192.「私も16歳の時、母と父が結婚させると噂になりました」 | 御言 missing link

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 イエス様同様、文先生にも、16~17歳の時に新婦を復帰すべき原理的事情があったようです。

「私も16歳の時、母と父が結婚させると噂になりました。有名な病院の家で美人の娘でした。16 歳の私は、男としてそれが嫌ではありませんでした。(笑)それで見合いをするのに夜明け前に起きて庭に出た記憶が思い出だされます。男はそのようなことをいくら言っても否定することができない軌道があることを知りました。このような話をしたりしたら..‥‥‥。 私が恥ずかしい話をたくさんすれば、日記に全部記録して歴史編纂委員会(史報)に出てくるかと思って話ができないのです。(笑) (歴史編纂委員会は)ない話も書いていました。形容詞、副詞のようなものを付けて、刺激的な言葉が抜けたので、副詞をつけるとか形容詞を加えて、これでこうしたという、そのようなこともみなするのです。楽しいでしょう? 面白いですか? (「面白いです」)面白ければいいのです。」 (「み言葉選集」308 巻)

 さらに、文先生は、晩年、次のように語られています。

「“イエス”と呼ばれるものが私の所へ来て『ヨンミョン兄さん』と言った。それは私が17歳の時の2月だった。私が世の中の相対的関係について知るようになったのは私が17歳になった時の2月だったのである。」(2012年6月20日 第50回 真の万物の日、第58回HSA-UWC創立記念日)


「私がそのような人生を生きていた間、17歳になり、イエスと言われる人が私の所に来てこう呼んだ。『龍明お兄様』。 私はその頃日本人たちのゆえに、自分の韓国名を使っていなかったが、彼はその名を知っていた。私は彼にこう言った。『私が今日ここに来たのは、あなたと結婚式に参加するためです。あなたにとって難しいこととなるでしょうが、私と一緒に行って結婚することをどう思いますか?』」(2012年7月16日 訓読会)

「私が17歳の時、2月にイエスが突然現れ、私を『龍明お兄様』と呼び、『祝福に行きましょう』と言った。彼は、夜の神様と昼の神様が分かれて争っていることを知っていたのだろうか? 私は、彼が誰かを特定するため、『あなたは誰ですか』と聞いた。すると彼は微笑んで言った。『もう知っているのになぜ聞きましたか? 時がくればまたきます。もしあなたが聞いてくれないなら、私があなたを捕まえるか、私が捕まえられるかどちらかを選ばなければならない。』」(2012年7月16日 訓読会)

 わかりにくい御言ですが、事情や理由は別として、文先生16~17歳での新婦復帰はなされなかったことは確かです。このとき成されるべきであったのが、天使長家庭の基台の上での本来の「子羊の婚宴」だったはずです。それがなされなかったということは、天使長家庭基台の喪失ということがすでに起こっていたということになるでしょう。
 文先生の行かれた道は、再臨主・真のアダムとして、本来の理想的な道筋とはあまりにもかけ離れた現実の中で、その理想を脇において、それとはまったく別の、犠牲的天使長の道を行かざるを得ないというものでした。
 それは、勝利の後、ご自身が真のアダムの位置、本来の再臨主の位置に戻るための苦労ではなく、次の世代に真のアダムを送るためのものでした。ここにどれほどの天の無念さがあるのかを知らなければならないかもしれません。
 さて、統一教会と海洋摂理の二つは、真のアダムを迎える基台として必要不可欠なものでした。
 1960年に誕生されたはずの「イエス様の立場の人」が33歳になった年は1993年でですが、その翌年、統一教会は家庭連合と名称をかえて新たに出発しました。このことは、結果から見て、文先生が送った真のアダムに対して、統一教会がその基台としての役割を果たすことできず、「イエス様の立場の人」が完全に統一教会との関係を断って、公生涯を出発したということを意味すると言えそうです。それは「イエス様の立場の人」が天使長の立場に立って、新たに次の世代のための基台を作ることを意味し、文先生は、それを国家的・世界的に連結するための基盤として家庭連合を再編成しようとされたということを表します。
 この頃、「祝福家庭の双による序列はなくなった」という言葉を聞きました。これは文先生を中心とする序列から、「イエス様の立場の人」を中心とする再編成が成されるようになったからだと考えることができます。ですから、1993年以降の文先生の摂理は 3 代目のための国家的・世界的な基盤づくりを目指すものだったと言えるでしょう。
 また、以前「船」は女性を象徴すると言いましたが、1963年に「天勝号」という船が建造されていることから、この年に、「イエス様の立場の人」の相対となるべき女性が誕生した可能性があります。
 1963年から40年後は2003年であり、この翌年、2004年5月5日に、文先生は「双合十勝日」を制定されました。さらに 1963年から50年後の2013年1月13日に文先生は「基元節」を定められました。
 また、1946年の天使長圏の出発から40年目に当たる1986年と、1950年の新婦圏の出発から40年目に当たる1990年の中間の年にあたる1988年に「世界統一国開天日」(長子権復帰)を制定され、同年10月31日 に6500 双の祝福が成されました。また1989年8月31日に八定式(天父主義)を宣布されました。 文先生が、6500双の祝福を「交叉祝福」と表現された理由の一つは、このような天使長圏と新婦圏の40年路程が交差する背景をもって成されたことだったからだと考えられます。

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