起床時刻は、朝の6時。

 

静かな環境下に寝つきもいい。

 

目覚めはすっきり、新聞読みに、洗顔・歯磨き。

 

そして、気持ちいいトイレを汚さないよう気をつけ・・・ちょっとお手洗いに失礼して・・

 

お嫁さんが朝早くから用意してくれた朝食の料理。

 

調理は、シューマイにソーセージ。

 

大好きなマヨネーズも添えてくれたひと皿。

 

小鉢は、シャキシャキに茹でたチンゲン菜?でなく小松菜のおひたし。

 

だし醤油に振りかけたかつおぶし。

 

これで終わりかと思えばまたまたまた出てきた鯖の塩焼き。

 

 

ちょっとおこげが見られるが、味に変わりなし。

 

脂がのっている鯖は、ほんま、美味しいわ。

 

酢に漬けた紫たまねぎ。

 

さっぱりした味に酢が利いている。

 

黒いのんは春を告げる山野草のわらびでもなく、ぜんまいでもないキャラブキ。

 

おふくろが大好きなキャラブキ。

 

和布(※わかめ・海藻)の味噌汁。

 

水気がちょっと足らんかったご飯。

 

 

ちゃんと噛んで食べたら甘味、旨み味の美味しいご飯。

 

いろいろ考えて調理してくれた朝食にありがとう。

 

(R4.11. 5 SB805SH 撮影)

新築・新居の長男夫妻邸にお邪魔する。

 

神楽坂にあるダイニング花かぐらの食事に大満足した夜。

 

新宅に行くには東京メトロ。

 

歩きもあるなら、東京のタクシーを利用することになった。

 

大通りに出て、信号付近で待っていたら、たまたま気づいてくれたタクシーの運ちゃんに行き先指示。

 

帰宅するなり、ちゃちゃっと食卓に出してくれたかぼちゃ煮。

 

 

お嫁さんが手際よく調理してくれたかぼちゃ煮が美味しい。

 

甘くて、とろーり食感のカボチャの味わい。

 

長男から、お嫁さんの手料理が美味しいと聞いていたが、それ以上のお味。

 

皮が固いっていうけど、そんなこともなく、むっちゃ美味い。

 

おまけに出てきたネット通販の楽天市場から取り寄せた馬肉

 

 

2種類とも、馬肉が旨すぎる。

 

以前、海鮮の回転寿司「さんきゅう」で食べたとろとろの馬肉はうーんと唸ったが、これは旨い。

 

特に赤身ぽい色の馬肉が旨い。

 

上とろまぐろのようなとろける馬肉は上馬肉。

 

特上赤身の馬肉、いろいろあるようだ

 

馬肉専用のたれで食べた馬肉であるが、もう一品。

 

牡蠣を塩水が入っているロケットのような容器に詰めたあん肝。

 

 

半分をロケットから取り出して、小鉢にポン酢入れて食べたら、劇的に旨い。

 

こういう食べ方は知らなかった。

 

今夜は、お嫁さんから教わること多し。

 

こんなに旨いあん肝も、ほんに美味くて注文先を教えてもらった。

 

具体的に教えてもらった「うまいもんグルメ卸売直販えつすい」をメモしとこ・・

 

またまた、ちゃちゃっと焼いてくれた玉子焼き。

 

好みの味に焼き加減がいい。

 

 

だし巻きでなく、本来の姿の玉子焼き。

 

えー夜をすごさせてもらった。

 

この間にまたもや飲んだチューハイ・・。

 

夜中にならんと出てこない夜行性のピンクハムちゃんと遊ぶ。

 

ハムちゃんは、午後11時に出動し、部屋中を駆け回る。

 

そうなんだ。

 

その後は、ほとんど記憶のない午後11時。

 

ちゃんと入浴したんだろうか。

 

別部屋に設けてくれた布団に枕。

 

真っ暗にしたら、夜中起きにどこへ行くやらになりそうなんで、電灯を壁に向けてくれた。

 

何から何まで世話をかけた二人に感謝し、眠りに就いた。

 

(R4.11. 5 SB805SH 撮影)

長男夫妻が案内してくれた東京・神楽坂にある「ダイニング花かぐら」。

 

飯田橋駅からでも徒歩で行けば6分。

 

神楽坂通りの坂をテクテク上っていく。

 

右に折れたら横丁。

 

 

そこからふっと入ったところが古民家風の店「花かぐら」。

 

横から見ても、正面からみても、なお詫びさに足が停まる。

 

 

入り口のドアを開けたそこにセッテイングした「花かぐら」の顔が、よぉ―お越し。

 

そこから一歩、二歩。

 

 

地酒、日本酒、焼酎にワインの香り。

 

今宵の食事にお酒が迎えてくれた。

 

奈良でいえば蝋燭を灯す自然な灯りをくり広げる世界観

 

 

平成11年からはじまった、まるで「なら燈花会(とうかえ)」が再会したような灯もし回廊。

 

不思議の一歩に誘うメニューは、“秋色の神楽デイナー”。

 

花かぐらのランチメニュー。

 

 

お肉、またはお魚ランチは800円。

 

気まぐれヘルシー御膳は1000円。

 

牛フィレステーキと和御膳は1560円に花かぐら弁当は2050円。

 

単品アルカルトに揚げ銀杏やら北海道甘えびの柚子風味揚げから鴨の生ハムと柿・春菊のサラダ、秋秋刀魚のお造り・昆布仕立て、北海道仕立てのよくばりカルパッチョ、エスニック風牛肉フィレの極上ステーキ、合鴨の山椒風味ローストなど美味しそうな料理がいっぱいあるある・・・

 

入口玄関ドアの横にもあった単品メニュー。

 

いろいろ木の子の天ぷらもあるしランチ紹介もデイスプレイしている神楽坂・ダイニング花かぐら。

 

入店したそこにはレジもなく、大きくわかりやすい、目につく「花かぐら」。

 

回廊というか、その右にずらり並べていたワインセラーではなく、和食が売りのダイニング花かぐらは日本酒じゃね。

 

回廊は長く続き、折れる場もある。

 

足元を照らすダウンライトではなく、アップライトは奈良県が初だったイベント燈花会。

 

尤も、電灯ではなく、燈花会は蝋燭仕様。

 

会場を幻想的にしていた。

 

さて、配膳は和食だけに会席的だが、洋風的な要素もある。

 

これからもっと配膳される料理は秋色の神楽デイナーお品書きを以って知る。

 

こうしたお品書きを添えてくれるお店は少ないと思う。

 

夜会でなくともお昼の会席。

 

海鮮、寿司店的な食事処に、お品書きは?と伝えたらほとんど間違いなく、回答は「ない」。

 

 

神楽坂・ダイニング花かぐらがもてなす料理は「秋色の神楽デイナー」。

 

食前酒は桃の酒。

 

 

「秋の香りを閉じ込めた前菜」。

 

 

前菜のうちサクサク食感の海老せんは、ダイニング花かぐらでは作れないので委託業者より納入。

 

えびせん以外の前菜は三品ぎんなん、むかご、くるみ豆腐。

 

美味しい鷄ささみのたたきのせ。

 

 

お造りはマグロ、カンパチの2種盛り。

 

 

「焼き茄子のすり流しスープ・秋鮭と梅煮」は、ほんのり香ばしく、やさしい味わいの茄子スープ。

 

「合鴨の山椒風味焼きとトリュフ香るひとくちコロッケ(※撮影撮りこぼし)」。

 

個性的で滋味深い鴨肉!。

 

彩り野菜を添えて・・・

 

 

「穴子と汲みあげ湯葉の菊花あんかけ」。

 

旬の美味しい出会い・・ほっこりシンプルなひと皿。

 

 

「鯖スモークと柿・春菊のサラダ仕立て」は、食欲そそるスモーキーな香り!。

 

それに、粉チーズをふりかけて味増し。

 

 

ご飯はご飯でなくリゾット仕立ての「秋刀魚といろいろ木の子の和風リゾット」。

 

人気の組み合わせで〆の食事をどうぞ!。

 

 

「香物」は、青葉・人参・大根なます三種盛り。

 

なますがうんまーーーい。

 

 

「本日のデザート」はショートケーキに甘栗・餡包み饅頭。

 

全8品の「秋色の神楽デイナー」は、お一人様税込みチャージ料別3850円。

 

良心的価格に、すべての調理に大満足。

 

二人のもてなしに感動、感動、うれしさこみ上げる。

 

瓶ビールは2本。

 

グレープフルーツサワーも、すべてに大満足。

 

美味しかった食後の会話に、お嫁さんのMちゃんが7月に逢ったと、いう実の父親。

 

母親が云っていた父親の姿とはまったく違う。

 

逢って良かったと泪した。

 

久しぶりというか、家族のお嫁さんの前で流すのは初めて。

 

手で流れを拭っていた、というのも、私が小学3年生のとき父親と別れた映像記憶を思い出した。

 

大阪の環状線西九条駅近くにアパート一人住まいしていた父親に会いたかった。

 

おふくろと一緒に行ったが、“帰れ⁉”、と云われた。

 

とぼとぼ、泣きながら、真に別れた光景は今も瞼に焼き付いている。

 

父親と逢えてほんとに良かった、と私も泪した。

 

神楽坂に着いた時間は午後6時。

 

それからの食事~・・・店を出た時間は午後9時10分前。

 

十字路信号に出て手を揚げるが、なかなかつかまらん。

 

やっと乗車できたタクシー乗車ジャスト9時だった。

 

(R4.11. 5 SB805SH 撮影)

新宅で少しの時間に寛ぐお茶が美味し。

 

そろそろ日暮れの時間帯に沈み込む。

 

夕景に映るブルートーンは消えたのか、午後5時直前は既に真っ暗。

 

食事処に案内します、と云われて重い腰をそろそろあげて、出発した。

 

なんせ、私は東京環境に未だ慣れない方向音痴のお上りさん。

 

行くとこ、行くとこがここどこ?状態になる。

 

ポイントごとに撮っていた東京の街角。

 

おっ、これは、と思った夜のとばりに暮れゆくえびす湯。

 

知人の写真家が、入浴場をテーマに今日の風呂屋さんをテーマにとらえた写真展を開くようだ。

 

奈良は御所に生駒圏内の風呂屋さんを取材したそうだ。

 

もう、一歩入りたくて、とうとう東京まで行ってきた、という。

 

写真展会場は東京。ここえびす湯も東京。

 

外観だけでもわかる風情を撮っていた。

 

ある地下駅構内にあった施設。

 

 

富士フィルムビジネスイノベーションプライベートオフィスCocoDesk 15minが275円、とある。

 

2時間滞在の費用は2200円。

 

まぁちょっとだけしなきゃならんとき、緊急対応な仕事利用に最適かも。

 

なるほどやね。

 

コロナ禍に生まれた独りオフィス。

 

ここは飯田橋駅であるが、どの駅にもありそうな東京メトロは、まるで蜘蛛の巣を張ったような迷路に思える。

 

 

放射状のメトロマップ見ているだけで、ココどこ?乗り換え飯田橋駅。

 

 

ココどこ?乗り換えは、飯田橋駅の地上に出て、タクシー利用で向かう神楽坂行き。

 

飯田駅も神楽坂も名称は存じているが、東京のどこなのかさっぱりわからない。

 

向こうに向かって歩いているが、あっちはどこへ?

 

置いてきぼりになったら、こりゃぁもう迷い人。

 

どうにかしてくっついていく坂道。

 

 

思っていた以上の坂道だった神楽坂。

 

 

この通りは、どこもかしこも、どれもこれもが食事処。

 

 

道路隔てた左右に見える食事処の並び。

 

距離はそれほどないが、お店は・・・そろそろ。

 

 

いやいやまだまだ、日本酒ばかりの居酒屋。

 

 

人影が少なくなり、お店の灯り数も乏しい街角。

 

 

やっと着いた目的の食事処は、和食の「ダイニング花かぐら」。

 

(R4.11. 5 SB805SH 撮影)

新幹線・東京駅に到着

 

先に買い物。駅構内にあるある東京土産。

 

焦点は絞れないほど多い土産選び時間をかけていた。

 

それから東京駅前に出会えた長男夫妻と出会う。

 

車窓から見ていた皇居へ続く道。

 

夫妻が住む東京区内。

 

数年間に亘った新型コロナウイルス蔓延などで、動けなかった県外移動。

 

新型コロナウイルス感染症に伴う緊急事態宣言は2020年4月から2021年9月にかけて、計4回発出されて最終的には2021年9月30日に全国で解除された。

 

その後も、オミクロン株禍もあったが、行動制限は段階的に緩和していった。

 

長男夫妻の新宅祝いができる時期をみていた。

 

解放された県外跨ぎにようやく関東に向けて・・・

 

安心は禁物だが、ほぼマスクは無用。

 

とは、いっても病院関係についてはマスク必須。

 

新築状況になん枚かの写真を送ってくれたが、やはり実物をみてほっとする。

 

詳しいことは触れないが、住まいする近辺は質素な佇まい。

 

11月はじめの日々の午後3時20分は、大通りから離れているせいか、静かな住宅街。

 

少し歩けば、下町的な雰囲気。

 

 

こじゃれたマンションやらアパート的な街角。

 

ロステイなブルー色の長屋はモレトロ風。

 

 

色合い、風合いがなんともいえない建築景観に思わず見とれてシャッターが・・・

 

路地に見る周辺の集合住宅は2景。

 

趣はそれぞれ。

 

景観に暮らしの民俗を感じる数多く停めていたマイ自転車たち。

 

自動車は入り込めない路地に昭和のころを思い出す。

 

自治会が用意している地区のゴミ箱は、回収されたら場所をとらないようにコンパクトに折り畳み。

 

風景の向こう。奥の方から子どもたちの声が聞こえてきそうだ。

 

(R4.11. 5 SB805SH 撮影)

次の行き先は、JAガソリン給油所の裏から入っていく道成りに走る道路。

 

まずは宇治田原・立川段橋(だんばし)。

 

こちらも既に干していた古老柿。

 

道からすぐ近く。

 

でも、高さがあるものだから、3段、4段目はまったく見えない。

 

2段目の棚いっぱい広げて干していた。

 

曇天の日の再訪。

 

人影なく、柿屋の構造を観ていた。

 

表面は南向き。

 

背中は稲藁でこしらえた傾斜屋根。

 

先ほどMさんが教えてくれた構造

 

突きだす稲藁のカタチは、尖がり帽子の藁巻き。

 

解けないようにPP紐で縛っている。

 

いちばん下の棚は、乾燥した古老柿を最後の最後まで乾燥させるのであろう。

 

2段目、4段目に置いていた家庭用扇風機。

 

こちらも風を取り込んでいた。

 

で、こちら立川段橋も風が抜ける黒い紗を用意していた。

 

撮影立ち位置を反転移動して振り返り。

 

稲刈りした農地に柿屋を建てる。

 

 

目の前に拡がる農地に置いているモノは古老柿の皮。

 

剥いた皮は、おそらく農地の肥料代わりであろう。

 

野菜畑でも、そうする食べられない廃棄物は肥料ひとつ。

 

真横から撮っていた柿屋の構造。

 

黒い紗ではなくブルーシート。

 

 

段数は5段。

 

支え棒の数は多い。

 

さらに巨大な柿屋建てをされていたのが立川大道寺(だいどうじ)。

 

この月の11日に拝見していた久五郎茶園。

 

 

5段仕立てではあるが、高さも幅も広いとてつもない柿屋だと思った。

 

家族だけでは間に合わないようだから、ご近所の方たちも手伝いしているようだ。

 

時間帯は午後4時のころ。

 

晩秋の時季は、お天道さんも早くに沈む。

 

帰路に就いてもお家に就くころは、既に陽が落ち、ヘッドライトを点灯しているだろう。

 

(R4.11.22 SB805SH/EOS7D 撮影)

令和4年の11月22日に突然の電話。

 

「柿屋に皮を剥いたコロ柿を干している」と、電話で伝えてくれた大道寺のHさん。

 

この月の11日に訪問した際にお願いしていた、コロ柿干しのはじまり

 

ご近所のお近くに建つ柿屋の状況を教えてくださった。

 

この場を借りて、厚く御礼申し上げる次第だ。

 

写真的に見れば、本日は曇天。

 

できるなら晴天の日であれば柿屋が映えるだろうなぁ、と思うが、家でじくじくしていても仕方ない。

 

と、決断した。

 

曇天であろうが、柿屋に古老柿をどのような手段で持ち込まれる様子なり、を見ておきたい。

 

普段の在り方を、逆に拝見できたら、と思う。

 

とにかく自宅を出発した11月も半ば過ぎの22日。

 

車を走らせた目的地は、京都府南部の宇治田原の立川。

 

たまたま屋主がおられた立川岩山の柿屋建ての場。

 

到着した時間は、午後2時50分。

 

古老柿であろう、柿屋の棚いっぱいに広げて干していた。

 

なんと美しい景観であろうか。

 

はじめて拝見する柿屋にあがって作業ぶり。

 

棚は3段。

 

3面ともすべてに干されるのだろう。

 

地上に置いてあるのは、おそらく業務用の扇風機。

 

上空に向けて風を起こしている。

 

柿屋のいちばん下は地面。

 

茣蓙のような、筵かもしれない敷布。

 

この場も、古老柿を干している。

 

遠目から見て、2段、3段目は柿の色で埋めつくしている。

 

一個、一個ずつ並べて拡げる。

 

都合上、その上に積んでいくことはないようだ。

 

それにしても驚く構造物。

 

大掛かりな構造物はとてもじゃないが、少人数では無理があろう。

 

組み立てる体力、道具などが考えられるが・・

 

はてさて、支えは・・・

 

また、四方に垂らしている黒い布は何用なのだろうか。

 

私が取材で知った大型の木製構造物は、支柱と竿だけの構造。

 

稲刈りの穂付き稲束を干す稲架。

 

ハザカケ、或いはハサカケなどの名称がある構造物。

 

奈良県の十津川村とか旧西吉野村にあたる五條市の永谷に見られる多段型の稲架け

 

宇治田原立川の柿屋は、奈良・南部山間地のハダ(地域名称)を二組。

 

木材を水平にかまして構成した、いわば立体的な構造物。

 

倒れないよう、支えが四方に張り巡らせている構造。

 

しかも斜めに据えた屋根付きの柿屋建て。

 

これもまた、民俗のひとつ。

 

生計を支える構造に暮らしの民俗をともなう。

 

 

三段目の棚に人が動く。

 

大声で伝えた「写真、撮らせてもらってもいいですかぁーー」。

 

男性は、この付近に住んでおられるMさん。

 

昭和22年生まれのMさんの生業は古老生産もあるが、主業は稲作。

 

さらに本業は茶生産。

 

お茶の収穫が終われば稲作に。

 

稲の収穫が終われば柿屋。

 

年中休むことなしに働いてきた、というMさんは昔から一人作業。

 

撮影は構わんが、話かけられるのがかなわん。

 

質問に答えなあかんし、その間は作業が止まる。

 

それだから、実際は断ってきた。

 

農協こと、JAが集めた団体ツアーがくる。

 

バスはそこの空いている地に停め、ツアー客は、橋の手すり越しに見てもらうならOKにしている、という。

 

自宅はJAガソリン給油所の裏。

 

田んぼと、ここと道路向こうの西にも農地がある。

 

 

令和4年の本日は11月22日に尋ねた柿屋伺い。

 

作業の合間に話してもらった聞き取り調査。

 

柿屋は、立川(平岡・段橋・大道寺)のほかに3カ所あるらしい。

 

帰宅してからネット情報にあった柿屋が見られる地域は、岩山に南と禅定寺地区

 

10月末に建てる柿屋。

 

古老柿を栽培している土地は、M家のもち山。

 

収穫してから、カビをはやさんように皮剥き。

 

“種”はそのまま内部に入ったまま剥く作業。

 

 

最近はご近所に委託している皮剥き作業。

 

屋根は稲藁つくり。

 

 

繰り越した稲藁は翌年も使う。

 

但し、黒カビやらで枯れる藁はいつも2割りくらい。

 

傷んだ部分は、新しき新米を摂った藁をもって補充し、かつ補強する。

 

柿屋の古老柿から、ふと話題は奈良県に移った。

 

かつて奈良県の山添村。

 

菅生(すごう)を中心に大西、春日、大塩で生産栽培しており、古老柿の実をここ宇治田原に運んでいた。

 

運ぶ道具は、自動車やトラックのない時代。

 

大八車で運んでいた時代もあった、という。

 

宇治田原からは空状態で行く。

 

山添に出かけて柿の実を買ってくる。

 

そのときの復路に必要な大八車。

 

実そのものを買い取り、運んでいたが、栽培を広げるには、柿の“種”をもらうしかない。

 

“種”を受け取り、M家のもち山に移植した。

 

むかし、遅瀬にいたなんちゃらいう人は竹製品でなく強靭なとう製の箕をつくっていた。

 

その大切な箕が、ここに柿棚に置いていたら、買ってきたばかりの箕が、四つとも盗まれた。

 

今じゃ、入手不可能な奈良・山添村のとう製の箕。

 

ここに2個やろ、そして家に置いている数個しかない。

 

奈良の下津にもつくっていた人がいたそうだが、今は・・・・

 

実は、Mさんが云っているここ宇治田原でいう古老柿は、ころ柿とも、であるが、本来は”鶴の子柿”と呼ぶ小型の渋柿。

 

奈良県でも、高齢者はよく口にする”ツルノコ”柿。

 

奈良県の行事や、地元で食べていた里山の柿とか、矢田丘陵での自然観察会に出会った里の柿もまた”ツルノコ”。

 

行事例は、山添村・春日の申祭りに盛る「鶴の子」柿

 

宇陀市・大宇陀平尾に住むI家が家壁に干していた「ツルノコ」柿

 

さらには、奈良県の西に近い大和郡山市の矢田町の里で見たツルノコの柿の木

 

いずれも下見会に見つけたツルノコ

 

おそらく多くの地域で知られた「鶴の子」柿。

 

柿の品種やブランド名を一覧にしていたネット情報にも鶴の子柿(つるのこ・ツルノコ)表記がある。

 

特に、宇治田原のM家との関係性が深い、奈良の山添村の菅生、大西、春日、大塩。

 

とう製の箕つくりも含めて貴重な民俗情報を話してくださり、感謝申し上げる次第だ。

 

雨の日とか、突風の日はどうされているのか、も教えてくださった。

 

屋根は稲藁つくり。

 

全体を覆っている材は稲藁。

 

屋根に突き出ている支柱にも藁巻き。

 

稲作をしていない、とこれほどの量を集めるのはたいへんなことだと思う。

 

実は、屋根の構造を以って、雨滴が干す棚にあたらんように下に流す。

 

干す面はどこの家も日当たり、南に向き。

 

ここは東から絶えず風が吹く。

 

その風があるから古老柿が、えー具合に干せる一等地。

 

つまり、風がなければ困る話。

 

風が吹いておれば、乾燥干しは早い。

 

天日干しだけでは、古老柿はうまくできない、という。

 

 

そうか、そうなんだ。

 

かれこれいっぱい拝見してきた稲架け。

 

天日干しだけでは、美味しい米にならんのや。

 

風があってこその柿屋であった。

 

棚の桟は、細い竹の篠竹(シノダケ)。

 

昔の家は竈の火があるから燻されて煤まみれの竹が黒光りするススダケ(煤竹)がいちばん。

 

家を建て替える際にしか生まれないススダケ。

 

 

屋根は稲藁だから風が抜ける。

 

ブルーシートじゃ、風が抜けないから風をまともに受けるから使えない。

 

だからこそ、風が抜ける黒い紗(※農業用途の寒冷紗)で覆う。

 

代々してきた柿屋を考案した先駆者がすごい。

 

あとを次ぐ若いもんはみな高所恐怖症。

 

 

この仕事を継ぐもんがおらん。

 

柿屋はいずれ廃れていくだろう。

 

今日は曇りだが、出来上がりの古老柿下げ。

 

 

明日には広げた莚(※むしろ)に場を替えて干す。

 

 

早くに干していた筵の古老柿。

 

この日の仕上げにするコフキ(粉吹き)。

 

黒くなった古老柿をさらに仕上げるコフキ。

 

そう、漢字からわかる粉吹き。

 

芋でいうなら古吹き芋。

 

まさに、じゃがいもの調理にある古吹き芋。

 

「じゃがいもを茹でた後に加熱して水分を飛ばした際、表面が白い粉を吹いたような見た目になることに由来します。デンプンが浮き上がって乾燥し、粉状のホクホクした食感が特徴の料理」で、あるが、古老柿のコフキは甘さを生成する白い粉。

 

天日干しから下した古老柿に白い粉を生成させる。

 

 

こうして高く、高くあげて振る。

 

 

空間に風を起こすのも一理あり、ようは古老柿どうしがぶつかることによって白い粉が生まれやすくもなる。

 

その白い粉は、柿霜(※しそう)と呼ばれる糖分の結晶

 

成分はブドウ糖・果糖だから甘い。

 

宇治田原の古老柿は、道の駅などの販売店に出すことなく、昔からの知人に、贈答用にするようだ。

 

種がなければ形がへたったようになる。

 

普段天候が良ければいつも柿屋にいてるから、と話してくれたMさん、に感謝、感謝であった。

 

ありがとうございました。

 

また、寄せてもらいますとこの場を離れた時間は午後3時20分。

 

滞在時間は30分だった。

 

(R4.11.22 SB805SH/EOS7D 撮影)

中華料理萬盛宇治田原店で食べた塩ラーメンはボリューミー。

 

同店の塩ラーメンは旨い。

 

ポケットマネーでも賄える税込み580円の単品塩ラーメンが旨い。

 

満足感に浸っておるワケにはいかず、午後の時間も柿屋建て調査。

 

立川から離れた地域にもあるのでは、と思って探索する。

 

食事していた中華料理萬盛宇治田原店に隣接する施設は平和堂・フレンドマート。

 

そこに、ここらへんの施設・食事処などの事業所の位置がわかる商業地図がある。

 

あそこも行った、ここも行ったところがわかる商業地図に助けられる。

 

カーナビゲーションよりもわかりやすい商業地図ではあるが、ここ立川の暮らしの民俗の生業でもある柿屋建ての表記は・・・ない。

 

まして、距離感は実測していない商業地図。

 

大きな川が見える。商業地図によれば田原川のようだ。

 

JA京都やましろ・宇治田原店からでも見えた柿屋建て。

 

 

当地に来て見つかった第4号柿建て。

 

川敷きに近い場にも稲作をしている。

 

その稲作地に構築したと思える柿屋建て。

 

架かる橋から見られた柿屋建てには人の影もない。

 

聞き取りはしたくても、田主の姿は見えない。

 

商業地図によれば、ここは宇治田原の岩山。

 

田原川の河原近くには、それほど大きな岩山は見られない。

 

実は、岩山の地に戦国時代の岩本城跡があり、城山周辺。

 

山頂の主郭部に土塁跡が残り、周辺にも曲輪跡が残る。

 

南北朝の動乱で落城したとの伝承があるようだ。

 

さて、柿屋建てである。

 

田原川をまたがる大きな橋がある。

 

 

渡り切ったところに車を停めて、対岸から見た柿屋建ての構造が美しい。

 

ほかにも柿屋がありそうだが、再訪のときにもう一度探してみたい。

 

(R4.11.11 SB805SH 撮影)

交遊庵やんたん勤務のHさんがひとつ教えてくださった民俗行事に興味を惹かれた。

 

それは「とうろうまつり」と、呼ばれる寺行事。

 

村の人たちが挙って集まってくるそうだ。

 

寺院は湯屋谷の長福寺。

 

その行事は、野菜を用いて”人形”をつくり奉る行事。

 

野菜を材にさまざまなカタチをつくり寺院に奉納する行事は奈良県に数件ではあるが、類似例がみられる。

 

祭事は9月。

 

栽培していた野菜類を寄進してもらい区民が思い思いのカタチをつくる。

 

同じものは一つもないという、ご自身の発想で決まるカタチつくり。

 

ここ宇治田原町・湯屋谷。

 

さて、紹介してくれた長福寺の民俗行事だが、さて長福寺はどこの地であろうか。

 

その地も教えてくれたHさん。

 

採れたて野菜をそのまま活用し、その年の干支の動物をカタチつくり。

 

京都知恩院浄土宗長福寺に奉納する、と教えられてすぐ近く。この道に沿っていけばわかるから、と・・・

 

ほんの近くであった京都知恩院浄土宗長福寺

 

長福寺の存在がわかったので、行事についてお伺いした。

 

車を停めたそこが長福寺の入口。

 

坂道を上がり、お声をかけた。

 

採れたての野菜をそのまま活用し、その年の干支動物を形つくり。

 

ここ長福寺に奉納すると教えられてきた、と伝えた。

 

ご住職夫妻ともども話してくれた大阪生まれの四十二世西村静夫住職。

 

実は、3歳のときに同寺に養子入りしたといわれる。

 

野菜の干支つくりは8月23日手前の日曜日。

 

旧村もサラリーマンが多くなり、みなが集まりやすい日曜日に行われる地蔵盆。

 

朝からデアイにする道の清掃。

 

湯屋谷は谷を四つに分けた西谷(にしたん)・中谷(なかんたん)・塩谷(しょんたん)に石詰(いしづめ)。

 

それぞれに地区ごとに組トーヤ(当家)ら、それぞれがつくりものをする。

 

野菜の干支とつくりものをまとめてのせる「マス」という。

 

どうやら四方か三方かわからないが、幕を垂らすようだ。

 

その「マス」は、幕をもって囲われる。

 

周り全体に、川柳のような文(※正式には“狂句“)をつくるには分担があるらしい。

 

一つは、”愉しみ“に考える役の人。

 

文字を書く人がつくりあげる。

 

その傍に掲げる紙製の灯しを「灯籠」という。

 

その「マス」もまた「燈籠」と呼んでいることから”燈籠張り“というらしい。

 

やんたん資料マップによれば「燈籠に野菜でつくった干支を飾り、てっぺんに青田刈りの稲穂を立て、燈籠には紅白の幣を立てる」。

 

そして、周り全体に狂句を書き入れ、長福寺に奉納する”燈籠張り“行事。

 

旧くは江戸時代から続く伝統行事だ、という。

 

この伝統行事の近年は「やんたん灯りまつり」を併催している、と・・・

 

長福寺本尊は阿弥陀仏。

 

脇仏の地蔵立像を、この日だけは移動し、本尊前に立て、”守華(しゅか)“と呼ぶカザグルマを数多く立てる。

 

行事が終れば地区檀家たちが持ち帰り。

 

お家の桟に一年間飾って家の守り神にする。

 

「やんたん灯りまつり」は毎年実施されるので、一年経てば交換するそうだ。

 

これまで実行していた祭り行事は、手持ちのスマホに撮りこんでいるのでどうぞ見たってください、と・・

 

実例写真の一部を見せてもらった「やんたん灯りまつり」。

 

 

スマホ映像は、本尊、脇仏御前にまつる燈籠まつり。

 

守華(※しゅか)と呼ぶカザグルマ。

 

次の映像は、干支の燈籠。

 

 

青田刈りの稲穂を立て、「マス」の周囲に狂句がいっぱい。

 

 

もう一枚は、青田刈りの稲穂の様相がよくわかる映像だ。

 

スマホだけでなく、ずいぶん昔しですが、と云って見せてくれた台紙にプリント紙をシート版もある。

 

 

時代がわかる「FUJICOLOR HR83」。

 

1983年だから和暦では昭和58年であるが、あくまで年号の83は、プリント紙の製品名称。

 

富士写真が伝える「1983年(昭和58年)2月には、ニュータイプのカラーネガフィルム“フジカラーHR”を発売。

 

それに合わせて、“フジカラーHR”と“フジカラーぺーパー”を組み合わせたプリントを“HRプリント”と名付けて写真の品質向上を進めていた」とある。

 

お寺の先代らが残したその当時に行われていた行事遺産には違わない。

 

 

そのほかにもプリント紙で残した紙の灯籠に紅白の幣。

 

干支の燈籠は青田刈りの稲穂。

 

立てて「マス」の周囲に狂句、である。

 

 

最後に見せてくれた御村の踊りは、燈籠立てた本堂境内に盆踊り。

 

どことなくわかってきたお盆に揚げる(※先祖供養の)灯籠ではないだろうか。

 

また、毎年の9月4日の午後2時からは「カボチャまつり」もある。

 

念仏をあげ、数珠繰りをしていたが、新型コロナウイルス蔓延禍の現実に、参集される檀家たちは檀家総代・当家に絞っている。

 

カボチャまつりを終えたら、本尊に祀った護符を湯屋谷の村の入り口3カ所に札立て。

 

疫病とか、悪いものが村に入ってこんように立てる。

 

そして、暮らしは安全に、さらによくなるよう寺総代やトーヤが立てる、と話してくれた。

 

ご夫妻が見せくれた貴重な映像。

 

新型コロナウイルス蔓延対策も出ることのないよう、祈年申し上げ、場を離れたが、目についたこちらは六地蔵。

 

 

2体が化粧されていた。

 

時間帯は午後4時半。

 

まだまだ、お日さんが照らしてくれている時間帯。

 

帰路、何か見つかるかも?

 

(R4.11.11 SB805SH 撮影)

立川平岡・の立川公民館ころ柿カフェに出会った社会福祉協議会のKさんが、紹介してくれた湯屋谷が所在地の施設宗円交友庵やんたんに立寄る。

 

 

Kさんは、こちらの施設宗円交友庵やんたんに属しているらしい。

 

その近くにも化粧地蔵があるから、と紹介してくださった。

 

また、その近くの冷泉にもある、話をしていた。

 

化粧地蔵の所在地の具体的な地図まであれば、と伺った。

 

立川でお昼の食事を摂って、少しは気持ちが落ち着いた。

 

立川には柿屋建てが3カ所。

 

おまけに塗りの民俗。

 

化粧地蔵の存在も見えてきた。

 

ご縁をいただい、みなさんのおかげに、感謝する。

 

さて、立川から遠方地の湯屋谷。

 

カーナビゲーションにセッテイングした湯屋谷

 

行ってわかってきた湯屋谷は、15年もかけて日本緑茶の製法の礎「青製煎茶製法」を編み出した永谷宗円(ながたにそうえん)の出生の地であった。

 

 

あった、あった地図はあったが「日本緑茶発祥の地 クイズラリー ~解答と解説~」。

 

なんと、まぁ。歴史文化が深い宇治田原。

 

“永谷宗円”の名から、だれもが知る“永谷園”を創業した祖である

 

ところで、この地図にクイズをリンクしたシートは、「ころ柿カフエ」でお会いしたKさんのオリジナル。

 

みなさん、それら方面に活躍できる能力をお持ちで、地域に貢献されてますね。

 

ところで、施設宗円交遊庵やんたんに勤務されている男性もおられる。

 

大学を卒業して、すぐに生家の和歌山橋本から宇治田原移住した地域おこし協力隊。

 

この男性もすごいな、と思う。

 

で、ここでも尋ねた化粧地蔵。

 

交遊庵やんたん勤務のHさんが応えた一つは、この近くの小字冷泉。

 

かつて温泉地だった湯屋谷の今は冷泉が湧くことから、字地は湯屋谷に冷泉。

 

ちなみに地名「湯屋谷」の由来がある。

 

宇治田原町湯屋谷区 区長が提言した『保存計画書 緑茶のふるさと・宇治田原湯屋谷~永谷宗円生家と茶園景観~』に、こう書いている。

 

「湯屋谷地区は、宇治田原町の南東部に位置し、鷲峰山の麓、幾筋かに分かれた谷筋に沿って集落が形作られている。「湯屋谷」の名の由来は、むかし集落内のあちこちに温泉がわき出ていたという伝承があるためで、現在も冷泉が湧き出している。文明十八(1486)年に古図を模写したという「湯屋谷温泉全図」には、数々の寺社とともに「上之湯」などと書かれた部分が一体となった「癒しの郷」だったと言われる」。

 

冷泉は谷筋に沸いていた、温泉に浸かり、身体を癒していたのである。

 

さて、目指すは湯屋谷の冷泉。

 

Hさんにお礼を述べて、Kさんがつくったクイズラリーマップ参照しながら、車を走らせた。

 

カーナビではわかりにくい山間狭隘の道。

 

山へ、山へと勾配の山道を登っていく。

 

あっ、あった、見つかった。

 

 

まさに、書いてあるとおりの「湯屋谷の冷泉です」。

 

パイプホ-スがあることから、目の前にある湯溜め槽。

 

 

裏から見れば、清い谷水が流れる場である。

 

冷泉の地にホースで取り込む水槽。

 

くるりと回った、そこに見た地蔵さんの祠。

 

 

よく、よく見ればおられた化粧地蔵。

 

景観が美しい冷泉の地に佇む化粧地蔵に思わず手を合わせた。

 

時間帯の関係もあるが、午後3時40分の山間は冷たい。

 

11月半ばの冷泉に雪が舞おうとしているように思えた景観。

 

仮に積雪しておれば、間違いなくタイヤチェーンは必須の地。

 

戻り道に出会った高田園の前にある地蔵に、石詰入口の地蔵もまた化粧地蔵。

 

集落ごとに護る化粧地蔵の姿に感動した。

 

(R4.11.11 SB805SH 撮影)