今日は、9月に行われる「あいち国際女性映画祭」に上映される「あい 精神障害と向きあって」の記者の取材に同行して、アンシェーヌ藍と藍工房にお邪魔しました。

 藍工房の方は津久井やまゆり園の事件のすぐ後にお邪魔していましたがレストランの方には数か月ぶり。

 メンバーの皆さんがどうしているかいつも気になりつつご無沙汰していましたので、みんな元気に働いている姿をみてホッとする思いがしました。

 その中の二人に記者がインタビュー。
 二人ともきちんと答えていました。
 
 あいち国際女性映画祭は9月7日(水)から11日(日)まで、愛知県男女共同参画センター・ウイルあいちで行われます。

 「あい」の上映は9月7日、初日のオープニング上映です。

 海外の作品の上映も数多くあり、催しは年々多彩になってきています。

 私は3年ぶりの参加。

 前作は「世界一すてきな僕た私たちへ」でした。

 このあいち国際女性映画祭では、2007年だったでしょうか?

 観客賞が設けられたとき、最初の観客賞を「無名の人~石井筆子の生涯~」で頂き、その3年後には「あした天気になる?」で、愛知県興行協会賞をいただきました。

 それぞれに賞金が10万円。

 賞も嬉しかったですが賞金もとっても嬉しかったです。

 今はその賞金の額も上がっているようですし、賞の種類もコンペ作品に限られているようです。

 ともあれ、いま日本では「女性」と名のつく「国際映画祭」は、このあいちだけ。以前は東京女性国際映画祭がありましたが数年前に無くなってしまいました。

 昨今の厳しい経済状況ですが、女性監督にやる気と励みを与えるあいち国際女性映画祭はずっと続いて欲しいと心から願っています。

  最終日の11日は吉永小百合さんも参加して、「母と暮せば」の上映もあります。

 私は6日から参加。
 7日の上映では監督のトークもあります。お近くの方はぜひいらしてください。

 リーフレットの一部を載せます。











 先月、神奈川県相模原市の津久井やまゆり園で、入所者19名が殺められ、26名が重傷を負うという痛ましい事件が起きました。

 その後、私のフェイスブックでは、その事件に関する私の思いを書き綴ってきました。

 ここにそれらをまとめて転記します。(ブログへの投稿がどうしてもおろそかになってしまって記にはなっているのですが・・)


 まず、今回の津久井やまゆり園の事件で、尊い命を無残にも奪われてしまった方々のご冥福を心からお祈り申し上げます。そして、そして心身に深い傷を負わされたみなさまが1日も早く回復されますように。

 どんなにか怖かったことでしょう。どんなにか痛かったことでしょうか。
 考えだけでも気持ちがかきむしられる思いに駆られ、暗澹とした思いにとらわれています。

「障害がある」というそれだけの理由で理不尽にも命が奪われるというこんな悲しい事件は2度と起きてほしくはありません。きっと、多くの方々がそんな思いでいることでしょう。
 
 いま、事件のことを軽々に語る資格は私にはありません。ただ、この事件を他人ごとと考えるのではなく、どうしてこんなことが起きてしまったのか、その背景をしっかりと検証していかなくてはと思っています。

 私は、ここ10年近く、障害のある人たちとお付き合いをしてきました。

 それ以前からもずっと長く福祉関係の映像を製作してきて、私自身の障害理解の観念と、実際に彼ら・彼女らが日々感じている喜怒哀楽の世界とのずれを感じたことが、お付き合いを始める動機でした。もちろん私は支援の専門家でも実践家でもありません。
 ですから多くの過ちはあることは承知で、一人の人間としての思いから、もっと深く障害を持って生きることの困難さや生き難さを知ることが、私自身の観念とのずれを埋めることだと思ったのです。そして私が理解した「世界」をこれまでに何本かの作品として発表してきました。

 いまそのずれがどれだけ埋められたかと言われると、確かな答えは見いだせていないような気がしています。
 でも、一人の人間として彼ら・彼女たちを見たとき、その人間的な魅力にすっかりはまってしまったというか、内面に秘めた力のすごさにどれだけはっとさせられる思いに駆られたことかわかりません。

今回の事件で私が頭を痛めている一つには、加害者には措置入院をしたという経歴があって、そのことから精神障害と事件を結びつけて報道されていることです。
 
 そもそも、加害者に措置入院が必要であったのかどうかも含めて検証する必要があると思いますが、事件後の厚生労働省や安倍首相の発言を見ても、精神障害者への対応への強化ということがちらほらと出されてきています。レッテル張りがさらに強化されることへの心配です。そして、そのことからも、また、精神障害のある人たちが追い詰められ、社会から排除されるのではないかという不安が強くあります。
 
 一つの事件を教訓に社会が良い方向に進めばいいのですが、今日の他者排除の風潮と相まってますますもって生き難い、寛容でない社会が、どうか来ませんように。

 そして、もう一つどうしても気になって仕方ないことがあります。それは被害者の氏名の公表のことです。でも今は深く傷ついていられる親御さんたちの気持ちを優先することを第一に考えて、ここでは書きませんが、テレビの報道で70歳の方お1人、62歳の方2人・・と無機質に読み上げられるアナウンサーの声を聴きながら、何とも言えない理不尽さを感じたのは私一人だったのでしょうか?

 そして、あの相模原の福祉施設に入所されている方たちへの殺傷事件の報道を聞いて、私が一番に心配したのは、私の新作ドキュメンタリー「あい~精神障害と向きあって~」の取材に協力してくださった皆さんのことでした。

 案の定、その日の深夜から翌日にかけて何人かの方たちからメールをいただきました。
加害者が措置入院の経歴があったという報道が大々的にされたことで、事件と精神障害が深く結びつき、これまで以上に社会の冷たい目が寄せられるのではないかという心配、自分たちも同列とみられることへの憤慨、場合によっては自分にも危害が及ぶのではないかという不安・・メールの内容は人それぞれに違っていましたが、誰もが自分の今と結びつけ、それでも言葉を大にして言えない窮屈な思いを抱いていることは共通しています。

  映画製作の過程では、当初はほとんどの方がカメラを拒否していました。拒否の理由は精神障害に対する社会の偏見・差別です。みなさん、それぞれに周囲の冷たい目をいやというほど意識させられていたのです。そんなこともあって、本当の意味の取材が受け入れられるようになるまでには2年近い歳月を要しました。その間、「この映画がどうして必要なのか」「映画を通して何を訴えようとしているのか」から始まって、「主人公は自分たち」だと思っていただけるようになるまでに何度も何度も話し合いを重ねました。最終的には多くの方が取材を了承してくださいましたが、そこには、それぞれに激しい葛藤があり、その葛藤を勇気に変える努力があったのです。そしてその努力を側面から支えたのが舞台となった通所施設の職員であり、地域に開かれた施設としての多くの支援者たちによる暖かい声援でした。映画完成する過程では皆さんを悲しませることになった残念な問題も発生したりはしましたが、そのことさえもメンバーの皆さんは強く乗り越えて、自己の存在の確かさと、豊かな自尊意識を培っていったように私には思えます。作品自体の完成度を問われると忸怩たるものがありますが、皆さんの素顔を通して、「誤った偏見・差別は辞めてほしい!」という彼ら、彼女たちの思いは観る人に伝わっているのではないかと思っています。

 ですから余計に、ことさら事件と「精神障害」を大きく結びつける報道には、やり場のない怒りと義憤を感じてしまいます。

 心のゆらぎをかかえている皆さんは、どちらかというと、とっても繊細で気持ちの優しい人たちです。
 そして障害からくる生き難さにあえぎながらも必死に一生懸命に生きています。

 そう、たまたま心のゆれが少し私たちより激しいだけで「精神障害」というレッテルを貼られ、私たちとは違った世界に住む人のような印象を受けますが、本当は私たちと少しも変わらない人たちであるということを、もう一度考える必要があるのではないでしょうか?それは「精神障害」に限らず、いろいろな名称でレッテルを貼られているすべての障碍者たちにも言えることで(もちろんそのための生きる上での困難はありますが、そしてその困難への支援は当然必要ですが)、みんな障害者である前に、一人の尊厳ある人間である、というごく当たり前のことを改めて考える必要があるように、今回の事件を通して強く思っています。

 13日朝早く、愛媛県西予市の知人から電話が入りました。

「都知事選挙で宇都宮さんを応援してほしい」という内容でした。宇都宮さんは西予市明浜のご出身で、「風の舞」の主人公・塔和子さんと同郷、小学校も同じだったそうです。

  私は返事に戸惑いました。
 これまで2回の選挙では宇都宮健児さんに投票してきましたが、今回は4党推薦の鳥越さんがいます。気持ちとしては宇都宮さんのこれまでの体験や都知事としての希望の持てる豊富な政策、そして温厚なお人柄など他の3人の候補を抜いて飛び出ていると私も思います。

 ただ、自民党のように分裂した状態で都知事選に入れば、結果として利するのは小池さんか増田さんのような気もしないではありません。

 何とも重い気持ちで自分の気持ちの整理もできないまま一日が過ぎました。そして夜、夕食の支度をしながらのラジオで、「候補取り下げ」のニュースが入ってきました。アナウンサーの語り口調は淡々としていましたが、それを聞いて、私はホッとすると同時に、ここまで来て立候補を残念した宇都宮さんの心中を想うと、あの温厚な顔が浮かんできて、何とも言えない怒りが心中に沸き起こっても来ました。参議院選挙での野党4党の共闘での成果は都知事選になっても引き継いでもらいたいという思いは今でも変わりませんが、前回、前々回に宇都宮さんを推薦した社民党、共産党の責任は重いと思います。

 きっと背後では、きちんとした話しあいが続けられてきたのだろうとは思いますが、4党の合意を大事にするばかりに、お互いの関係に禍根を残すようなことは絶対に避けてもらいたいし、礼を尽くして宇都宮さんに謝らなくてはいけないと・・だからと言って、安倍政権を利するような結果になっても困るし・・もやもやした思いを椅子だきながら抱きながら考えたことは、宇都宮さんの候補残念に報いる何よりもの大切なことは、絶対に鳥越さんを勝たせるということ。
まさに今回は千載一遇のチャンス。だから私も頑張らなくてはということ。

 宇都宮さんはこれまで積み上げてきた政策集を鳥越さんに渡したということですから、ともかくこの都知事選で勝利をおさめ、その後、丁重な誤りを関係者はしてほしいと思います。
ああ、それにしても政策の違う政党が連携するということはいろいろと難しいことがあるものなのですね。

 そして始まった選挙戦。

 テレビなどではあまりニュースにならないので、なんだか盛り上がりに弱いのかなと、心配です。

 でも、舛添都知事のあの醜態の後ですもの、今度こそ、都民目線の知事が誕生しますように。

 という私は、このところブログへの書き込みがめっきりできなくなりました。

 FBにはこまめに書いているのですが・・

 先週は和歌山、高松、そして母のところと片時も休む間もなく動いていましたので、ブログを書く時間も気持ちのゆとりもとれませんでした。

 これからは気を付けて書くようにします。


 バングラデシュでレストランが襲撃されて7人の日本人も犠牲になったという衝撃的なニューがとびこんできました。

人の心の闇の深さと負の連鎖のおぞましさをいやというほど感じさせられています。

犯人はISがどうかはまだ確定できないそうですが、今日のテロのそもそもはアメリカがつくりだしたもの。

安倍首相はさも沈痛な面持ちで「テロは絶対に許さない」とまるで自分たちが最大の被害者のような言動をしていますが、聞いていてしらける思いをしているのは私一人でしょうか?

バングラデシュは国民の9割以上がイスラム教徒の国。

私は20年ほど前、草の根のNGO組織・アジアキリスト教教育基金(ACEF)のワークキャンプでひと夏をバングラデシュで過ごしたことがあります。

当時は世界でも最貧国の一つで、台風が来ると水害で村が壊滅するという厳しい自然条件の国でもありました。

国民の識字率は低く、職業教育などもほとんど普及していない中で、都市のスラムや、農村の子どもたちを対象に寺子屋をつくり、そこで学んだ年長者が今度は先生になって教えるという、自立に向けた国際援助を行っている姿を取材してきました。

バングラの夏は日本より数倍も暑く、エヤコンも冷蔵庫もない中での過酷な毎日、そして、食べるものと言えばカレーばかり。暑いのには閉口しましたがカレーは美味しく、パイナップルなどの果物は甘くて最高。それにバングラの人々の気質は温和で、子どもたちは可愛らしくて、私にとってはとっても近親感の持てる国の一つでもあります。

特に都会の雑踏にあふれるエネルギーのすごさ。
そして農村ののどかな風景。

定時になるとコーランがどこからともなく聞こえ、農夫たちが畑仕事の手を休めてお祈りをする姿はとても平和に感じられました。

現在は経済も発展し、20年前のような貧しい国からは脱却していることだと思いますが、
そして、欧米人や日本人が良く行く高級レストランなんて当時はなかったので知りませんが、罪もない人たちを殺しあうテロが発展の代償なんて何とも悲しいことです。

アメリカを先頭としたグローバル化のゆがみは底なしに深く人々の心をゆがめてしまっているのでしょうね。

犠牲になられた方のご冥福をお祈りします。

写真はバングラデシュの伝統的な刺繍、ノクシカタ。農村の女性たちが経済的自立を目指して刺しているものです。
 









昨日は上野の都立美術館に行く予定にしていましたが、午前中雑務に追われ、遅くなってしまったので、それは後日行くことにして母のところにいきました。

 着いたのは午後遅く。早速畑に行って日の暮れるまで草取りと収穫。

 週中には雨が降り、その後は日照もあったので野菜は良くできていました。草も嫌になるほど大きく育って短時間ではとても太刀打ちできないほど。

 夕食は取れ立てのやさいづくしのおかずが食卓にならびました。

 そして今日は、夏日の猛暑でしたが、朝から畑に出て昨日取り残した草取りを。

 暑いので水分をとりつつ、汗びっしょりになりながら・・

 海からの風がとっても気持ちよかったです。

 
 今はキュウリもなすも、トマトも最盛期。
 食べきれないほど獲れます。










トウモロコシはもう少し収穫までは時間がかかりそう。




 花もきれいに咲いています。





先々週はその前の高松に続いて、今度は北海道函館への旅。
 久しぶりに懐かしい方たちとの旧交を温めてきました。

 函館では、北海道ユニバーサル上映会七飯映画会に「あい」を上映してくださったので、それに参加するため。

 ユニバーサル上映会には7年ほど前に参加して以来ですので、私にとってはどんなことをしてもぜひ行きたいと、胸を躍らせていってきました。

 7年ぶりの函館駅周辺は以前とかなり風景が変わって綺麗になっていました。

 もちろん空港も大きくなっている感じで、まるで初めて来たような印象。

 でも、街中は少し寂しくなったように思われ、地方の衰退を見るようで少し寂しかったです。

 ただ、ユニーバー去る上映会の本拠地は北斗市で、そこから七飯、函館とさらに広がっていて、たくましくも嬉しくも思いました。

 この七飯町は、男児の行方不明事件で連日マスコミをにぎわしたところ。

 地名はすっかりなじみのところになっていましたが行ったのは初めて。

 とっても静かなゆったりとしたところでした。

 上映会は120人の人が参加してくださって、盛況でした。
 
そしてユニバーサルと言うだけあって、障害のある人もない人も誰もが映画を楽しめるように、
字幕だけではなく、音声ガイドやミュージックガイド、要約筆記、手話通訳など様々な工夫が随所になされていました。

 しかも、それらはみんな生での表現。私なんか映像よりもそちらの方に見とれてしまいました。

 上映会に続いてはトーク。北海道新幹線開通後の観光の発展とハード、ソフトのバリアフリー化をどう実現させるか、福祉の専門家や観光業界の専門家が、それぞれの立場から熱心に話していました。

そして同時開催で行われた数々の展示。
札幌教育大学の研究室と附属特別支援学校の生徒たちとのコラボレーションです。


 そして月曜日と火曜日は母のところへ。

 雨の合間の畑仕事に精を出しました。

 その後は、たまった編集の仕事と、仕事の打ち合わせ会議など。

 でも、体力的にはあまり動かないので、幾分楽をしています。

 と言ってブログを書くほどの時間はなく、FBへの投稿もできないほどに時間には追われる毎日でした。

 そして終末。

 1週間の過ぎるのは何と早いことかと驚きながら母のところへ。

 月曜日は通院の予定で介護タクシーをお願いしていたために、家に帰るのは1日伸ばして通院への付き添いを。

 この日は、介護保険の1年ごとの認定調査もあったので、それにも立ち会うことができました。

 そして、ついでに選挙の不在者投票も。

 事前に手続きをしていたために、その書類をもって市役所に。

 お隣の方が車を出してくださって、無事に済ませることができました。

 高齢になっても、どんなことをしても選挙に行くという母の執念は、見事なもの。

 「こんな世の中ではいけない」というしっかりとした考えのもとに、自分の意中の人に投票をしたそうです。

 そういえば私も期日前投票をしてこなくては・・

 10日の投票日は、きっと母のところに行っているでしょうから。

 そして今の異常な社会を何とか少しでもいい方向に向けるように、貴重な1票を行使したいと思っています。
 

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 土曜日から高松に行っていました。

 土曜は「らい予防法の被害者を追悼する祈念」の集会。朝10時から午後5時まで 実に盛りだくさんな内容。まず「風の舞」 の上映に続いて私のは話。
 
 そして国賠訴訟の弁護団の一人神谷弁護士の講演。追悼の日を迎えているいまの今日的課題と、先日最高裁が謝罪した「特別法廷」における人権侵害等について分かりやすく話してくれました。

 午後は善通寺東西中学生と神谷弁護士、それに大槻弁護士も加わってのトーク。中学生の質問に答えるという形で、かなり踏み込んだ内容のトークになりました。私が感心したのは、ひごろからハンセン病について考えているだけあって質問の内容が濃かったこと。

 私たち大人でもそこまで考えられない専門家はだしの質問が出たのには本当に驚かされました。そして答えるお二人の 弁護士も、相手を子供あつかいするこのなく、きちんと真摯に答えていました。
こういう催しはもっと時間をとってゆっくり聞ければもっとよかったかもしれません。


 続いては「瀬川病」という難病のために夕方になると体が自由に動かなくなるという重い障害を抱えている四国学院大学在学中の緒方美奈さんの講演。

  小中は普通校に通い、高校のときに特別支援学校(養護学校)に通った体験が、自らの障害を受容することになったことを若い女性らしい軽快なタッチで話してくれました。

 緒方さんは声がとってもきれいで、考え方も実に前向き。本当は実に重たい話なのですが、微笑ましく感じられるほどに思わず聞きほれてしまいました。いま彼女は社会福祉の勉強をしているとのこと。養護学校時代の他の障害のある仲間たちとの経験が将来きっと役に立つと私は思います。
 
緒方さんの話の後は私の新作「あい」の上映。この日どうして「あい」なの?と思われた方もいるかと思いますが、「人権」がテーマの集いですので、私も喜んで上映をしていただきました。
そして、わざわざ岡山から何人かの方が「あい」を見るために来てくださいました。

  本当にありがたいことです。


 このハンセン病追悼の祈念の催しを主宰したのは「ハンセン病問題を考える市民の会」。
「風の舞」を武器にもう何年も地道な活動を続けているグループです。

 この日は私の友人が大阪から、そしてイタリアからの留学生が神戸から。また、フランスの青年のお世話をくださった岡山大学の先生も岡山から駆けつけてきてくださいました。また、地元で上映活動や様々な市民活動をされていて、FBのお友達のYさんも参加してくださって、親交を深められたのも良かったです。

 そして夜は、例のごとく親睦会。

 市民の会の常連は皆さん定年で第一線を退いた人たちですが、お酒を飲んでいるときの元気は若者以上。大いに息が盛り上がりました。

翌日は、イタリアの女性を青松園に案内するために朝の船で大島に向かいました。

 ちょうど、青松園を数年前に退職されたもと福祉室長のNさんも同行してくださって、密度の濃い案内ができました。そしてこの日は高松市の中学生も勉強のために参加。

まず自治会室で副会長の野村さんからご自分の体験を聞くという絶好のチャンスにも恵まれました。

塔さんがいなくなって、大島を訪れる機会もぐっと少なくなりましたが、私にとっては懐かしいところ。
 
 みんなが勉強をしている間、私は入所されている方のお部屋を訪問しましたが、皆さん、お会いするたびに体がだんだん不自由になっているのがとっても気になりました。

 でも、満面に笑みを浮かべて迎えてくださって、私にはかけがえのない場所という思いを新たにした半日でした。

 羽田に着いたのは日午後5時。


 そのまま、母のところへ。そして今日1日、1週間分の食事と掃除、野良仕事をして、いつもより遅い電車で帰ってきました。














 以前にお知らせしましたが、明日11日(土)、高松市男女共同参画センターで、「らい予防法による被害者の名誉回復及び追悼の日」祈念の催しがあります。

主催は「ハンセン病問題を考える市民の会」。

 この日は「人権」をテーマに、善通寺東・西中学校ボランティア部の生徒さんと国賠請求訴訟の弁護団のお1人神谷弁護士との対談や、重い難病を抱えながら四国学院大学で社会福祉を学ぶ緒方恵美さんの話、そして、「風の舞」と「あい」の上映があります。

善通寺東中学校ボランティア部の生徒の皆さんは、以前から塔和子さんに触れ、それらの詩を読みこなすなかで、自らが被害者でもあった「いじめの問題」を克服していったという、聞くだけでもうれしくなるような素晴らしい取り組みを進めてきました。

 私は学校にも招待され、また市内でも、ハンセン病資料館に上京した際には東京でも、これまでに何度か彼らに会って話し合いを深めてきました。そういえば去年の春に会った時、「学校内にポエジーカフェを開きたい」と言っていたけれどどうなったかしら?

 いま彼らは更にハンセン病問題を深く学び、学内だけではなく県内にその活動を広めているそうです。「明日、逢える!」と楽しみにしていたところに、先日、塔さんの詩のことを表した「かかわらなければ」の作者川崎正明さんから、1冊の冊子が送られてきました。
善通寺の生徒たちのこれまでの活動を、ボランティア部担当の山地千晶先生がまとめた報告記事が載っているものです。

 塔さんはもうこの世にいませんが、塔さんの詩が若い人たちに引き継がれていることは本当にうれしいことです。そしてそんな貴重な場で「あい」が上映されることは・・

 

 5月の中頃、ハンセン病市民学会で奄美大島に行ったときから、画家の田中一村と医師の小笠原登のことが気になっていて、帰ってからも二人に関する書物を何冊か読みました。

小笠原登に関してはこのところNHKの番組でも取り上げられるなど、人々の注目度は増していますが、いま、彼の業績を再検証する意味はとっても大きいと思います。

またこのこの3月に、敬和学園大学の藤野豊さんによる「孤高のハンセン病医師~小笠原登『日記』を読む~」が出版され、私も先週にやっと読み終えることができました

 私が2003年に「風の舞」をつくった時に、数多く読んだ資料の中でも藤野豊さんの「いのちの近代史」という著書が私の一つのバイブルになっていました。

 ハンセン病問題は、私は国が犯したハンセン病患者への国家的犯罪で、らい予防法の下での絶対隔離政策の徹底によって数多くの患者の人権や尊厳は根こそぎにされたと思っています。

 しかし、近年、若い研究者の間で、らい予防法(1931年改訂の)は患者の救済法であり、絶対隔離政策の不徹底と、療養所は社会から患者を守るアジュールであったという論考や研究書が出され、ハンセン病問題の本質が修正されていくのではないかと危惧していたところでしたので、私にとってもタイムリーな1冊になりました。

 小笠原登は、光田健輔たちが進めていた絶対隔離の政策に正面から異を唱えた、京都大学病院皮膚科特別研究室でハンセン病患者の外来治療の実践に真骨を注いだ医師です。

 彼が信念として唱えたことは「らいは伝染病だが、生活のすべてを犠牲にしてまで療養所に入るほどの病気ではない」ということ。そのことをらい学会で発表したために体制派の光田健輔たちから異端者として排斥され、ハンセン病の歴史の表舞台に登場することはありませんでした。
 
 その小笠原登が晩年、奄美和光園の医師として赴任しますが、そのあたりの経緯に関しては不明で、また和光園で一時、田中一村と共同生活をしたことまではわかっていますが、その背景も不明。ともかく地位や名誉をかなぐり捨てて自己の画道に邁進していた田中一村と、医療界のアウトサイダーとして自己の信念を貫き通した小笠原登が一つの部屋の中でどんな会話をして、何を求めていたのかを知りたいという思いだけは募っています。

  





今日は、銀座で行われている中西繁さんの「古都の旅・京都」の個展にやっとうかがうことができました。

 2日の初日から時間さえ作ればいけないことはなかったのですが、じっくりと鑑賞したいと思い、こんなに遅くなってしまいました。

 ギャラリーには、以前伊豆の国アートビレッジのワークショップでお世話になったステンドガラス作家の加茂さん達もいらしていて懐かしい再会。

 その後も何人かの「お客さん」がいらして、中西さん派応対に忙しそうでした。

 ところで、「京都」は私にとってはある意味特別なところ。

 兄妹の多かった父の、私にとっては伯父・叔母に当たる何人かが居を構えていたので、物心がついた幼い時から、祖父や年長の従兄に連れられてよく行きました。

 鴨川では友禅さらしが行われていたり、ごとごとと悠然と走る路面電車や、町のいたるところに昔の素朴な生活があった時代。そして20代後半、人生最大のピンチに陥った時には、約3か月近くを伯父の家に転がり込んで人生をリセットするために過ごした日々、大人になってからは文学を志していた従妹との交流や年老いていく叔父や叔母の見舞い、それに京都に本部のある「認知症家族の会」の仕事や取材で・・名所旧跡に関してはあまり詳しくありませんが、いろいろな思い出の詰まったとっても濃い場所。

 でも、今は叔父や叔母もすでに亡くなり、大勢いた従妹たちも東京や他県に出て、残るのはただ一人。懐かしい思い出だけが取り残されたような郷愁の漂う街でもあります。

 そんな思いで中西さんの「古都の旅・京都」を観ていると、今はすっかり疎遠になってしまった「京都」をじっくりと散策したい思いに駆られました。でも、私の「京都」はもしかしたら心の中だけにあるのかもしれませんが・・人々の営みのある不思議な雅の世界がどの絵からも感じられました。

 それと同時に展示されていたパリの街路。

 まったくの異邦人に過ぎない私には、そちらの方に気持ちがかなり動いていました。

 私は絵には疎い方ですが、1枚1枚良く見ていると、それぞれに作者の息遣いが聞こえてくるようで、これが芸術というものなのかなと、「心を伝える」人間の手(技
)のすごさをつくづくと感じさせられました。