64.「起源節」 → 「基元節」の一つの視点 | 御言 missing link

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 次の御言は「成約時代」に関するもので、第61の記事でも提示しました。この中に、もう一点注目したい部分があります。

「私たちの願いは、この蕩減の三代を過ぎて第4次アダム圏解放の時代である地上・天上天国の到来を結論づけることです。私たちはそれに向かって前進しているということを、皆さんはよく知っていることと思います。
 この時代において私たちは、『成約時代が到来した』ということを宣布しました。『旧約』とは何かといえば、人間が神様との約束を成し遂げることができなくて失敗したので、その昔の約束を取り戻すための始まりを意味するのが旧約ということです。
 また、『成約』とは、その約束を成し遂げようとするためにメシアが来られて、それを成就するということです。その基本の単位は家庭を指します。そのような家庭単位が成し遂げられなかったので、『再臨』という言葉を中心として、世界的舞台に立って世界平和というスローガンを掲げて、世界地上天国を受け継ぐことのできる世界統一圏に向かっていくのです。そのように、家庭的完成を世界的に編成して、終えるべき『再臨時代』があるということを私たちは知っています。その時代を、私たちは『成約時代』と呼ぶのです。
『成約』ということは、“約束を成就する”ということです。それは、どのようなことかといえば、私たちが何か、国を建てて独立の国を祝賀するというのではなく、また、天上天国を建てて、天国創建を祝賀するというのでもありません。 
 それは、神様がいちばん祝賀され、迎えられたかった日が起源となっています。神様と神様の息子、娘を中心として、神様が創造理想を願われていた家庭完成を祝賀する日が起源なのです。神様ご自身が、その日を迎えることを待っておられたのであり、それが始まりであったという事実を、皆さんは知らなければなりません。」
(ファミリー98年9月 P7 世界平和統一家庭連合 世界副会長就任式における御言 ニューヨーク)

 中ほどで、「成約時代」について、
「家庭的完成を世界的に編成して、終えるべき『再臨時代』があるということを私たちは知っています。その時代を、私たちは『成約時代』と呼ぶのです」
 と言っておられます。そこをふまえた上で、注目して頂きたいのは最後の部分です。最後の段落の1行目に「起源」という言葉があります。
 成約時代の起源は、
「神様がいちばん祝賀され、迎えられたかった日」
「神様と神様の息子、娘を中心として、神様が創造理想を願われていた家庭完成を祝賀する日」

 だと言っておられます。そして
「それが始まりであったという事実を、皆さんは知らなければなりません。」
 と結んでおられます。
 この点を押さえたうえで、もう一度赤文字の部分を中心に読んでみて頂けたらと思います。

「私たちの願いは、第4次アダム圏解放の時代である地上・天上天国の到来を結論づけることです。」
「この時代において私たちは、『成約時代が到来した』ということを宣布しました。」
「『成約』とは、その約束を成し遂げようとするためにメシアが来られて、それを成就するということです。その基本の単位は家庭を指します。」

「家庭的完成を世界的に編成して、終えるべき『再臨時代』があるということを私たちは知っています。その時代を、私たちは『成約時代』と呼ぶのです。」
「『成約』ということは、“約束を成就する”ということです。」
「それは、神様がいちばん祝賀され、迎えられたかった日が起源となっています。神様と神様の息子、娘を中心として、神様が創造理想を願われていた家庭完成を祝賀する日が起源なのです。神様ご自身が、その日を迎えることを待っておられたのであり、それが始まりであったという事実を、皆さんは知らなければなりません。」



「基元節」ついては、2011年10月17日 清平天正宮での訓読会において、
「以前は起源節、今は基元節」という説明(金孝律氏)がありました。
 最初は「起源節」でした。それが「基元節」になったとのことです。
 私は、文先生が、
「起源節としたけれど、これは、やっぱり基元節の方がいいや」
 と思って、訂正されたとは思えません。
 意味があって、2段階にして発表されたと考えています。
 文先生が使っておられる「起源」という言葉の定義が、上の御言と同じであれば(同じはずだと思いますが)、
「起源節」とは、成約時代の起源、すなわち、
「神様がいちばん祝賀され、迎えられたかった日」
「神様と神様の息子、娘を中心として、神様が創造理想を願われていた家庭完成を祝賀する日」

 となるはずです。ですから、まずその日が近い将来くることを宣言されたという可能性があります。ただし、これは、第44「ザカリヤの立場にまで降りられて」で述べたように、文先生の神様に対する思いを察するに、真のご父母様のご聖婚というよりも、次の世代の若い理想カップルの結婚を指すはずです。
 しかしながら、それに先立って原理的に必要なものがあります。それは、アダムとエバが結婚するまで、彼らを保護し、結婚できるように後援する天使長の基台です。

「人類をこのように滅亡させるのが、本来の天使長の立場ではないのです。人間を祝福して、結婚するように後援できる立場を願ったはずなのです」(ファミリー98年1月 P14 「真の子女の勝利圏を相続しよう」)

 かつて、天使長が失敗した、「アダムとエバが結婚するように後援する」基台のことです。
 その基台の整備のもとで、以前述べたところの、蕩減と関係のない「解放の王子・王女」が、かつて天使長に主管された長成期を無事に超え、結婚することができるかどうかという重要な時期に来たということの宣言だと考えられます。
 そこで、まず、第一に、2013年1月13日までに、その基台の元が確立されなければならないということから「基元節」とされたのではないかと考えています。
 ただし、あくまでも一つの視点から見た仮説です。
ですが、

「天使長は、ここにアダムとエバが最後だとは知らずに、自分が最後だと思ったのです。(第20回 2010年 「7・1節」 及び 「第14回 「7・8節」 )

 最初、天使長は知らなかったのです。自分の後からアダム・エバが現れるということを。それを知って、寂しいと思い、やがて、腹を立て、反発していったわけです。
「第4次アダム」「氏族メシア」に関して、ここ数回の記事で私が申し上げた内容を読んで、もし腹立たしく感じるとしたら、少し、似ていることになりませんか? それはまだ、天使長である証拠かもしれません。
 
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