ざっと読み高田衛『八犬伝の世界』と半ばの関川・鶴見対談本 | 恋着、横着、漂着 遊び盛りゆるゆるのびのび60代

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 『八犬伝・・・」は、曼荼羅の絵図との一致、八犬士は「神の子」として貴種流離のかたちをとるなど、新鮮な視点を提供してもらった。馬琴の時代にすでに「小説」という呼び名があるのも初めて知った(相変わらずの浅学不通)。

 

 関川・鶴見の対談本は半ば過ぎまで読んでいる。面白い! 

 近代以前に「個人」はいたという主張にまず注目。ジョン万次郎がその人であり、明治政府の作った“樽” ( 権力・人事機構 ) に収まった人々は、むしろ「個人」を持たなかった云々というくだりからは様々、連想が飛ぶ。「八犬伝」つながりでは、まさしく ﹅ 大法師という「個人」を馬琴は創出したのだ。前後して読んだことによる余慶である。

 

 また、鶴見はコンビニを郷土に根差した新しい拠点として見る。

 ファミリーマートを創設した堤清二は、利潤追求のかたわら、まさにコミュニティセンターとしてのコンビニをイメージしていたわけで、鶴見・関川がそのことを知ってか知らずか・・・・対談の様子から見るに知らなかったようなのだが・・・ 縦横無尽に語る鶴見 ( 関川は聞き手 ) の多様な着眼点には感心させられる。

 「語り口は思想そのもの」という指摘も示唆に富んでいる。それですぐに思い浮かんだのは、映画評論家の淀川長治さんだ。あの語り口なくして、淀川さんの映画論はありえない。

 鶴見は、多岐にわたって学者、思想家、運動家たちを、意外な側面から引き合いに出す。たとえば、徳川無声による「カリガリ博士」の活弁に惹かれた吉本隆明と丸山眞男の少年時代を紹介しながら「だから本物」という評価をする。面白い。

 

 その他、実に刺激に富んでいる。読了後、また触れたい。