37.「統一教会員であると言いながら、神様がわかっていないのです」 | 御言 missing link

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 以前、あるTV番組の中で、アフリカの小さな村で、両親を亡くした10才ぐらいの女の子が一人で生きている様子が紹介されていました。食べるものを得るために、近所の家の手伝いを自ら進んで一生懸命しているのですが、先回食事をしたのがいつだったのか覚えていないと言っていました。世界中に、いったいどのくらいいるのでしょうか? このような子供達が‥‥‥。
 ふと、「こういう村に給食付きの学校ができたらいいな」と思いました。
私には到底そんな力はありませんが。
 その学校で御言の教育もできればいいなと思いますし、教育を受けた子供達が成長し、やがて成功し、そのような学校をまた建てる、そして、それが受け継がれ、広がっていく、なんてなったらいいな、という妄想を、しばし、思い巡らしたりしました。
 そのようなことに、献金が使われるということは、ありえないことなのでしょうか? 
 おっと、すみません。
「献金の使い道について、一信徒がとやかく言ってはいけない」
でした。
 何もできない私は、仕事等に支障がない日は、できるだけ1食を抜くようにしています。「できるだけ」という、ゆるゆるな自己満足条件です。世の中には、一日2食という人はたくさんいると思います。お腹がすいて、寝付けないときや、早く目が覚め、寝不足になることもあります。そんなとき、ふと、あのアフリカの女の子のことが思い出されたりします。

 文先生は、若いころ、お昼を抜いていたということです。以前、可知講師が、ある講座で、それを紹介しながら、
「おなかがいっぱいでは神様はわからない」
 と言っておられました。
「空腹の中にあって、それでも神様を求める、御言を求めるとなって、初めてスパークするところがある」
 とも言っておられました。

 さて、私達は、神様のことをある程度わかっているつもりでいますが、文先生からみると、決してそうではないようです。

「神様は笑います。文先生が教えている内容も学ばないで、神様を教えてくれなどと言ってはなりません。文先生の教えをすべて学べば、それに比例して神様がわかるようになっているのです。‥‥‥統一教会員であり、神様を知っていると言いながら、神様がわかっていないのです。それを忠告しておきます。本当に神様がわかりますか。」 (ファミリー93 9月 P20 日本人特別修練会におけるみ言)

 この御言は、先回も一部提示しました。
「文先生の教えをすべて学べば、それに比例して神様がわかるようになっているのです」
 と言われ、 続けて、
「統一教会員であり、神様を知っていると言いながら、神様がわかっていないのです」
 と言っておられます。ということは
「文先生の教えを学んでいない。わかっていない。」
 と受けとめる必要があるでしょう。
 御言を読んでいる人は少なくないと思いますが、文先生がおっしゃりたかたことをたずねながら読んでいるかというと、どうでしょうか?

私たちは、御言を学んで何をしようとするのでしょうか? それは神を占領しようというのであり、神の愛を占領しようということです。これが結論でありましょう。
 神様を愛して何をしようというのでしょうか。神様を占領しようということです。 これが宇宙を占領する秘訣であるからです。皆さんは、このような宇宙的な因縁の中にいるのです。」
  (宇宙を占領する秘訣  1966.12.11  P112  御言選集17巻)

 文先生の御言を学んだ分だけ神様がわかり、神様を占領できるとのことです。確かに、御言と取り組んでいると、神様が近いのを感じることがあります。
 愛は対象を必要とし、そのコミュニケーションのためには言葉は大切です。神様の愛も、私達に対して、漠然と感じられるというだけでなく、多くの場合、御言と取り組む中で、知らず知らずに神様とのコミュニケーションが成され、愛が伝達されてくるということなのでしょうか。

「み言によって造られた人間が、み言を失ってしまったので、み言で再創造しなければなりません。それはどのようなみ言ですか。天の愛のみ言であり、神様の生命のみ言であり、神様の血統のみ言です。」(神様の祖国解産完成 P30~31 1990・1・20)

み言で創造したので、み言で再創造しなければなりません。手段でするのではありません。学歴だけでは駄目です。すべての環境的与件を同化させ、神様の代わりに主体的なみ言を伝える事が出来る人を通して、相対的な存在物を再び生み出さなければならないのです。そのためには、み言でなければなりません。それは、能力でも駄目であり、何かの経歴でも駄目なのです。」 (神様の祖国解産完成 P30~31 1990・11・11)

「救援摂理の目的は何でしょうか。失ってしまったものを取り戻すことです。造られた人間が壊れてしまったので、再びみ言を通して再創造しなければなりません。私たちは、堕落した人間なので、再創造されなければならないのです。
 堕落によって、私の体に通じるみ言が離れてしまったのであり、私の心に通じるみ言も、私の心情と共に永遠に過ごすことができるみ言も離れてしまったのです。ですから人間は、み言、すなわち真理を求めなければなりません。真理とは何でしょうか。真理は原則であり、天倫の根拠です。」
 (神様の祖国解産完成 P30~31 1968・1・15)

 私達は、御言で再創造されなければならない立場であり、御言が離れてしまっているので、御言を求めなければならないとのことです。
「私の心情と共に永遠に過ごすことができるみ言」
となることが大切なようです。

「先生のみ言を中心として世界は統一されます。恐ろしいみ言です。先生が語ることは、歴史を越えて天上世界と地上世界に実体が存在し、存続するまで、再創造の役割を果たすことができるのです。 (243-83 1993・1・3)

 文先生の御言は、
「歴史を越えて天上世界と地上世界に実体が存在し、存続するまで、再創造の役割を果たすことができるのです」
 ということですから、御言は
「このくらい学べばもういいだろう。このくらいわかればもう卒業だ」
 というものではないように思います。
「実体が存在し、存続するまで」ということですから、そのような実感や確信のない限りは、学び続けるべきものなのではないでしょうか。
「私の心情と共に永遠に過ごすことができるみ言」を目指して。

先生のみ言を中心として完全に一つになれば、解放されます。個人のはしごを上がっていき、家庭のはしご、氏族のはしご、民族のはしご、国家のはしごをすべて上がっていきます。そして、個人なら個人を中心として再創造するのです。個人をつくり、家庭をつくり、すべてをつくっていくのです。皆さんには、そのような道が残っています。」 (神様の祖国解産完成 P30~31  1998・4・17)

 文先生の御言を中心として、世界が統一され、私達は「はしご」を上がっていくことができると言っておられます。そのような「再創造」の道が残っているとのことです
 そして、この「はしご」とは、
「個人のはしごを上がっていき、家庭のはしご、氏族のはしご、民族のはしご、国家のはしごをすべて上がっていきます」
 とありますから、「縦横の八段階」のことを言っておられるようです。
 すべての鍵は、
「先生のみ言を中心として完全に一つになる」
 ことのようです。

 御言を求める人、御言と取り組む人が増えて欲しい、そしてそこから与えられる恩恵を提供してくれる人が増えてほしい、と願っています。潜在的にはたくさんおられるかもしれませんが。
 特に、若い人がそうなってくれたら希望です。とっくに旬をすぎたおじさんからの願いです。若い人の感性だからこそわかる御言の世界をぜひとも紹介してほしいと思います。

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