204 「二八青春」 | 御言 missing link

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 天使長圏のカイン・アベルの勝利は「長子権復帰」と表現されますが、新婦圏のレア・ラケルの勝利は「長女権復帰」と表現されます。この女性を中心として造られる新婦圏を、文先生は「海洋」、「島嶼」と表現され、女性を「船」に例えてこられました。新婦圏の最も重要な使命は、アダムのための新婦を準備し、教育することです。この天使長圏と新婦圏の基台が整えば、アダムが新婦を復帰することが可能となります。この天使長圏と新婦圏のことを、文先生は、時に「ホーム・チャーチ」と「オーシャン・チャーチ」として語ってこられました。
 何度も言及してきた「イエス様の立場の人」は、統一教会内の天使長圏の基台の上で1960年に誕生し、新婦圏形成の出発から20年後の1970年、10歳の時には新婦圏と関わりを持ち、16歳の時に新婦復帰を出発したと推測されます。文先生が16歳の時にイエス様と出会われたという内容もこの新婦復帰の出発を意味していました。「イエス様の立場の人」にとっては1975~1976年のことになります。しかし、すでに説明したように、その方が誕生した時は、文先生ご自身がキリスト教の蕩減復帰路程を歩まれていた最中であり、新婦を復帰する基台が造られていなかったと考えられます。したがって、「イエス様の立場の人」の年齢を中心として成されてきた摂理史は、どこまでも象徴路程だったということになります。すでに実現困難な内容だったのですが、後のアダムと天使長圏のために、その年齢を中心とする象徴路程を残すことが最大限可能なことであり、同時に最小限成さなければならないことでした。その意味で「イエス様の立場の人」は献祭として捧げられた立場であったと言えます。
 新婦圏の復帰は、天使長圏の復帰と少し異なります。天使長圏は、どこまでも復帰された天使長と堕落した天使長のカイン・アベルを中心とした個々の救済として成されます。その際に宗教では出家、献身などが要求されてきました。それに対して新婦圏復帰はレア・ラケルを中心とした母子一体の形で成されます。レアとラケルが子供を中心としてヤコブの愛を奪い合い、エリサベツとマリヤが洗礼ヨハネとイエス様を中心として争った内容を蕩減復帰しなければなりません。この女性の勝利圏を形成するときに、天使長圏に存在する男性たちは、口を出すことはできません。天使長の言葉にエバが従ってはならないからです。天使長の位置に立たれた文先生が、女性復帰に対して具体的に語ることも、指導できなかったこともこの原理的背景があるからでした。女性たちが御言を通して主体的に悟っていかなければなりませんでした。
 新婦圏復帰が母子一体の形で成されるため、カイン圏にもアダムの子女の立場が存在するようになります。このカイン圏の子女である二世の立場を、文先生は、時に「原理研究会」、「青年連合」などという言葉で表現してこられました。また、一世の男性を中心とする天使長圏を「宗教連合」、「カイン国連」、女性を中心とする新婦圏を「女性連合」、「島嶼国家連合」、二世を中心とする天使長圏を「アベル国連」などと表現され、二世の路程が女性復帰の路程と同時に成されることから、海洋摂理と並行して子女教育について語ってこられたのでした。また、このような天使長圏・新婦圏の中に編成されるホームチャーチで活動する人たちを「平和大使」と表現されたのでした。
 天使長圏と新婦圏は遅くともアダム12歳から一つになる準備を始め、16歳までにそれが成されなければなりません。そしてアダムとエバのために準備されたこの二つが一つになってはじめて、アダムとエバの結婚式が可能となります。それが子羊の婚宴であり、年齢にして17歳から20歳までの時期になります。この時に、それぞれ、アダムを迎えるために準備されてきた二つの基台は、新婦の立場に立つエバと一つになります。王子と王妃を育ててきた二つの国が二人の結婚により親族として、さらに強い結束を固めることになるわけです。そこで、文先生は国に例えて「天一国」と言われました。逆に、天使長圏と新婦圏が一体化できず、しかもそれぞれが不十分な基台でしかなく、それでもその基台の上に登場せざるを得なかったアダムとエバの立場を「夜の神」、「昼の神」と言われたのでした。 
 そこには怨讐関係生じるようになったわけですが、文先生は、その怨讐を超えた結婚を「交叉結婚」と言われ、それが四家庭8人家族の形態をもって成されることから「合同結婚式」と表現されたのでした。
 天使長家庭がアダム家庭に接ぎ木されるための重要期間は、17歳から24歳までです。「イエス様の立場の人」の年齢からみると、1976年から1983年までがその期間に該当します。文先生は、1976年に「ホームチャーチ」の宣言をされ、1980年から3年間続けて年頭標語に「ホームチャーチ」という言葉を使われました。この期間は私達祝福家庭の救済にとって最も重要な期間でした。この期間は、どんなに延長したとしてもエバの年齢が27歳の時までであり、それが1990年頃だったと考えられます。文先生の御言の中には、アダムが33歳の年齢を超えるまでは可能だととれるものがありますが、厳密にいえば、エバの27歳のときが、天使長家庭がアダム家庭に接ぎ木され得る最後の時であると考えられます。文先生は、エバの27歳、つまり数えで28歳の時が、天使長家庭がアダム家庭につながることができるかどうかの最後の重要な時であるという意味で「28青春」という内容について語られたことがありました。
 文先生は神霊集団を中心として歩まれた路程の延長戦上に、1960年、統一教会内に「イエス様の立場の人」を誕生させ、統一教会と海洋摂理を中心として、天使長圏と新婦圏がどのようにアダム家庭に接ぎ木され、天国を建設していくのかという公式路程を示されたのでした。その路程は、1990年になっても天使長圏が御言を悟ることができなければ延長されていく運命にありました。実際に「イエス様の立場の人」は誕生していましたが新婦が存在していなかったのですから延長されるのは初めから決まっていたようなものでしたが、「イエス様の立場の人」の存在を悟るか悟らないかはこの後の摂理に大きな影響を及ぼすことになりました。
 統一教会の祝福家庭は、結局、文先生の御言を悟ることができず、一部の人々を除いて「イエス様の立場の人」の存在を知ることもありませんでした。その一部の人々も摂理を理解することができず、その使命を果たすことはできなかったようです。
 失敗が確定的となったため、文先生は、まず、統一教会史40周年と海洋摂理史40周年を条件に、1989年に「八定式」を制定され、さらに、延長された摂理に対して、統一教会史50周年と海洋摂理史50周年を条件に、1997年、「7・8 節」を定められました。
 これらの上で、統一教会史50周年と万物の日40周年を超えた2004年の5月5日に「双合十勝日」が制定されました。このときから後天時代が始まったとのことですが、それは、同時にそれまでが先天時代であったということを表します。後天時代とは堕落前の状態に戻るということであり、エデンの園が復帰されたということを表しますが、それは逆に、2003年以前はエデンの園が復帰されていなかったということになります。エデンの園には、三人の天使長とアダムとエバが存在しました。その天使長は堕落した天使長ではなく善の天使長であり、アダムとエバも成長期間にある時でした。2004年にその状態に戻ったといことは、アダムとエバの子羊の婚宴はまだ行われていなかったことを意味します。
 私たちは、1960年が子羊の婚宴であったと信じてきましたし、文先生の御言とのギャップを感じることも、ましてやそれを埋めようと研究・努力することもありませんでした。そのため正確な摂理観を持つことができませんでした。1960年の聖婚式は、文先生が20歳の時にキリスト教の基台の上で、神様の息子として子羊の婚宴を成すべき本来の内容を、20年延長して40歳の時に取り戻されたのであって、この間に失われた20年は戻ってきませんし、その間になすべきであった内容、つまり、アダムの20代~30代において、天使長圏と新婦圏との関係において成すべきであった内容を実体で取り戻すことはできません。それは次の世代に託さざるを得ないものとして、残されることになったのでした。
 文先生は御聖婚と同時に、天使長の位置で「イエス様の立場の人」のために天使長家庭の基台編成の出発をされました。2012年に聖和された際に、「すべてを成した」と言われたのは、天使長としての環境圏をすべて取り戻したという意味であり、いわば、天地創造が終わったという意味だったと考えられます。

「10か月間、一つとなり成長しなければなりません。精子を与え、卵子を与え、母が抱きながら10か月、育て上げなければなりません。それが腹中10か月時代なのです。
 その次には、生まれなければなりません。生まれて、生涯、約百年の人生を過ごします。その胎中で体と心が一つとなり、精子と卵子が愛を中心として分かれることなく、永遠の約束の基盤の門から、表象的な家庭の出発をなし、個人として理想的であり、家庭として理想的であり、八段階の理想的・表象的な家の部屋の中で、その子供が成長し生まれるその時間が… …。
 皆さん、このみ言は、空中に浮いているみ言ではありません。父母が成していく、夫婦から家庭を成しながら、1歳、2 歳、3歳、4歳、5歳、6歳、7歳、8歳、9歳、10歳、11、12、13、14、15、16、17、18、19、20歳になります。20歳になり21歳から40歳まで。40歳になり皆が50歳まで。
 子供たちの父母は力を尽くし、父として母として、死生決断、全力投球しなくてはなりません。子供を出産する出産生活とは、命を懸けて死生決断、全力投球することです。全ての力を振り絞り、10か月が過ぎた後、子供を生まなければなりま せん。
 子供を生むと、(その子供は)この世界に、地上世界に生まれることで、約百年の約束をして生まれてきます。百年の間に人として、この地上に国を形成し、国の生活を完成させるありとあらゆることを終え、無限なる世界へと移っていかなければならないのです。その移っていく百年の歳月とは、かってに分かれることができません。一心一体となりながら、彼らが百歳になれたならば、初めて第三の世界に神様の息子・娘の位置に入籍すべき、その時間が永遠不滅の歳月なのです。そのことを知らないのです。
エデンの園で堕落し(追放し)たため、創造主はそのときに結婚式を行いませんでした。
 結婚とは何なのか。愛とは何なのか。家庭というのは、真の父母が中心となり、育成し、20歳を超えてから、23歳、24歳まで、合わせて24歳、25歳まで、28歳になれば、「二八青春(16歳前後の青春時代)」という、家庭に福の期間があります。
 そのときになれば、本来、12歳、13歳までは、男性が兄の位置で成長しますが、女性が愛を中心として情的な面において先立ちます。
 それが何かというと、子供を生むためには男性と女性の精子と卵子が出会わなければなりません。13歳、14歳になれば言うように、3月、4月。手ですれば7と3が、2×7が14で、12の峠を越えることのできる位置から初めて息子・ 娘を生むようになります。それが23歳、24歳、27歳までは、いくら生めなくても、子供を生んで育てるのに1年半あれば、3年あれば、2人を生むことができます。4年、5年で。23歳、24歳に結婚したならば、4年。27歳から28歳までには妊娠できるというのです。そのため、韓国の教訓には二八青春という言葉があります。」
(P10~12「清心平和ワールドセンター奉献式の御言」 天基三年天暦 3 月 1 日)

「この世では、『10』になって『9』に下りていくことができ、『5』に落ちていくこともできます。上がっていったり下がっていったりするので、どれほど千態万状の変化をもたらすかということです。しかし、原理原則の数理の計算法では、『10』と言った後は『19』とは言いません。再び「1」に戻って『11』になります。『19』では大変なことになるのです。逆さまになれば、めちゃくちゃになります。ですから、『10』から『21』までは、一つの段階です。……
 蘇生、長成、完成です。最も重要なものが2番目なのです。25歳までを蘇生期とすれば、50代までが長成期です。50代までに自分の出世基盤を築くことができず、50代以降に出世しようというのは、すでに枯れた落ち葉になるのです。その秋の園に行って堆肥の山の助けになるだけであって、その根と幹の助けになる時代は過ぎていったのです。高い山を見れば、山頂は何度ですか? 何度ならよいでしょうか? 『10』になれば『11』にならなければならないのと同じです。先端になれば、必ず上がっていきます。頂上から越えていくには、『10』だったものが、どのようになりますか? 『11』です。『11』になれば、下りていくのです。下りていって、また『20』まで上がります。元に戻って同じ高さになったので、山ならサインカーブです。」
(ファミリー07/3 P11~13 第24回「愛勝日」のみ言 2007年1月2日 天正宮博物館)

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