59.「先生は無用物になりました。無用物は消えていくのです。別れのあいさつをします。」 | 御言 missing link

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 御言に出てくる用語の中には、教会内で、ほとんど取り上げられなくなったものが、いくつかあります。たとえば

「8人家族の復帰」
「双合十勝日」
「交差・交体祝福」
「解放の王子・王女」
「第4次アダム圏時代」
 etc.
 
 ますますフェードアウトしていきそうな感じがしますし、その数も増えていくようにも思えます。「よくわからないから」というのがその主な理由でしょうが、決して「重要ではないから」ということではないはずです。御言に関心のない人には、どうでもよい用語かもしれませんが、もし、重要である場合、重要なものが重要でなくなっていく教会に、重要な天的使命・責務、そして摂理が残るのでしょうか。それは個人においても同様だと思います。その人のconceptにない内容について、はたらきかけることは、神様にとっても、たやすいことではないはずです。
 ところで、教会内では、一般的に、「第4次アダム」とは私達のことだと言われています。今回は、このことについての考察です。

 では、御言です。

「そのアダムの息子、娘が、神様とアダムの愛を受けることができなかったのです。神様の代身として、アダムの代身として、サタンが堕落した偽りの父母となって、死亡の谷をつくっておいたものを、反対に埋めなければ開放することができないので、必然的に、私たちの家庭がその責任を果たし、このあいた穴を完全に埋めてこそ、開放的家庭となり、その主人になることができ、開放が成されるのです。アーメンです。はっきりと分かりましたか。
 今から第4次アダム圏時代においては、これを実践せずには、天の家庭との関係を受け継いでいくことはできません。わかりますか。そのような時代に移行するので、あなたたちにこのことを通告したのです。これを実践しなければなりません。ここに符合できない家庭は、後ろに落ちていかなければなりません。第4次アダム圏に入っていくので、これをはっきりと教えてあげ、祝福家庭の価値がどれほど‥‥‥。
 失った8段階の愛の主人の資格をもったという看板を神様につけてさしあげ、神様と解放的な私と王子・王女が地上天上天国を自己主張し得る時代に移行するのが第4次アダム圏時代なので、完全に8段階の愛の理念を実践しなければならないのです。  
 私はこの御言を必ず話してあげようと思いました。今ではもう私があなたたちに、語ってあげることはありません。そして、訓読会を1度するよりも2度するのがよく、2度するよりも3度するのがよいのです。時間さえあれば訓読会をしなさいということです。さあ、それでは、喜んで「そのようになります」と両手を挙げて誓ったので、先生は無用物になりました。無用物は消えていくのです。別れのあいさつをします。拍手してくれるでしょう。ありがとうございます。」
 (祝福家庭18号 P68 「第1次入籍のための祝福家庭婦人特別修練会」)
 
 最初の段落からその次の段落にかけて
「私たちの家庭がその責任を果たし、このあいた穴を完全に埋めてこそ、開放的家庭となり、その主人になることができ、開放が成されるのです。アーメンです。はっきりと分かりましたか。
 今から第4次アダム圏時代においては、これを実践せずには、天の家庭との関係を受け継いでいくことはできません。」

 とあります。やはり、「第4次アダム」とは、私達のことを言っておられるのかなと思えます。
 また、ここには
「今から第4次アダム圏時代においては、これを実践せずには、天の家庭との関係を受け継いでいくことはできません。」
 とあります。「実践」すべき内容とは、
「サタンが堕落した偽りの父母となって、死亡の谷をつくっておいたものを、反対に埋める」
 ということのようです。この御言が語られた2000年ごろは、「死亡の谷」はまだ完全には埋まっていなかったことになります。
 この「死亡の谷」とは何なのでしょうか?
「偽りの父母となったサタンがつくった死亡の谷」とは? 
 想起し得る言葉をあげれば、地獄、堕落圏、罪・原罪、堕落性、蕩減‥‥‥。
 私たちが、本然の人間として完成しようとしても、自力ではどうしても超えられなくなってしまったところの長成期完成基準もその一つかもしれません。
 ここで明確に限定することは難しいので、「私たちが創造理想を完成するのを阻んでいるすべてのもの」と理解しておきたいと思います。
 そこがまだ埋まっていない。それを埋める責任を果たしなさい。それが、「第4次アダム圏時代」だと言っておられると理解できます。だとすれば、サタンがつくった死亡の谷を埋めることができていない私たちをして「第4次アダム」とよぶことが果たして可能なのでしょうか。その候補だというのであれば、分かりますが。
 また、「第4次アダム圏」は、「天の家庭との関係を受け継いでいく」ために必要なことのようですが、「私達が天の家庭になる」のではなく「天の家庭との関係」と言っておられるところも気になります。
 3つ目の段落では、
「失った8段階の愛の主人の資格をもったという看板を神様につけてさしあげ、神様と解放的な私と王子・王女が地上天上天国を自己主張し得る時代に移行するのが第4次アダム圏時代なので、」
 
とあります。ここで、
「解放的な私と王子・王女」
 についてですが、文先生が、ご自身のことを「解放の王子ではない」と言われていることは以前も確認しました。
 
「そのように、思いのままに朝食を食べ、昼食を食べ、夕食を食べ、好きなように歩き回りながら、“私ができることをやろう” と、活気に満ちた『解放の王子』ではないということを知っているので、今まで悲しみと苦痛の道を行き暗闇の道を光明の道に代置する道を教えようと、どれほど苦労したでしょうか?(ファミリー 04年2月 P18  第10、16の記事で提示)

 ここでの、文先生の「解放の王子」の定義は
「思いのままに朝食を食べ、昼食を食べ、夕食を食べ、好きなように歩き回りながら、“私ができることをやろう” 」
 ということのようですが、どう見ても、これは私たちのこととは違います。また、文先生でさえ違うというのに、私たちがそうだは言えないのではないでしょうか。
 では、「解放的な私と王子・王女」とは誰をさすのでしょうか? 真のご父母様とも、私達とも別な、ある対象を指しておられるととれるのではないでしょうか。
 そして、「第4次アダム」の御言は、文先生が
「必ず話してあげよう」
 と思っておられた内容であり、それをここで教えたことにより
「今ではもう私があなたたちに、語ってあげることはありません。」
「先生は無用物になりました。無用物は消えていくのです。別れのあいさつをします。」

 と結んでおられます。
 この最後の部分は、この場だけのことを言っておられるのでしょうか? まるで、文先生の時代が終わって、次の時代が来るかのような言い方に思えてきます。
 私たちが、このような、ある意味“淋しい”ことを言う場合、それは、もっと関心をもってほしいときだったりします。それと同じことが文先生にも当てはまるというのは、とても考えにくいことです。

「神のために、無条件に、涙の道を選び」
「悲しみと苦痛の道を行き」
「絶えず十字架の道を行く」
「ただ悲しい神の友になりたかったから」

                (これまでに提示した御言から)

 これを生涯貫いた文先生です。そのためには、生来の「解放の王子」の立場さえ、遠い昔に置き去りにした文先生です。
 今さら私たちの気を引こうとされるはずがありません。
 文先生が、
「先生は無用物になりました。無用物は消えていくのです。別れのあいさつをします。」
と言われたのは、
「私たちが、完成した、あるいは完成の見込みが立って、もはや再臨主は必要なくなった」(ただし、これは、「死亡の谷を埋めなければならない」ということと矛盾しそうです。)
か、または
「『三代の継続』の二代目・三代目の時代に移行した」
 のどちらかではないでしょうか?
 頭の中に「お花畑」を作れない私は、後者だと考えています。

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