国家の生存権について論じる前に、先ずは、生存権とはどういう権利なのかについて述べます。

 生存権とは、日本国民が有する基本的人権の一つで、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」です。近代以降の資本主義の発展により、主に、西ヨーロッパや北米において、巨富を得た資本家階級と貧しい労働者階級という二つの階級が成立しました。こうして、貧富の差が大きく開いてしまったので、少数の資本家階級の人々が大多数を占める労働者階級の人々の基本的人権をおびやかすに至りました。そこで、経済的弱者の側から国家に介入を求める意見が増加し、二十世紀に入った頃になって、福祉国家という概念が広まりました。この概念を支える中心的な権利が生存権です。

 日本国憲法第三章第二十五条「①すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。②国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」

 また、現代のような文明が高度に発達した社会では、ある程度の教育を受けていないと生活していくことができないので、第二十五条だけでなく、第二十六条(教育を受ける権利)も生存権の中に含めることができます。

 私は、第二十五条の「健康で文化的な」という文言に注目して、体の具合が悪い時に医者に診てもらう権利と、教育(特に基礎的な教育)を受ける権利を重視しています。

 日本国憲法第二十五条は、日本国民に生存権を保障しているので、いくら努力しても生活費を稼げない人は、生活保護制度を活用することができます。また、自らの生存権が侵害されていると考える人がいれば、その人は、場合によっては国を相手取って裁判を起こすことも可能です。

 資本家階級とは簡単に言えば経営者で、労働者階級とは簡単に言えば従業員のことです。従業員の方が立場が弱いに決まっています。その上、資本主義の発展に伴いこの二つの階級の貧富の差がどんどん拡大していったということは、そのまま放置すればいずれは主人と奴隷の関係になっていったに違いありません。そうならないうちに、数において勝る労働者階級の人々が国家に介入するよう強く要求したことによって、現代版の奴隷制度は実際に成立する前に未然に防止出来ました。ですから、生存権という概念は、本来的に奴隷制度とは相対立するものであり、生存権は人間社会において最低限の平等を実現するためのせめてもの防波堤と言えます。ここが肝心な点です。