203.「済州島に行って、海洋と大陸を結んであげる祈祷をしなければなりません」 | 御言 missing link

御言 missing link

ブログの説明を入力します。

 キリスト教二世を中心とする新婦復帰(真のアダムの母復帰)の路程も、神霊集団と既成キリスト教(監理教)の不信によって失敗に終わりました。文先生は、そのような状況の中で 1954年、34歳のときに統一教会を設立されました。
 イエス様は十字架で亡くなられ、霊的天使長圏を世界的に形成されましたが、その基盤を失った文先生は、地上において世界的な基準で取り戻さなければなりませんでした。そのために、文先生は、男性型と女性型の天使長家庭の基台を、陸と海、統一教会と海洋摂理として造成・展開され、戦ってこられたのでした。

「どのようにしますか? 私が先に海洋還元祈祷をしましたが、これから大陸還元祈祷をしてあげなければなりません。済州島に行って、海洋と大陸を結んであげる祈祷をしていかなければなりません。そうすれば、私の責任は終わるのです。皆さんに任せたので、やるならやり、やらないならやるなというのです。ウルグアイで現在、家を買って宮殿のように立派に建てておきました。皆さんは働くならば働き、やらなければやるなというのです。私は今そこに行って休むのです。皆さんに任せてもよいでしょう? 問題ないでしょう?」 (主要儀式と宣布式Ⅳ 陸地還元式)

 文先生を迎えるための基台として造成されるはずであった御生誕以前の、国とキリスト教の基台は、文先生の17歳からの新婦復帰の準備に失敗し、文先生は子羊の婚宴の日を迎えることができませんでした。その後文先生は、天使長圏形成のために、25歳から神霊集団と既成キリスト教(監理教)を中心として出発しようとされました。しかし、洗礼ヨハネの立場に立つ金百文や許孝彬の失敗、さらには、監理教を中心として選ばれた崔先吉女史との離婚など、様々な局面において天使長圏の形成は延長に延長を重ねていくようになりました。
 最初は、国とキリスト教の基盤でしたが、次は既成キリスト教と神霊集団というように、失敗の後に作られる基盤は、最初に準備されたものよりも小さくなります。基盤が小さくなるということは、たとえその集団が勝利したとしても、外的環境においての影響力は小さくなってしまいます。文先生は、それを覚悟の上で、かりに小さなものであったとしても、まず、いかに天使長圏を取り戻し、整備するかということに重点を置かざるをえませんでした。
 神霊集団の摂理の失敗がほぼ確定した1947年からの文先生の路程は、1960年に向かっていました。その路程は1960年の御聖婚の日を迎えたことにより勝利されたというのが、私たちの理解です。しかし、1963年に「天勝号」という船が建造されたことの意味と、この時に後天時代が宣布されなかったということを考えると、1960年に誕生された「イエス様の立場の人」にも、復帰すべき新婦が存在しなかったと考えられます。迎えるべき天使長家庭の基台が造成されていれば、その時点で後天時代が宣布されたはずだからです。このことは「イエス様の立場の人」が、統一教会と海洋摂理を中心としてキリスト教を蕩減復帰する過程おいて誕生された方であり、2000年に誕生されたであろう真のアダムにつなげるための中間的使命を持たれた方であったと言えるでしょう。その「イエス様の立場の人」を中心としてなされた統一教会史と海洋摂理史の中にこそ、今後、真のアダムを中心として展開されるべき路程が見えてくるはずです。
 文先生は、かねてから、二番目の重要性を強調してこられました。したがって、「イエス様の立場の人」を中心として歩んだ2013年までの路程が、後の公式路程を決定づける重要な期間だったということになるでしょう。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合へ
にほんブログ村