確か1997年に「世界基督教統一神霊協会」が「世界平和統一家庭連合」に変わると発表され、その後、享進様が世界会長になられたときに「統一教」となり、文先生のご聖和の後、再び、「世界平和統一家庭連合」となった、と聞いています。
文先生は、この「世界平和統一家庭連合」のことを、「真の父母教会」とも言っておられます。
次の御言をお読みください。
「私たちの教会は、『再臨主教会』ではなく、『真の父母教会』です。イエス教会でもありません。今からは、誰かが詰め寄って、『真の父母教会が何だ?』と言えば、『真の父母であるからには家庭救援を目標とする教会であるが、あなたたちは個人救援を目標とする天使長の子女である』と言いなさい。天使長の息子・娘の立場は滅びるのです。
これから家庭の救援時代に入っていかなければならないのです。世界基督教統一神霊協会は、天使長宗教圏です。結婚できませんでした。イエス様も結婚できませんでした。天使長の使命しかできないというのです。息子の使命が果たせないのです。分かりましたか?
今まで、宗教というものは個人救援をしたのであって、家庭救援の内容がありませんでした。個人救援は天使長圏を意味するのです。天使長には相対理念がなく、所有権がありません。それゆえ、今日のこの地上のすべての家庭や制度や国家の所有権は、世界的所有権時代に移行していくのです。」 (ファミリー97年10月 P22 七・八節のみ言)
最初の部分に、
「今からは、誰かが詰め寄って、『真の父母教会が何だ?』と言えば、『真の父母であるからには家庭救援を目標とする教会であるが、あなたたちは個人救援を目標とする天使長の子女である』と言いなさい。」
とあります。かつて「世界基督教統一神霊協会」が「世界平和統一家庭連合」に変わると発表されたとき「世界平和統一家庭連合が何だ?」と、「詰め寄りたい」ような疑問を抱いたのは、ほかならぬ私達だったのではないでしょうか。
文先生は、私達とは無縁であるかのような話し方をされています。御旨に関する話のため、直接的な表現を避け、間接的な表現を使われているのかもしれません。
そこで、この「誰かが詰め寄って」の「誰か」が、間接的に私達を指しているとしたら
「あなたたちは個人救援を目標とする天使長の子女である。」
という部分の「天使長の子女」も私達を指していることになります。しかも、そのあと、はっきりと
「世界基督教統一神霊協会は、天使長宗教圏です。」
と言っておられます。
もし、天使長宗教圏である世界基督教統一教会にいる私達が、「自分は天使や天使長ではない」と言うとしたら、それはこの御言に符合しないということになります。
ですから、私達の立場は、少なくともこの時点までは、天使長だったということになるなずです。そして、
「天使長の使命」
しかできなかったようです。
その前の「結婚できませんでした」という部分も気になります。何と言っても「合同結婚式」で有名な統一教会です。それを「結婚できませんでした」というのは矛盾しています。やはり、少なくともこの時点までは、本然の祝福ではなかったということを言われたのでしょうか? 次の2つの御言もふまえてご検討ください。
「今日の統一教会の祝福家庭は長成期完成級で天の側の天使長として結婚した立場です。・・・この家庭は直接、天国に入れないのですが、なぜでしょうか? 現在、祝福を受けていると大丈夫だと思いますが、そうではありません。」(ファミリー95年1月 P10)
「なぜ、『家庭協会』が必要かというと、今までの統一教会の祝福は天使長家庭だからです。堕落する可能性がいくらでもあるのです。
なぜ、『家庭協会』か。天使長家庭からアダム家庭に帰らなければ、永遠に地上には天国は顕現しません。‥‥‥天使長の血統をアダムの血統に切り替える復活の理論を知らなければなりません。」 (FAXNEWS 106号 1994・9・13アラスカ・日本家庭協会特別修練会)
「天使長の血統をアダムの血統に切り替える復活の理論」を知っている人がいるのでしょうか?
「信じる人」ではなく「知っている人です」
いないのではないでしょうか。
最後にもう一つ。
「宗教の看板を下ろさなければ、家庭、国家、世界の救援圏内に入れないのです。皆さんは、個人救援を受けますか?(「国家救援を受けます」)ですから、『世界基督教統一神霊協会』がなくなったのを寂しく思わずに、『世界平和統一家庭連合』が生まれたことを称賛するようにしなければなりません。家庭教会は家庭を一度に教えてあげて、家庭救援ができる時になったのです。」 (ファミリー97年7月 P12 統一教会創立43周年記念日)
「宗教の看板」を下ろさずに、統一教会は、「家庭、国家、世界の救援圏内」に入ろうとしているように思えます。文先生の御言からすると、それは不可能なはずです。
「称賛する」ことができずに、「寂しく思った」人が多かったのかもしれません。
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