「カインと一つになって、サタンを屈服させて、そのサタンが順応できる立場に立たなければなりません。」
「アベルという名前は、カインを復帰してこそ設定されるのです。」
「アベルを中心として、神様は何を願っているかというと、アベル自体が、堕落しなかった天使世界、つまり堕落しなかった天使長を身代わりしてあげることなのです。」
「アベルは父母を探すために協助しなければなりません。つまりアベルの立場は、神様がアダムを創造する時に協助した天使長の立場と同じだということです。」
「その前には、必ずカインがおり、サタンがいるのです。これらを屈服させなければなりません。」
「その次にアベルのすることは何かというと、父母を復帰しなければなりません。堕落しなかったアダム・エバを再創造することの、中心的役割を果たさなければなりません。」
「神様と人間の間の隔りをつなぐ役割をしなければなりません。」
「アベルは何を解放すべきかというと、第一に、カインを解放しなければなりません。次は、父母を復帰するために、完全な基盤を立てなければなりません。」
「父母の前に、サタンの讒訴を許す立場に立っては、アベルとしての責任を果たしたとは言えないのです。」
「アベルの使命を果たした人は、サタンの讒訴を受ける立場に立ってはいけないのです。」
「アベルは父母を復帰するためにも、中心的な責任を果たさなければなりません。」
「復帰の中間的な責任を持たなければなりません。」
「そのためにアベルは、父母の実体と心情を復帰することにおいて、残された讒訴条件をすべて蕩減しておかなければなりません。」
「アベルの立場はどんな立場かといえば、天使長の立場です。では、どんな天使長かといえば、堕落しなかった天使長なのです。」
「血を流したのは、カインではなくアベルなのです。アベルが打たれてきたのです。」
「アベルとは、第一にカインを復帰しなければならないし、第二に父母の実体と心情を復帰しなければなりません。」
「神様の実体を蹂躙し、心情を蹂躙したので、アベルはこのような事実を蕩減するために、その実体が犯されなければならないし、自分のあらゆる希望が蹂躙されなければならなかったのです。」
「天使長が責任を完成することができず、アダムが堕落することによって、そのような結果がもたらされたために、神様は今日の世界に一つの中心存在を立てて、それを再び蕩減させようとしているのです。そのような立場が、アベルの立場なのです。」
「アベルは神様を絶対視する立場、神様のためにそのような立場に立つようになれば、天使長の立場で神様の愛を受けることができるのです。」
「愛は先に誰が受けたのかといえば、天使長だったのです。ですから、アベルは復帰の道において、誰よりも神様から愛される立場に立たなければならないし、そのためには、誰よりも犠牲になる立場に立って、天使長の失敗を復帰する立場を果たさなければなりません。」
「天使長は、自分の所有と全権限を誰に渡さなければならないかというと、アダムに渡さなければなりません。これと同じく、歴史時代にアベルも、自分の命を完全に犠牲にする立場に立って、一つの希望である主を中心としていかなければならないのです。」
「天使長の願いは何かというと、再創造の復帰歴史を経ながら、天使長級にいる人たちができなかった真の父母の因縁を完遂させてあげなければなりません。」
「そのアベルは天使長と同じ立場であり、天使長の願いは、堕落せずに完成した人類の真の父母がこの地上に現れることです。」
「あらゆる存在は結局、真の父母との因縁を完成させるためにあるのであり、自分のみ旨のためにあるのではありません。ですからアベルとして、祭物を連結させてきたのが、今までの宗教の歴史であるということを、皆さんは知らなければなりません。」
さらに、ここから鍵となるワード、フレーズを取り出してみます。
「サタンを屈服させて、そのサタンが順応できる立場」
「アベル自体が、堕落しなかった天使世界、つまり堕落しなかった天使長を身代わりしてあげる」
「父母を復帰」
「神様と人間の間の隔りをつなぐ役割」
「アベルは、父母の実体と心情を復帰することにおいて、残された讒訴条件をすべて蕩減」
「第一にカインを復帰し、第二に父母の実体と心情を復帰」
「アベルはこのような事実を蕩減するために、その実体が犯されなければならないし、自分のあらゆる希望が蹂躙されなければならなかった」
「神様は今日の世界に一つの中心存在を立てて、それを再び蕩減させようとしている。そのような立場が、アベルの立場。」
「アベルは神様を絶対視する立場」
「誰よりも神様から愛される立場に立たなければならないし、そのためには、誰よりも犠牲になる立場」
「自分の命を完全に犠牲にする立場」
「天使長級にいる人たちができなかった真の父母の因縁を完遂」
「願いは、堕落せずに完成した人類の真の父母がこの地上に現れること」
いかがでしょうか。歴史上、このような内容が当てはまる人物はいたのでしょうか? あるいは、この通りに歩んだ人はいたのでしょうか?
‥‥まず神様から誰よりも先に愛を受ける立場に立ち、アダムを迎えるための準備を整える。やがて、アダムが来たら、自分が今まで苦労して築き上げたすべてのものをアダムに捧げる。それまで、サタンを屈服させ、神様と人間の間の隔たりをつなぐ役割をする。人類の真の父母がこの地上に現れることを願いながら、残された讒訴条件をすべて蕩減する。そして、誰よりも犠牲になる立場に立って、時には、自分の命さえ犠牲にする覚悟で、天使長級にいる人達を真の父母との因縁の完遂まで導く。‥‥
こんなこと、歴史上にできた人がいなかったから今日があるわけです。では現代において、その内容をわかってできた人が、果たしていたでしょうか?
「アベル」という言葉、「天使長」という言葉にとらわれる前に、もう一度、成さなければならない内容に目を向けて考えてみてください。上で確認したようなことが、神様を思えばこそ、わかってできた人がいたとしたら‥‥‥。今更言うまでもないでしょう。
文先生は、上で確認した「アベルの使命・責任、立場」をすべて全うできた人物がいなかったことをご存じでした。しかも、ご自身のために直接準備された人々も結局できませんでした。その現実に直面した文先生の胸中にあった思いは、今回確認してきた『御言選集55巻』の中にあった次の一言に込められていると言っていいのではないでしょうか。
「アベルを中心として、神様は何を願っているかというと、神様は再創造の歴史を立てるために、アベル自体が、堕落しなかった天使世界、つまり堕落しなかった天使長を身代わりしてあげることなのです。」
「身代わりしてあげる」というこの表現にこめられた文先生の神様への深い思いを感じざるをえません。
文先生は、1972年代、このアベルに関するみ言葉を語りながら、当時の文先生の事情および原理的立場を、間接的にではありますが、切々と説いておられたと言えます。
人によっては受け入れがたいことかもしれませんが、少なくとも、この当時、文先生の原理的な立場は、「再臨のメシア」、「第3のアダム」から降りられて、「アべル」、「天使長」の立場だったということになります。
キリスト教基盤の喪失は、私達が思っている以上に重大なことだったのかもしれません。興南での苦難等で、生きて十字架を超え、文先生ご自身が全てを蕩減されたとしても、創造理想完成の一番の中心である家庭の完成にかかわる年代は、いつでもいいというわけではないと思います。失われたその時間だけは、どんなことをしても取り戻すことはできません。旧約聖書に登場するヤコブのときもそうでした。そのこととに関する私達の原理的認識は、あまりにも甘かったと言わざるをえません。
上で、重要だとして抜き出した御言の最後には、
「あらゆる存在は結局、真の父母との因縁を完成させるためにあるのであり、自分のみ旨のためにあるのではありません。ですからアベルとして、祭物を連結させてきたのが、今までの宗教の歴史であるということを、皆さんは知らなければなりません。」
とありました。
文先生といえども、ご自身のみ旨、すなわち、創造理想としての家庭完成のために生きることはできなかったということなのでしょうか。祭物となることを優先して‥‥‥。
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