199.「絶対的な創造主の思想と一致する思想でなければなりません」 | 御言 missing link

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 統一教会史と海洋摂理史は、文先生が天使長の位置に立ってなされた蕩減復帰歴史でした。文先生26歳からの男性を中心とする神霊集団の路程を統一教会史に連結し、30歳からのキリスト教を中心とする新婦圏の路程を海洋摂理史に連結し、その中に「イエス様の立場の人」を送り、それぞれ50年の期間を経て、二世世代を中心に三代目以降の世界を開くための路程であったと言えるでしょう。
 また、統一教会史と海洋摂理史は天使長圏と新婦圏を蕩減復帰しようとするための摂理でもあり、旧約時代と新約時代、第一イスラエルと第二イスラエルを蕩減復帰するための摂理でもありました。 この二つは、男性を中心とする三天使長と三代の女性を含むものでもあり、文先生がキリスト教を蕩減復帰するという内容と同時に統一教会の中に存在したであろう「イエス様の立場の人」を中心として展開された摂理でもありました。 
 文先生は、キリスト教を蕩減復帰するために、そのご生涯のほとんどを捧げられました。統一教会史 50年と海洋摂理史50年によって、文先生のために準備されるはずであったキリスト教を中心とする基台は失敗しない形で取り戻されたことになります。しかしながら、それは、極論すれば振り出しに戻ったということにすぎません。
 文先生17歳、27歳、30歳における新婦復帰は、キリスト教基盤の上ではなすことはできず、1960年、文先生40歳の時になってようやく新婦を復帰することになりました。しかしそれは、文先生ご自身でつくられた統一教会の基盤の上でのご聖婚でした。
 ここで私たちは一つの根本的な原則に気付く必要があります。
「アダムが結婚のための基盤を自分で作り、しかも自分の相対を自分で探し、準備する」
 ということが創造原理的にはないということです。ですから、このときの文先生のお立場はアダムではなく天使長だったということになります。さらに、天使長がアダムとの関係なしにアダムになるという原理はありませんから、天使長の位置に立たれた文先生が、ご自分で基盤を復帰されたからといって、単独でアダムの位置に戻れるという原理はないはずなのです。
 天使長家庭の基台を生まれながらにもち、その三天使長がメシヤに胎中から侍るという基準をもたなければ、天使長家庭を中心とする蕩減条件が成立したと言うことはできません。父母の位置に立つカイン・アベルとレア・ラケルの勝利圏がなければ、メシヤは17歳の時に新婦を復帰することができず、アダム家庭を復帰することもできません。メシヤであっても生まれてきた環境が影響します。もちろん、メシヤはどんな環境圏の中にあっても神様に対する絶対的信仰を捨てるわけにはいきません。イエス様や文先生がそうであったように、理想的な天使長圏が存在しなくても、その環境を必ず復帰しようと歩まれます。しかしながら、環境が整っていなければ、その環境の十字架を背負わなければなりません。アダムは天使長家庭の失敗によって堕落しました。また、イエス様はザカリヤ家庭とヨセフ家庭、そして洗礼ヨハネの失敗、さらにはユダヤ民族と十二弟子の不信によって十字架にかけられました。そしてキリスト教が使命を果たすことができない中で、文先生は第一次世界大戦後間もない混乱の韓国に生まれ、生涯、苦労の道を歩まれました。
 本来神様がメシヤのために準備する最高の環境とは、カイン・アベルを勝利した父母の家庭の基台と、カイン圏の兄を中心とした十二支派を中心として形成された国家です。しかし、その国とは、私たちが一般的に考えている国家あるいは主権復帰とは異なるようです。

「私たちが取り戻さなければならない祖国は、今日この地上にあるような、ある歴史と伝統をもった国ではありません。そのような国とは本質的に次元が異なります。次元の異なるその国を私たちが受け継ごうとすれば、そのようにすることができる思想的な主体性をもった国民とならなければなりません。その主体的な思想は、絶対的な創造主の思想と一致する思想でなければなりません。絶対者の願う国ができるためには、その国の主権を中心として、その国の国民が一致することを願わなければなりません。そのような国民性と国家形態を備えなければなりません。 一つの国が形成されるためには主権と民族と国土がなければなりません。天国もやはり同じです。主権を代表したものが父母であり、民族を代表したものが息子、娘であり、国土を代表したものが国です。このうちのどれ一つとして除くことができるものはありません。これは鉄則です。」 (環太平洋摂理 P339)

 私達は「メシアを迎えるために必要な国の基盤、つまり主権復帰」「真のアダムを中心とする国」を同じものとしてとらえてしまっていないでしょうか。前者は
「今日この地上にあるような、ある歴史と伝統をもった国」
 を復帰しようとすることです。後者について文先生は
「そのような国とは本質的に次元が異なります」
 と言っておられます。
 もし、今私達が目指しているものが前者であるのなら、「メシアはまだきていない、これから来る」ということになります。
 基盤をつくるのは神様と天使長、その基盤の上に誕生するのが真のアダムとエバ、天使長はそのアダムとエバとの関係なしに、完成期には進めない、というのが原理です。
 実質、私達は、いまだ、天地再創造のために動員されている天使長・天使の立場であるというのが、客観的事実です。

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