14. 地上の天使長 | 御言 missing link

御言 missing link

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 先回の主な内容は、
「文先生が天使長について語られたとき、そこには二つの意味があったのではないか。一つは聖書に登場する文字通りの天使長。もう一つは、地上でメシアおよびその家庭を保護するための家庭。後者は実際は人間であり、特に、文先生が『天使長家庭』という言葉を使われたときは後者のことを言っておられたのではないか。」
 というものでした。
 次の御言は、先回も提示しました。「神様から愛された天使長たちが成すべきであったことと、文先生から愛された36家庭の先生方が成さなければならなかったことが、同じ内容であった」
 という意味のことを言っておられます。

「アダムは誰が教育しなければならないのでしょうか。神様が教育するのではありません。天使長たちが教育しなければなりません。保護育成しなければなりません。結婚するときまで大切に、傷つかないように管理指導して教育すべき責任が天使長にあったのです。その原則に統一教会も従わなければ蕩減復帰完成ができないので、私は三十六家庭を立てて自分の息子以上に愛しました。」 (真の神様 P172)

 また、イエス様のときの天使長家庭について、次のような御言があります。

「マリヤが、イエス様のみ旨を中心としてイエス様と一つにならなければならないのです。そうなれば、男性の天使長の立場に立ったヨセフが協助するようになるのです。そうしてこそ、堕落することによって僕の立場に落ちたアダムとエバが、息子、娘の立場に復帰されるのです。アダムとエバが天使長と一つになることによって堕落したので、天使長が復帰された立場に立ってこそ、イエス様もイエス様の妻も復帰されるのです。その復帰された立場に立つべき天使長夫婦がヨセフとマリヤです。彼らはイエス様が完成できるように協助してあげなければなりませんでした。 (イエス様の生涯と愛 P119 1971年1月1日)

 上の二つの御言の中の
「保護育成しなければなりません。結婚するときまで大切に、傷つかないように管理指導して教育すべき責任が天使長にあったのです。」
 という内容と
「天使長が復帰された立場に立ってこそ、イエス様もイエス様の妻も復帰されるのです。その復帰された立場に立つべき天使長夫婦がヨセフとマリヤです。彼らはイエス様が完成できるように協助してあげなければなりませんでした。」
 という部分は、同義の内容だと言っていいでしょう。
 ところで、私達食口は、
「人間始祖アダムとエバが誕生した当時は、この二人以外に人類は存在せず、あとは霊的な存在として、天使・天使長がいただけである」
 と信じています。
 キリスト教から引き継いだ考え方と言っていいでしょうが、これをそのまま受け入れる人は、統一教会の外ではきわめて少ないのではないでしょうか。
 一般的には、人類は、猿人、原人、旧人類、新人類(現生人類)という過程を経て今日に至っていると言われています。旧人類として有名なのはネアンデルタール人であり、新人類(現生人類)の最初の存在として有名なのはクロマニョン人です。旧人類であるネアンデルタール人は旧石器時代に相当する時代を生き、火を使っていたというのが定説です。また、現生人類であるクロマニョン人は後期旧石器時代に属し、洞窟壁画で有名です。
 主流の学説では旧人類であるネアンデルタール人は我々の直系先祖ではなく別系統の人類であり、現生人類であるクロマニョン人はそのまま現代人へと遺伝的につながっているとされています。つまり、素直に考えれば、アダムとエバはこの現生人類の最初の先祖だったということになりそうです。これだけの話では確定はできませんが。
 また、「たとえ、遺伝的に異なるとしても、アダムとエバは、現生人類のもっと前の人類だ」という考え方も全面的に否定はしません。現代の科学で提言されていることが真実のすべてとは限りませんから。
 なお、現生人類の祖先であるクロマニョン人と私達の直系先祖ではないネアンデルタール人は共存していた時代があったとも言われています。
 それでは、このような過程の一体どこで人類始祖としてのアダムとエバが誕生し、しかもアダムとエバ以外には人類は存在しないという状況がつくられたというのでしょうか。言葉を話したのもアダムとエバが最初であり、神と一問一答できたのもアダムとエバが最初であり、霊人体を有するようになったのもアダムとエバが最初であり、そのアダムとエバを生み出した存在は、人間とはいえないような存在で、アダムとエバを生んだ後はどこかに消えてしまって、アダムとエバの周辺にはいなかった。あるいは、人間とはいえない動物同様の存在なので、アダムとエバの意識からはいつしか消えてしまった。かりに見かけたとしても動物としてしか認識しなかった‥‥‥。
 いろいろな憶測が可能でしょうが、原理講論でカッチンカッチンに固まった頭を少しだけ柔らかくして、もっと自然な考え方をするとどうなるでしょうか。
 動物でさえ、その子供が成長するある時期まで、家族を形成し、その子を保護するものがあるぐらいですから、人間も家族・家庭という囲いの中で保護され、成長するというのが自然な考え方なのではないでしょうか。極端な言い方をすれば、サルから突然変異的に、アダムとエバが誕生したとは考えくいということです。長い年月を経て、代を重ねて少しずつ愛が成長し、その上で神の愛の完成のための最終段階として選ばれたのがアダムとエバが誕生した家庭だったと見ることができるのではないでしょうか。つまり、アダムとエバにも家族がいたということです。家族だけでなく親族もいて、小さな社会を形成していたかもしれません。それがアダムとエバを保護する天使長家庭としての役割をもっていたと考えることができます。
 誕生するメシアを保護する天使長家庭が地上に存在したように、アダムとエバが誕生する時にもそれを保護すべき天使長家庭が霊界の天使以外に地上に存在したのではないかということです。
 そうなると、ここで、考え方の転換をしなければならない必要性が出てきます。
 メシアを地上に迎えるために必要とされた摂理は、そのまま、アダムとエバの時にもあったということです。
 私達は、メシアは堕落人間を創造本然の人間に復帰し、彼らを連れて天国に行くと学んできたと思います。ですが、先回の記事の中に次の御言がありました。

「エデンの園において、神様を中心としたアダム、エバ、天使長がいたのです。アダムとエバが完成して天国に入る時に、天使長もアダムとエバに従って天国に入るようになっていたのです。愛を通して入るところが天国なのです。天使長は神様の愛とアダムの愛を受けて一緒に入るべきだったのです。これが創造の原則なのです。ですから、天使長を愛さなければ天国に入ることができないのです。」  (ファミリー93/5 P17 勝利された真の父母様 1993年1月26日 ワールドミッションセンター)

 さらに、次のような御言もあります。

「本来アダムとエバが堕落しないで、責任分担を完遂して神様と愛の一体圏内で天地が一体化して勝利的基盤を築いたというときは、神様とアダムが一つになったその愛の圏内で天使長を連れて天国に行くのです。それが道理です。それが原則です。(罪と蕩減復帰 P17)

 ここで語られている「天使長」が上で述べた地上の「天使長家庭」だという可能性があると考えて、読んで頂けたらと思います。
 文先生は

「アダムとエバが完成して天国に入る時に、天使長もアダムとエバに従って天国に入るようになっていたのです。」
「天使長は神様の愛とアダムの愛を受けて一緒に入るべきだったのです。」
「神様とアダムが一つになったその愛の圏内で天使長を連れて天国に行くのです。」

 と言っておられます。これは、上で申し上げた
「メシアは堕落人間を創造本然の人間に復帰し、彼らを連れて天国に行く」
 というのと、形態的には同じではないでしょうか。
 しかも、文先生は
「これが創造の原則なのです。」
「それが道理です。それが原則です。」
 とさえ、言っておられます。
 したがって、
「アダムとエバのときにも、その周囲にはたくさんの未完成な人間がいて、アダムとエバが彼らを愛することを通して、神の愛の完成が成されるようになっていた」
 と考えることができそうです。そして、それは私達が理解しているところの
「メシアを中心として成される復帰の過程」
 と相似形をなしているということが言えるのではないでしょうか。
 しかも「これが創造の原則」として。
 そうなると、今回の最初の御言の中にある
「天使長たちが教育しなければなりません。保護育成しなければなりません。結婚するときまで大切に、傷つかないように管理指導して教育すべき責任が天使長にあったのです。」
 という内容に戻ってみると、メシア家庭との関係において、この内容を勝利しているとは言えない地上の天使長が、そこをスルーしたまま本然の人間になれる道が開かれている、と信じるのは、「これが創造の原則なのです」、「それが道理です」という御言からして、かなり甘い考えなのではないかと考えざるをえません。また、誰かが人類を代表して、その天使長的責任を勝利したというのであれば、その時代的恵沢を受けるということはあり得るかもしれませんが、家庭連合内で現実に展開されている様相は、そのような勝利の事実がなかったことを証明していると言えるのではないでしょうか。
 どこかで勝利の基準が立つこと、あるいはすでに成されていることを願います。

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