3月11日 | Mの映画カフェ♪

Mの映画カフェ♪

映画の感想など


昨年の3月11日

私は午後休暇を取って、中央線の車中にいた。

大学病院に義父が入院していたため、夫と病院の一階にあるスタバで、3時に待ち合わせ。

腕時計をみて少し遅れるかなぁと考えていたら、


電車が急停止した。

急停止といっても信号だったり前の電車がつかえていたり、割とよくある話で
その日もそんな停止の仕方だった。

電車が止まってしばらくすると、「地震?」という声が車内からパラパラ

そういえば揺れているような気もするが、電車の揺れに慣れていたのと、車輪に揺れが吸収されるのとで
大きな地震だとはまったく感じなかった。

立っていた私が窓の外を見ると
ビルから人が飛び出してきて三々五々かたまっていたり、街灯が揺れていたり
あぁやっぱり地震なんだ。大きかったのかなぁ?


ただ今、関東で発生した地震のため、しばらく停車します

というアナウンスが繰り返され、車内ではワンセグでニュースをチェックする人が出始めた。
携帯はつながらないだろうし、どうしようと考えていたら
夫から着信。

やっとつながった、今どこにいるの
中央線が途中で止まっちゃった
様子をみるしかないね

続いて会社の上司から着信
無事か?元気そうやな。
はぁ電車の中です。


その時はしばらくすれば中央線は動き出すものと
まさか、その日、目的地に着くことはないなんて、思ってもいなかった。

しかし電車は動く気配をみせず
余震、停車していたので今度は揺れを感じた。
長引きそうだなぁと思い、夫に先にお見舞いに行くよう告げて

1時間半ほど経ち、車内には疲れと諦めが

車内放送

お客様には順番に降りていただきます

はしごで?

さらに待つこと30分ほど

不安定な脚立のようなもので一人づつ私たちは電車を降り、線路を歩いて駅のホームに上がった。

Mの映画カフェ♪-DVC00263.jpg

千駄ヶ谷駅


改札をでようとする行列(スイカの記録を消すため)、行列はあきらめてくださいとの誘導に従って、精算せずに改札をでる。
駅前に大勢の人たち、東京体育館の周りに座り込む人も。
タクシーには考えられないほどの人数が並び車は渋滞

これは、今日は、病院に行けそうにないと理解する。これが4時半ごろ

少し歩いてモスバーガーを見つけ、席を確保
他は張り紙をだして店を閉めている。
コーヒーを飲んでいると夫から再び着信

今日はもう会えないから、僕は歩いて帰る。今どこ?
千駄ヶ谷
近くに都バスがあるんじゃない?バスで帰れない?
わかった探してみる。

モスを出ると渋滞した通りでバスをみかけ、バス停も発見。目黒行き。白金台で降りれば乗り継いで家に帰れる。

来るか来ないかわからないバスを30分ほど待ち、寒さに震えていると
運よくバスが来て乗ることができた。

本当にこの日の寒さは忘れられない。

満員のバスから見たこともない渋滞と歩道を歩く大勢の人たちを眺める
バスの中はラジオの臨時ニュースが流れ
これは普通じゃない、非常事態だと

緊張した乗客を乗せたバスが渋滞を少しづつ進み
白金台へ到着、いったん下車。
東急ストアとコンビニが開いている。
コンビニの棚からはパンが消えていたが地図があったので購入
少し歩くと後方からバスが
またしても満員のバスに乗ったが
渋滞でほとんど動かなくなった。あきらめて高輪の辺りで下車

あとは歩くことに。

歩道は人であふれ、駅周辺には帰宅できない人が座りこんでいる
こんな東京はみたことがない。

メール着信、マンションのお友達から

大丈夫?エレベーター止まっているけど、何号棟のエレベーターが一台動いているよ

そうか、エレベーター

うちは高層(超高層)なので、階段を昇ったことがなかった

教えてもらったエレベーターで帰宅

9時半ごろだったか…
電車の停止から7時間近く経っていた。
同じ頃、夫も歩いて帰宅

道がよくわかったね
東京タワーの方へ、あとはJRの線路をみればだいたい。

帰巣本能ってすごい


それから
ニュースの津波の映像を見て、震源地が東北だと知る

その日から
スーパーの棚から水が消えパンが野菜が食料品が全て消え
店はシャッターを降ろした。
飲み水の不安に怯え
それでも月曜日から会社へ行くが、帰りは食事が電車が心配で
灯りの消えた街をひたすら家に急ぐ

翌木曜日、電力不足で電車が止まるというニュースが流れると
みんな仕事をやめてさっさと帰り始めた。
私も山手線に乗ったが

途中から電車は満員となり、下車すると殺気立った人々が電車に殺到
押し流されそうな恐怖を感じる。

皆、震災の当日の
「帰れない」という恐怖が刷り込まれている

会社は節電のため灯りを消し、暖房を消し
ダウンを着て震えながら業務。
飲み会はすべてキャンセル

東京の街が通常に戻るのに
どのくらいかかっただろう…

スーパーのシャッターが上がり棚に食料品が戻った事が

どんなに嬉しかったか。

もちろん
東北の被害とは比較にならない。
震災から1年が経ち、ニュースで繰り返される映像に
あらためて悲しくなる。

2011年3月11日が本当に恐ろしい日だった事は、
忘れられない。