51.「堕落しなかった僕の息子たちが現れなければならないのです」 | 御言 missing link

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 原理講論では復帰摂理歴史の三段階を「復帰基台摂理時代」、「復帰摂理時代」、「復帰摂理延長時代」という三段階で区分し、それぞれ「象徴的同時性の時代」、「形象的同時性の時代」、「実体的同時性の時代」である、と言っています。アダムからアブラハムまでの聖書史2000年間が復帰基台摂理時代、アブラハムからイエス様までの2000年期間が復帰摂理時代、イエス様から再臨主を迎えるまでの2000年期間が復帰摂理延長時代です。
 それに対し、文先生は、旧約時代、新約時代、成約時代という三つの区分で語られています。

「歴史的な復帰路程を総括的に見ると、神様は今まで蘇生、長成、完成の三段階を通して摂理してこられたということが分かります。旧約時代の僕の時代、新約時代の養子の時代、成約時代の真の子女の時代を越えて、真の父母の時代になるという復帰路程なのです。旧約時代の全人類に対する救いの摂理は僕の立場での救いでした。それゆえこの時代は、初めから終わりまで残って勝利することができる中心を立てなければ、僕としての復帰基台を立てることができませんでした。それゆえ神様はノアやアブラハムなどの中心人物を立てて4000年という歴史を導いてきながら多くの犠牲を払われました。」 (真の神様 P165)

 文先生は、
「歴史的な復帰路程を総括的に見ると、神様は今まで蘇生、長成、完成の三段階を通して摂理してこられたということが分かります。」
 と言われ、続けて
「旧約時代の僕の時代、新約時代の養子の時代、成約時代の真の子女の時代を越えて、真の父母の時代になるという復帰路程なのです。」
 と言っておられます。
「蘇生、長成、完成」に対応するのは、「旧約の僕の時代、新約の養子の時代、成約の真の子女の時代」だと理解できます。最後の「真の父母の時代になる」というのは「直接主管圏の時代を迎える」と考えてよいでしょう。
 また、文先生は、原理講論の「復帰基台摂理時代」と「復帰摂理時代」を、同じ「旧約時代の僕の時代」として括っておられるようです。そして、「復帰摂理延長時代」を「新約の養子の時代」とし、再臨主を迎え、再臨主と共に歩んでいく時代を「成約時代」としておられると理解することができます。
「僕」「養子」「真の子女」という言葉には、神様と人間との間の縦的な愛の関係がその中心にあります。つまり、上の文先生の三段階の区分は「縦的な愛」を完成していく過程に着目した概念だと考えられます。
 猿人、原人、旧人、現生人類という人類の進化の過程の中で、初めて縦的な愛を完成する立場に立っていたのがアダムでした。しかしながら、堕落によってそれができず、神様は、地上に縦的愛の完成者として、新たなアダムを送らなければなりませんでした。そのアダムが、救援摂理という観点からみたときのメシアであることは言うまでもありません。そして、そのアダムを迎える前には必ず天使長が必要で、その天使長が、あらかじめアダムを迎える環境を準備する役割を担っていました。
 そのような観点から見ると、上の御言の中にあった「旧約の僕の時代」とは、地上にアダムを迎えるための準備として、天使界を造成する期間であったと言うことができます。そのためには、まず、地上に堕落しなかった立場の天使長を立てなければなりません。それを、復帰摂理歴史において最初に勝利したのがヤコブでした。
 少々長いのですが、御言選集55巻の中にある次の御言をお読みください。

「サタンは天使長であるために、アダムは天使長より高いレベルにいるのです。そうでしょう。天使長が僕であれば、アダム・エバは神様の直系の子女であるために、高いレベルにいるというのです。
 神様はアダムを直接主管するようになっており、天使長を直接主管するようにはなっていません。このような観点から見た時、堕落した世界の個人から家庭、氏族、民族、国家を復帰しなければならないということですが、堕落した世界は、神様が主管できる世界にはなっていないのです。サタンが主管する天使長圏世界が堕落した世界なのです。ですから神様が主管する世界に分立しなければなりません。
 では、分立しなければならない原因はどこにあるでしょうか? 神様がアダムを創造する時に、天使長を通して創造したのです。ですから、分立しなければならないのは、天使長の立場なのです。アダムを創造する時、天使長は神様の相談相手でした。これが天使長の立場なのです。アダムを創造することに協助できなければ、サタン側になるのです。このような原則によって、協助する立場に立てば神様が取るのであり、協助することができなければ、原理から離れて非原理的なサタンが管理するようになるのです。ですからサタン世界で原理的な立場に立てば、神様が奪ってくることができるのです。アダムを再創造できる要素と環境の因縁を提示する条件さえ立てれば、奪ってくることができるということです。
 こうして、人間が堕落以降4000年の歴史を通して摂理されてきたのがユダヤ教の歴史なのです。僕の歴史は、神様を主人と呼ぶことができるのですが、僕の僕の時代には、僕を主人と呼ぶのです。その僕にもなれず、僕の僕の前に主人になることもできないのです。それと同じような立場を経なければなりません。
 養子圏が現れるには、そのような過程を経なければならないのです。僕の時代から、養子の時代に進んでいかなければなりません。では、僕の僕時代から僕の時代に入る時代はいつでしょうか? それはヤコブからです。ヤコブの時代に初めて、イスラエル民族が現れますが、これらはサタンの息子ではなく、復帰した天使世界の息子と同じなのです。
 このようにして復帰してきたのが、イスラエルの歴史です。サタン圏を逃れるためには、サタン圏よりも上でなければなりません。天使長が堕落したことによって、死亡圏がつくられたのです。堕落することによって、個人もサタン圏内に入り、家庭もサタン圏内に入り、氏族もサタン圏内に入り、民族もサタン圏内に入り、世界もサタン圏内に入ったのです。
 天使長が堕落することによって人類はどうなったかというと、堕落した天使長の子孫になってしまいました。堕落した天使長の子孫は非原理の形であるために、神様はどうすることもできません。それで、堕落しなかった天使長の子女と同じ立場に復帰させたのが、イスラエル民族なのです。分かりますか? そして、堕落した天使長の息子と、堕落しなかった天使長の息子とが戦って、誰が勝ち残ったのでしょうか。
 堕落した天使長の息子が勝っても、神様の前に帰ることはできないというのです。堕落しなかった天使長の立場にいる人、神様が選んだ民が堕落したサタン世界の非原理級にいる人たちよりも進んでいかなければなりません。堕落した僕を追い出し、堕落しなかった僕の息子たちが現れなければならないのです。」 
(御言選集55巻「今後我々は何をなすべきか」)

 赤文字にして強調した部分に注目して下さい。その部分を抜き出してみます。

「サタンが主管する天使長圏世界が堕落した世界なのです。ですから神様が主管する世界に分立しなければなりません。」
「分立しなければならないのは、天使長の立場なのです。」
「アダムを再創造できる要素と環境の因縁を提示する条件さえ立てれば、奪ってくることができるということです。」
「僕の僕時代から僕の時代に入る時代はいつでしょうか? それはヤコブからです。」
「堕落しなかった天使長の子女と同じ立場に復帰させたのが、イスラエル民族なのです。」


 これらをまとめると、
「サタンが主管する天使長圏世界から、神様が主管できる世界を分立しなければならない。それをするのは天使長の立場である。天使長は、アダムを再創造できる要素と環境の因縁を提示する条件を立てなければならない。それができる天使長として初めて立ったのがヤコブであり、神様が主管できる天使長圏世界として復帰させたのがイスラエル民族である。」
 となるでしょう。
 復帰摂理歴史に展開された選民史は、実はアダムを迎えるための天使長圏世界の歴史だったとも言えます。それを指導し、導いてきた中心人物の原理的立場は堕落しなかった天使長です。神様だけが主管することのできる善の天使界を分立し、それを拡大する過程が選民の歴史でした。そのことを
「堕落した天使長の息子が勝っても、神様の前に帰ることはできないというのです。堕落しなかった天使長の立場にいる人、神様が選んだ民が堕落したサタン世界の非原理級にいる人たちよりも進んでいかなければなりません。堕落した僕を追い出し、堕落しなかった僕の息子たちが現れなければならないのです。」 
 と表現されたのだと思います。そして、その過程おいては、苦労・苦難は常に避けられないことでした。ですから、その先頭に立つ中心人物たちは犠牲の道をたどってきたわけです。それは、キリスト教基盤喪失後の文先生のご生涯の大半も同じでした。

「宗教はすべて否定の道を行くようになっています。人類を救う道は元に帰る道であり、それが宗教です。」 (祝福 79号 11p 救援摂理史の主流責任 1993年 6月 4日 アラスカ)

 ところで、上の御言の三分の一ほどのところに、
「アダムを創造する時、天使長は神様の相談相手でした。これが天使長の立場なのです。アダムを創造することに協助できなければ、サタン側になるのです。このような原則によって、協助する立場に立てば神様が取るのであり、協助することができなければ、原理から離れて非原理的なサタンが管理するようになるのです。」
 とあります。また、終わりの方には、
「堕落しなかった天使長の子女と同じ立場に復帰させたのが、イスラエル民族なのです。」
 とあります。
 選民とは天使圏であり、その中心である天使長は、「アダムを創造することに協助」する役割があったということになります。統一教会も、御言によれば、もともとは、第三イスラエルであり、選民でした。では統一教会内において、誰か、「アダムを創造することに協助」する役割を果たした人がいるのでしょうか。何度も言いますが、このアダムとは文先生のことではありません(文先生のことを「真のアダムではない」と言っているわけではありませんので誤解しないでください)。文先生が造られた統一教会に伝道されてきた人間が、「文先生を創造することに協助」など不可能だからです(ただし、ここに象徴的な意味を問えば話は別かもしれませんが)。
 果たして「アダムを創造することに協助」することができたという人はいるのでしょうか。そして、現在、地上に正真正銘の真のアダムと言える人はいるのでしょうか。特定の真のご子女様だと言う人もいるでしょう。ここではそれを否定しませんが、問題は、真のアダムとともに完成した天使長が存在するのかということの方にあります。真のアダムが、「本当によくしてもらった」と感謝する位の天使長家庭、真のアダムと同等の立派な人格と家庭を形成させた天使長家庭が存在するのかということです。
 上の御言は、遠い昔の話に限定されたことなのでしょうか。
 現在の教会の方向性が、
「アダムを創造することに協助できなければ、サタン側になるのです。協助することができなければ、原理から離れて非原理的なサタンが管理するようになるのです。」
 となっていなければよいのですが。

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