも椅子に座っている。低血圧高血糖の体質で、数年前から毎日、インシュリンを打っている。

 実家に行けば、我が家のためにと渡してくれるお惣菜は、相変わらずとんでもなく味が濃いものばかりだ。先日もらった煮しめは何度も水に漬けて、しばらくしてから食べられるようになった。「そもそも味付けしないまま、くれないだろうかな」とカミサンは言っている。

 私は面倒くさいので、そうしたことも言わない(笑)。

 しかし、90才になろうと言う高齢者としては頭もしっかりしているし、とりあえず介護などは要らないから助かっている。

 だから、私の方でも実家の一間で芝居の稽古をしたり、日頃はトライクを駐車場に停め、バイクウェアやプロテクターなどの装備も置かせてもらっている。

 

 南伸坊さんの本は、常に発見に充ちていて、それは「老い」についても変わらない。

 丁宗鐡先生との対談本だったと思うが、70代になって、お茶などを飲むと「むせることが多くなった」と語っていた。南さんにとって、それは発見のひとつであるようだ。

 

 人の老い方は人それぞれである。

 そんなことは今更言うまでもないことなのだが、70代になった頃、私も伸坊さんのように「発見」として老いに接したいと思う。

 知り合いの80代のご夫婦の後姿を見て、あんな風に歩く時が自分にも来るかも知れないと思う。カミサンの方が先に認知症となった時に、あの妻殿ほどの愛情で付き添えるだろうかと自問自答する。

 一方で、母親を見れば少々安心もする。自分も90才の頃、ギリギリまで他人の介護など必要とせず、毎日をそこそこに送れたらと思う。

 

 64才、前期高齢者の一年前という私は今のところ、毎日クスリを飲まなければならない症状はない。

 それで思い出した。一昨日、床屋に行った。床屋の主は私と小中学校の同窓生である。その彼が憩室という大腸の病気で一週間入院したこと、ポリープも見つかり、そっちは直ぐに取ったが、憩室の方は安静の上、経過観察で済んだこと、ただし、仕事中の昼飯が極めて不規則であることが原因のひとつと考えられるため、昼食時間を定時に確保出来るよう「予約制」にしたこと・・・などなどを聞いた。

 

 そうなのだ。

 60代同士では病気のことが話題になることがある。「昔の同窓生の○○が死んだらしい」といったことも聞く。

 しかし、乾いた言い方をすれば、60代だろうが何だろうが、そもそも人間は死に向かって進んでいるのだし、当然のこと老いも病気もまとわりついてくるのだから、今更驚くことでもない。

 実は私はこの点でも能天気である。

 伸坊さんのように発見していきたいと書いたが、実はけっこう発見している日々である。

 リモートワークのために週に一度、我が家に孫と共に来る娘が、我が家の昼飯夕飯に動物性たんぱく質が決定的に足りないと指摘したことがあった。60代の私たち夫婦にとってはそれでも充分、肉や魚も入れていたつもりだった。しかし、仕事でエネルギーを使う30代の勤め人の娘にとっては物足りないのである。娘の指摘は新鮮な驚きをともなう発見だった。

 

 いや、それで発見かよと突っ込まれそうだ。

 ただ、自戒しなければならないのは娘に合わせた昼飯夕飯にしたら、すぐにカラダを壊すことになる。何せ、人間60過ぎたら誰一人例外なく腸内フローラというやつが肥満型と同じ状態になるわけだから。

 

 まあ、若ぶらず、老いの現象はひとつひとつリアルに受け入れながら、面白いこと、夢中になること、無心になれることはとことん追求しましょうよってことだろうか。ありゃ、とんでもなく竜頭蛇尾かな(笑)。