
令和4年の11月22日に突然の電話。
「柿屋に皮を剥いたコロ柿を干している」と、電話で伝えてくれた大道寺のHさん。
この月の11日に訪問した際にお願いしていた、コロ柿干しのはじまり。
ご近所のお近くに建つ柿屋の状況を教えてくださった。
この場を借りて、厚く御礼申し上げる次第だ。
写真的に見れば、本日は曇天。
できるなら晴天の日であれば柿屋が映えるだろうなぁ、と思うが、家でじくじくしていても仕方ない。
と、決断した。
曇天であろうが、柿屋に古老柿をどのような手段で持ち込まれる様子なり、を見ておきたい。
普段の在り方を、逆に拝見できたら、と思う。
とにかく自宅を出発した11月も半ば過ぎの22日。
車を走らせた目的地は、京都府南部の宇治田原の立川。
たまたま屋主がおられた立川岩山の柿屋建ての場。
到着した時間は、午後2時50分。
古老柿であろう、柿屋の棚いっぱいに広げて干していた。
なんと美しい景観であろうか。
はじめて拝見する柿屋にあがって作業ぶり。
棚は3段。
3面ともすべてに干されるのだろう。
地上に置いてあるのは、おそらく業務用の扇風機。
上空に向けて風を起こしている。
柿屋のいちばん下は地面。
茣蓙のような、筵かもしれない敷布。
この場も、古老柿を干している。
遠目から見て、2段、3段目は柿の色で埋めつくしている。
一個、一個ずつ並べて拡げる。
都合上、その上に積んでいくことはないようだ。
それにしても驚く構造物。
大掛かりな構造物はとてもじゃないが、少人数では無理があろう。
組み立てる体力、道具などが考えられるが・・
はてさて、支えは・・・
また、四方に垂らしている黒い布は何用なのだろうか。
私が取材で知った大型の木製構造物は、支柱と竿だけの構造。
稲刈りの穂付き稲束を干す稲架。
ハザカケ、或いはハサカケなどの名称がある構造物。
奈良県の十津川村とか旧西吉野村にあたる五條市の永谷に見られる多段型の稲架け。
宇治田原立川の柿屋は、奈良・南部山間地のハダ(地域名称)を二組。
木材を水平にかまして構成した、いわば立体的な構造物。
倒れないよう、支えが四方に張り巡らせている構造。
しかも斜めに据えた屋根付きの柿屋建て。
これもまた、民俗のひとつ。
生計を支える構造に暮らしの民俗をともなう。

三段目の棚に人が動く。
大声で伝えた「写真、撮らせてもらってもいいですかぁーー」。
男性は、この付近に住んでおられるMさん。
昭和22年生まれのMさんの生業は古老生産もあるが、主業は稲作。
さらに本業は茶生産。
お茶の収穫が終われば稲作に。
稲の収穫が終われば柿屋。
年中休むことなしに働いてきた、というMさんは昔から一人作業。
撮影は構わんが、話かけられるのがかなわん。
質問に答えなあかんし、その間は作業が止まる。
それだから、実際は断ってきた。
農協こと、JAが集めた団体ツアーがくる。
バスはそこの空いている地に停め、ツアー客は、橋の手すり越しに見てもらうならOKにしている、という。
自宅はJAガソリン給油所の裏。
田んぼと、ここと道路向こうの西にも農地がある。

令和4年の本日は11月22日に尋ねた柿屋伺い。
作業の合間に話してもらった聞き取り調査。
柿屋は、立川(平岡・段橋・大道寺)のほかに3カ所あるらしい。
帰宅してからネット情報にあった柿屋が見られる地域は、岩山に南と禅定寺地区。
10月末に建てる柿屋。
古老柿を栽培している土地は、M家のもち山。
収穫してから、カビをはやさんように皮剥き。
“種”はそのまま内部に入ったまま剥く作業。

最近はご近所に委託している皮剥き作業。
屋根は稲藁つくり。

繰り越した稲藁は翌年も使う。
但し、黒カビやらで枯れる藁はいつも2割りくらい。
傷んだ部分は、新しき新米を摂った藁をもって補充し、かつ補強する。
柿屋の古老柿から、ふと話題は奈良県に移った。
かつて奈良県の山添村。
菅生(すごう)を中心に大西、春日、大塩で生産栽培しており、古老柿の実をここ宇治田原に運んでいた。
運ぶ道具は、自動車やトラックのない時代。
大八車で運んでいた時代もあった、という。
宇治田原からは空状態で行く。
山添に出かけて柿の実を買ってくる。
そのときの復路に必要な大八車。
実そのものを買い取り、運んでいたが、栽培を広げるには、柿の“種”をもらうしかない。
“種”を受け取り、M家のもち山に移植した。
むかし、遅瀬にいたなんちゃらいう人は竹製品でなく強靭なとう製の箕をつくっていた。
その大切な箕が、ここに柿棚に置いていたら、買ってきたばかりの箕が、四つとも盗まれた。
今じゃ、入手不可能な奈良・山添村のとう製の箕。
ここに2個やろ、そして家に置いている数個しかない。
奈良の下津にもつくっていた人がいたそうだが、今は・・・・
実は、Mさんが云っているここ宇治田原でいう古老柿は、ころ柿とも、であるが、本来は”鶴の子柿”と呼ぶ小型の渋柿。
奈良県でも、高齢者はよく口にする”ツルノコ”柿。
奈良県の行事や、地元で食べていた里山の柿とか、矢田丘陵での自然観察会に出会った里の柿もまた”ツルノコ”。
行事例は、山添村・春日の申祭りに盛る「鶴の子」柿。
宇陀市・大宇陀平尾に住むI家が家壁に干していた「ツルノコ」柿。
さらには、奈良県の西に近い大和郡山市の矢田町の里で見たツルノコの柿の木。
いずれも下見会に見つけたツルノコ。
おそらく多くの地域で知られた「鶴の子」柿。
柿の品種やブランド名を一覧にしていたネット情報にも鶴の子柿(つるのこ・ツルノコ)表記がある。
特に、宇治田原のM家との関係性が深い、奈良の山添村の菅生、大西、春日、大塩。
とう製の箕つくりも含めて貴重な民俗情報を話してくださり、感謝申し上げる次第だ。
雨の日とか、突風の日はどうされているのか、も教えてくださった。
屋根は稲藁つくり。
全体を覆っている材は稲藁。
屋根に突き出ている支柱にも藁巻き。
稲作をしていない、とこれほどの量を集めるのはたいへんなことだと思う。
実は、屋根の構造を以って、雨滴が干す棚にあたらんように下に流す。
干す面はどこの家も日当たり、南に向き。
ここは東から絶えず風が吹く。
その風があるから古老柿が、えー具合に干せる一等地。
つまり、風がなければ困る話。
風が吹いておれば、乾燥干しは早い。
天日干しだけでは、古老柿はうまくできない、という。

そうか、そうなんだ。
かれこれいっぱい拝見してきた稲架け。
天日干しだけでは、美味しい米にならんのや。
風があってこその柿屋であった。
棚の桟は、細い竹の篠竹(シノダケ)。
昔の家は竈の火があるから燻されて煤まみれの竹が黒光りするススダケ(煤竹)がいちばん。
家を建て替える際にしか生まれないススダケ。

屋根は稲藁だから風が抜ける。
ブルーシートじゃ、風が抜けないから風をまともに受けるから使えない。
だからこそ、風が抜ける黒い紗(※農業用途の寒冷紗)で覆う。
代々してきた柿屋を考案した先駆者がすごい。
あとを次ぐ若いもんはみな高所恐怖症。

この仕事を継ぐもんがおらん。
柿屋はいずれ廃れていくだろう。
今日は曇りだが、出来上がりの古老柿下げ。

明日には広げた莚(※むしろ)に場を替えて干す。

早くに干していた筵の古老柿。
この日の仕上げにするコフキ(粉吹き)。
黒くなった古老柿をさらに仕上げるコフキ。
そう、漢字からわかる粉吹き。
芋でいうなら古吹き芋。
まさに、じゃがいもの調理にある古吹き芋。
「じゃがいもを茹でた後に加熱して水分を飛ばした際、表面が白い粉を吹いたような見た目になることに由来します。デンプンが浮き上がって乾燥し、粉状のホクホクした食感が特徴の料理」で、あるが、古老柿のコフキは甘さを生成する白い粉。
天日干しから下した古老柿に白い粉を生成させる。

こうして高く、高くあげて振る。

空間に風を起こすのも一理あり、ようは古老柿どうしがぶつかることによって白い粉が生まれやすくもなる。
その白い粉は、柿霜(※しそう)と呼ばれる糖分の結晶。
成分はブドウ糖・果糖だから甘い。
宇治田原の古老柿は、道の駅などの販売店に出すことなく、昔からの知人に、贈答用にするようだ。
種がなければ形がへたったようになる。
普段天候が良ければいつも柿屋にいてるから、と話してくれたMさん、に感謝、感謝であった。
ありがとうございました。
また、寄せてもらいますとこの場を離れた時間は午後3時20分。
滞在時間は30分だった。
(R4.11.22 SB805SH/EOS7D 撮影)