コンビニに飼い馴らされて来た我々 | 恋着、横着、漂着 遊び盛りゆるゆるのびのび60代

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2年早く退職して機能と効率のタガを外すことが出来ました。
人生をゆるゆるのびのびと楽しんで味わって行きたいと思う60代です。

 幕内秀夫『日本人のための病気にならない食べ方』を飛び飛びで再読している。

 幕内氏の怒りは、戦後まもなくスタートした栄養学、栄養教育の誤りに始まり、現下、工業製品としか言えない食品を毎日口にしている我々の生活習慣の歪みにまで及ぶ。

 

 それらの指摘の中のわずかな一点、二点に関して、しばらく前からぼんくら頭をよぎっていたことがあるので、ここに記しておきたい。

 いつだったか、コンビニから2リットルのペットボトル茶を二、三本買って出て来る友人と出くわしたことがある。六十代半ば独身の彼は、おおきなビニール袋に、そのペットボトル茶と共に直ぐに食べられる弁当の類いなど、あれこれ入れていた。

 後で彼に尋ねた。「お茶を自分で淹れることはないの?」

 彼は「淹れることもある」と応えた。

 

 昨日、実家に行ったらオフクロが冷たい麦茶を出してくれた。過敏性腸症候群の自分はそもそも冷たい飲み物を口にしない日常で、この時も遠慮したかったのだが、コップに軽く一杯程度なら、と思って飲んだ。テーブルを見ると、麦茶のペットボトルが置かれていた。

 

 ペットボトルは単体で買うと、やたら高くつくと思っている。しかも、しばらく前に本体の飲み物ではなくペットボトルの資源うんぬんにより自販機その他でのペットボトル飲料が値上げされるといったニュースを目にしてから、それまで以上にペットボトル飲料は買わないよう心がけている。

 しかし、高くつく、不経済・・・という見方は修正すべきなのかも知れない。例えば、独身六十代半ばの友人、独身八十代後半の母親にとっては、わざわざお茶だの麦茶を買って淹れて、または煮だして・・・という手間をかけた方が不経済なのかも知れない。

 それでも・・・・・あんまり美味いとは思えない。

 

 

 ペットボトル飲料と並んで、と言うべきか、いや、それ以上にと言うべきか、我々の日常の食生活の中に入り込んできている工業製品がある。コンビニおにぎりである。

 これだって、今や、独身世帯では「不経済」と決めつけることは出来ない。白米を炊いて・・・・という手間、時間を考えたら、出来合いのおにぎりを買った方が安く上がる場合もあるだろう。

 

 あの矢沢永吉さんが、「好きなおにぎりは?」と聞かれ、「シャケ。コンブもいいね」と応えた・・・というエピソードを矢沢ファンのキャイ~ン天野が話していた。

 この会話では、ほぼ間違いなく、おにぎりはコンビニおにぎりのことを指している。

 いやぁ、あの矢沢永吉がコンビニおにぎりかぁ・・・・・としばし、唖然とした。あ、そうそう、それで思い出した。確かに、もうずいぶん前の全国ツアーで設営途中のコンサート会場を下見している矢沢さんがスタッフと打ち合わせをしている際、コンビニおにぎりを食べていたのである。

 

 カネがある人、食事の用意をするスタッフ、マネージャーがいる人でも、コンビニおにぎりは日常のものとなっている。

 カネのあんまりない人、独身の人などにとっては、猶更である。

 

 そう言う私は、コンビニおにぎりには手を出さない。

 「それしかない」という現実の瞬間に出くわせば、妥協するしかないだろう。しかし、極力避けたい。

 精製塩が過剰に入れられ、強い塩気を中和させるためにグルタミン酸ナトリウムをたっぷり練り込み、おにぎりの真ん中にははpH調整剤だのソルビン酸カリウム漬けのシャケやコンブが入っている。

 好き好んで食べるモノではない。

 

 じゃあ、コンビニをまるで使わないのか、食品を買わないのかと言えば、そんなことはない。

 この猛暑下、自宅からは冷凍のままのおにぎりをバックパックに入れて行く。おカズは暑さで傷む場合もあるので、職場近くのコンビニで買う。しっかりウラを見て買う。「アミノ酸等」くらいなら妥協する。

 実は、この「等」も問題なのだが、そこは仕方ない、妥協する。

 尚、ゆで卵や和ものの類いは添加物が少ない。ありゃ、ゆで卵くらい自宅から持参しても傷まないだろう・・・・とツッコミをされれば、その通りかもしれない。

 

 しかし、それでも、コンビニおにぎりやペットボトル飲料は避けている。意地でも買わない。

 いや、この程度の意地は現下の流通システムにあっては、自慢できるものでもないし、吹けば飛ぶような頼りないものかも知れない。まぁ、自分の健康を自分で守るための意地である。