アンリ・ルソーの画集 大判 | 恋着、横着、漂着 遊び盛りゆるゆるのびのび60代

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2年早く退職して機能と効率のタガを外すことが出来ました。
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 居間の本棚の最下段はソファの後ろにあるので、ほとんど顧みない。気まぐれにソファの背もたれ部を手前に引き、何をほったらかしにしていたっけ?と思って確かめたら、アンリ・ルソーの小さな画集が出て来たことはしばらく前に書いた。

 で、もう少し大きめの画集を買って眺めたいと思って、古本を注文した。「経年劣化によるスレ、折れ、その他の傷みがかなりあります」と断り書きにはあったので、まあ数ページ程度は絵そのものに折れ線が入っていたり、シミが付いていたりするのかも知れないと覚悟していたら、予想に反して何ともきれいに保管され、傷みがほとんど見受けられない古本だった。

 望外の喜びというやつである。

 

 で、今の今、もう一度、ソファの後ろを確かめたら、この古本画集とは違う、大判のルソーの画集も出て来た。ただし、そっちの古本画集は12枚程しか収められていない薄手のものだった。それにしてもマヌケなものだが、同時に、これまでも何度となくルソーの絵に魅かれたことがあったことに改めて気づいた。

 

 ルソーの描いた熱帯ジャングルのいくつかの絵は適当にコラージュして、ジープに乗り込んだルパン三世の背景にしようと思う。ただのジャングルではなくて、極めて幻惑的な、謎めいた人間の内面世界とも見える絵柄は面白い。

 それにしても、同じようでいて全く違う植物などの細密画を描いた田中一村の絵はリアリズムという要素もあるのだろうが、つまり実在する植物たちを描いていたわけで、しかし、一方のルソーの細密画が全く実在しない植物群で、ほぼ空想の産物だったというのは改めて興味深い。

 

 

 

 

 ところで、この際、「画集、写真集」というテーマをわがヘボブログに追加した。

 でもって、最近のオタク趣味の延長で、自室のロフトベット下の中途半端な本棚の収納スペースを改めて確かめてみると、こうした大判の画集や写真集などが入ることが分かったので、さっそくパイン材の棚の下半分に斜めになっていたり、適当に横置きしていた画集と写真集の類いをこちらに移した。

 ブログ上でも室内の視覚上でも「画集、写真集」のコーナーが明示できたというわけである。

 

 画集はルソーの他にダリ、キリコ、ブラマンク、ワーグマンなどのものがある。

 ダリとキリコはアニメ「ルパン三世対クローン人間」から受けた刺激がキッカケだったことは書いた。

 ワーグマンは幕末から維新後にかけてのビゴーを追いかけている中で出会うことが出来た画家で、ワーグマンについても以前、少しばかり書いた。

 ブラマンクについては書いていなかったなぁ。ここでくどくどしく書くつもりはないが、ブラマンクに魅かれたのは当初、佐伯祐三に魅かれながら、佐伯のカミサンの手が間違いなく加えられていたという事実に白け、事実上、佐伯が師事したというブラマンクの絵を観たら、なぁんだブラマンク一人でいいじゃないかと強く思ったからである。

 以来、佐伯には全く興味を失った。

 桑田次郎の「阿陀夢と意撫」は残念ながら、さらに大判なのでここには入らなかった。気まぐれに観たい時に直ぐ取り出せる場所に置きたいものである。