21.「彼の利己心から悪と罪の源が出てきたのです」 | 御言 missing link

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 心理学者の河合隼雄氏の著書(確か『心の天気図』だったと記憶していますが)の中に次のような言葉がありました。

「人間は、自分以外の何かに頼るようになった瞬間から不安から逃れられなくなる」(正確ではありませんが)

 また、以前(かなり前ですが)、北大路欣也主演の「宮本武蔵」が放送されたことがありましたが、その中に次のような場面がありました。

 小次郎との決戦のため巌流島に向かう途中、小さな神社を見かけ、何気なく、武蔵はそこに立ち寄ります。そして、無意識に、鈴ひもに手を伸ばし、願をかけようとします。必勝祈願ですね。ところが、それを思いとどまります。そのとき武蔵が心の中でつぶやいた言葉は
「神仏を敬い、神仏に頼らず」
でした。武蔵の『五輪の書』に残されている言葉です。
 
 文先生は、決して神様に頼られた方ではありません。一方、私達はというと「統一信仰」に完全に依存しきっている状態と言えるのではないでしょうか。
 せめて、二世の皆さんには、私達の轍を踏まず、自分自身の中に自信・確信を積み上げ、自分自身の中に神様を見出すようであってほしいと思います。「我を見し者は神を見し者なり」の信条で。

 今回は、先回に続けて「自己中心」について、もう少し確認してみたいと思います。
 では、御言です。ちょっと長いですが。

「では、悪とは何でありましょうか? 悪とは、この世界への利己心の顕現であります。神の利他的な与える原理は、神ならぬ利己的な奪う原理へとゆがめられてしまったのです。仕えるよりも仕えられることを望む邪悪な立場が、その時から打ち立てられたのです。悪の根源はサタンであります。彼は神に仕えるべき立場におりました。しかし、彼は、もう一つの神のような態度をとり、人間を自分自身の利益のために従属させたのです。神は、この宇宙における絶対的なプラスの力であります。そして、サタンもまた、もう一つのプラスの力をとろうとするのです。二つのプラスは、互いに反発し合うものです。サタンは、堕落した天使長であり、神と人間に対する忠実な僕としての立場を離れて、神に挑戦し、神と競争したのです。彼の動機は利己心でありました。彼の利己心から悪と罪の源が出てきたのです。
 事の次第はこうでありました。つまり、エバはサタンの最初の犠牲となり、自分自身を利己的な存在へと変身させて、神の最初の娘としての位置から落ちてしまったのです。そして、エバとサタンは一緒になって、首尾よく、アダムを彼らの利己的な世界へ引き込むことに成功したのでした。この悲劇的出来事により、神は、エデンの園において、人間から孤立させられてしまったのです。かくして、人類歴史は、神のいない、悪なる立場から出発したのでありました。人間の悪なる歴史の土台は据えられ、サタンはこの世の支配者となったのです。利己心は、人類歴史の出発において存在するようになり、そして今や世界は、殺人と虚偽と盗みとに満ちているのです。罪悪世界におけるこれらすべての行為は、利己心から起こってくるのであります。悪は、自己自身の利益ために他を支配するものであり、善は、他の利益のために自己自身を犠牲にするものであります。」
 (み旨と世界 P266 人間に対する神の希望)

「堕落は、神様を中心としてアダムとエバが一つにならなければならないのに、神様の僕である天使長と一つになったことをいいます。神様の血統を受け継がなければならない人間が僕の血を受け継いだことです。ですから堕落した人間がいくら神様を「父」と呼んでも実感がわかないのです。これは神様であろうと何であろうと関係なく、すべてを自己中心にだけ連結させて考える堕落性本姓が遺伝したからです。 (祝福家庭と理想天国Ⅰ P439 創造本然の男女の愛)

 ここには、
「彼の利己心から悪と罪の源が出てきた」
 とあります。(ここでは「利己心」という言葉が使われています。文先生におかれては、この「自己中心」と「利己心」を使い分けておられる可能性があります。ですが、ここでは、ほぼ同義と取らせて頂きます。)

 そして、その結果、
「神は、エデンの園において、人間から孤立させられてしまったのです」
「すべてを自己中心にだけ連結させて考える堕落性本姓が遺伝したからです」
「今や世界は、殺人と虚偽と盗みとに満ちているのです」

 とあります。
 神様のことを誰よりもよく知っておられ、誰よりも愛された文先生でしたから、その神様を孤立させた一番の原因が「利己心」であり、そして、そこから「悪と罪の源が出てきた」ということであれば、文先生はこの「利己心」に対して、私達が抱く平面的な捉え方とは異なる、神様を解放するための特別な意味を抱いておられたのかもしれません。そして、その反対側にある「為に生きる」という言葉にも‥‥‥。

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