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心の歩み、さまざま

米国マサチューセッツ州で、サイコ(心理)セラピーをしています。
そこら辺に転がっている、日常の色々。
心理学の視点、文化の視点から斬ってみると、また別の物が見えてくるかもしれません。

私は心理学者として、離婚を考えている人、直面している人の支援をしています。


又、離婚前、最中、離婚後のストレスフルな時期に、

子育てを同時にうまくこなすための支援をしています。


私は、仕事をしているのがアメリカのマサチューセッツ州なので、

法的な問題は アメリカでの離婚に直面している人々に多少の情報提供ができますが、

ここでこれからお話ししていく心理的なお話は、おそらく様々な国で離婚に直面している人々に

共通に分かち合っていただけるお話ではないかと思われます。


まず、離婚前に悩む人々:

離婚すると子供が可哀想なのではないか、と悩む親。

夫や妻から暴力を受けていながらも、別れる決断ができない人々。

「自分がいなくては相手がダメになる」と思う人。

海外で家族のサポートなしで、これから一人で戦っていけるのだろうかと不安に思う人。

新たに住む場所と、子供の学校などを考えている人。

離婚をするとしたら、どんな手続きをとらなくてはいけないのか、知らないことが多くて不安という場合。

離婚に踏み込んだら、相手の逆襲が怖い。子供が犠牲にならないだろうか、などと悩む人々。

離婚すると、お金がどの位かかるのか不安。離婚後の経済的状況が不安で別れられないという人々。

弁護士を使うべきか、仲介人を使うべきか、プロなしで交渉することができるか等で悩んでおられる人々。

離婚の手続きが始まってから: 法廷へ出す書類の種類、書き方など、悩む人。

法廷から要求される資料作りに思った以上に時間がかかってしまう場合。

自分の家の中で集めて整理する資料の多さなどに戸惑いを感じる人。

法廷で行われる様々な協議の種類がよくわからなくて戸惑う場合。

何を要求する権利があって、どのように要求すればよいのかがわからない場合。

手続きや相手の攻撃のストレスの為、子供にかまっていられない場合。

ついつい子供を怒鳴ってしまう場合。

子供の寝つきが悪くなった、相手の親のところに行きたがらない、学校での問題行動が増えた場合。

弁護士や仲介人との話し合いが思うようにいかず、誰に頼ってよいかわからなくなってしまう場合。

経済的問題。


相手の親と自分はこれからどのように接していけばよいのか:

相手の嫌がらせが止まらない場合。

相手の親に子供を合わせたくない場合、日本に連れて帰ってしまいたいと思う場合。

子供が相手の親に会いたがらない場合。

相手と友達としてつながりたいと思っている場合。

相手に別の人が出来た場合、自分に新しい出会いがあった場合。


子供が成人になるまでの子育て:

子供と相手親が定期的に接する機会について。

学業、習い事、医療、祝い事、祝日などの過ごし方についての、相手との取り決め。

経済的負担などに関する取り決め。 子供の心の内。子供の将来の心の健康。

自分の精神衛生について。


などなど、様々な考えることがあります。


これらについて徐々にお話ししていくと同時に、それ以外のお話しもしたいと思います。


私は専門的に心理学者の立場から見た見解を書きますが、 これはどういうことかというと、

単なる情報提供やアドバイスというのではなく、個人個人の状況を基に、

心のサポートとなるような形をとっていくことが出来たらと思っています。



アメリカでもサイコセラピーに対する意識は、
州や年齢層によってさまざまです。


年が比較的高い人は、
「専門家に問題を治してもらう」という、
処方的なものを求めますし、
サイコセラピストの少ない州に住んでいる人々は、
サイコセラピーはクレイジーな人の為の物であるという
勘違いがいまだにあるようです。


私の住んでいる、ボストンがあるマサチューセッツ州は、
ニューヨークと並んで東海岸のなかで大学が多く、
医学関係や心理学者の非常に多いところです。


ここは、サイコセラピストの数が弁護士の数と同じくらいか
それ以上存在しているところで、
サイコセラピーに関する意識が非常に高いそうです。


どのくらい「意識が高い」のかと言えば、
例えば...


生まれたばかりの赤ん坊に、
何らかの病気や疾患が見つかったとします。
自閉症だったり、心臓疾患だったり、
様々なケースがあるでしょう。


その赤ん坊は当然、専門医の下で
さらなる専門的な検査や治療が与えられます。


同時に、健康で生まれてほしいと願っていた親にとっては
多かれ少なかれショックを受けるのは当たり前です。


その赤ん坊を取り上げた助産婦さんや産婦人科の先生、
または赤ん坊の小児科医、専門医は、
「お母さんがストレスを感じるのは当たり前」で
「これから子育てという大変な作業が待っている」から、という理由で、
さりげなく、親に「良いサイコセラピストを紹介しますよ。」と話をするのは
この辺の地域では、良くあることなのです。


これは、親が鬱になるのを心配している、というのではなく、
あくまでもストレスの多い時期に、
独りで悩みを抱え込まずに、
いかに困難を上手に乗り越えて、
いかに子育てを余裕持ってこなすか、
という点に焦点が置かれており、
あくまでも親を応援する姿勢なのです。


もう一つの例を挙げます。


離婚をすることになった夫婦がいるとして、
どちらもかなり精神的に疲労困憊しています。


どちらか片方が、弁護士に
「心理セラピストにかかりたいけれど、
 それが夫の弁護士や裁判官に知れると
 『精神的不安定』と見なされたりして、
 ひょっとして親権を取られてしまうだろうか?」と
相談をしたとします。


サイコセラピーが何かをちゃんと理解していない人から見ると、
「そうだね、今の時期にセラピーは辞めた方が良い。」と
言いたいところでしょうが、
意識の高い専門家たちは、
「離婚の大変な今の時期だからこそ、
 心のケアをするのが良い。」
と言うのだそうです。


その考えの元には
離婚は親にとって、エネルギーを取られるのは当たり前で、
そのストレスが子供にぶつからないようにしのぐためには、
セラピーに行って、自己管理と子供の管理をする方が、
親としての責任のある人間と、法廷でも認められやすい
というのは、アメリカではほぼ一般的な考え方のようです。


逆に「自分は大丈夫」と思っている親の方が、
自分のストレスの度合いを把握していなかったり、
問題を見ないようにしている場合が多いと見なされるようです。


セラピーとは、セルフケアであり、心の健康を向上させたりする場。
そのような意識が、どこの国でもいろんな職業の人にあれば、
独りで抱え込んで、取り返しのつかないことになる場合も減る、
つまり、世の中の様々な問題が少なくなると
言っても過言ではないのでは、と思う今日この頃です。
今週末、悲劇にまつわりいろんなディスカッションがなされていま

す。アメリカの銃の問題について。メディアの取り扱い方について

。そして、犯人の精神的問題と、心理的セラピーを受けない人々に

ついて。



「問題が起こる前に何かできなかったか。」「犯人がちゃんと治療

を受けていればこんなことにならなかったのでは。」という声を沢

山ききました。



たしかに。同時に、セラピーは「問題のある人の為」のみならず、

「万人の為」のものだと言ってよいはずです。



セラピーは、人々が自分を知る場所。安心しながら、自分の内面を

探って、成長する場所。信頼やアテンションを充分に感じながら、

自分とは何かを見つける所。プライバシーの守られた環境で、自分

の忘れていた感情を吐き出し、さまざまな考えを整理し、自分の行

動パターンを把握し、本来の自分がなるはずだった自分になるため

の道を見つける場所です。



セラピストというのは、長年かけて何を...
トレーニングするかと言うと、取り組んでいる「その人」のニーズ

にいかに集中し、その人に良い状況を提供するかということ。した

がってセラピスト自身の気持ちや考え、ニーズなどによってその人

の大切な作業の邪魔にならないような訓練がされているのです。な

ぜかというとセラピストの中にではなく、「その人」自身の中に答

えがあるはずだからです。



セラピーから何も見出さない人はありえないと言えます。ただ、自

らの意思がなく、人に押し付けられては、セラピーは実現しないと

いうのも事実です。



アメリカは独立を重視する国であるためか、とりわけセラピーに通

うことが「弱いこと」であると勘違いしている人が、残念ながら多

いようです。また日本を含め諸外国には、セラピストに「診断」し

てもらって、サジェスチョンをもらう場所だと思っている人も多い

ような気もします。



たった今現在問題がなくても、生きていく中でさまざまなことが起

こるのが人生。生活に変化があったり、自分が病気になったり年を

とっていったり、身近に居た人が亡くなってしまったり。普段は一

人で生きていると思っても、その時は必ずにどこかで誰かに支えら

れているはずです。人は皆、誰かにつかまって生きていかなくては

いけない時もあり、幼児が母親にしがみつきながら徐々に自分で歩

いていけるようになるのと同じく、ただ一人助けなしには生きてい

けない動物なのだと言うことを、現代の私たちは忘れがちです。



自分を内面まで見つめなおす時期に遅すぎると言うことはないはず

です。ただ、問題が大きくなってから自分自身の中味を見つめるの

は、良い機会とはなりつつも大変な作業です。普段から自分の無意

識を探って自分を知る方が、普段から常に落ち着いていられるとい

うことにつながるのだと思います。



「問題が起こる前に何かできなかったか。」と人々が躍起になって

語るこの日々。事件について「彼がセラピーを受けていればこんな

ことにならなかった。」たしかに、そうかもしれません。

ただ、他人を変えることが難しく、世の中に良くなってもらうには

、自分に何ができるかを考えることのような気もしました。



もしセラピーが「問題のある人」だけの為にあるものと考える人が

居たら、そうではないのだということ、犯人のように思い悩んでい

たかもしれない人のみならず、全ての人の為に門が開かれているの

だということを、この場でお伝えしたく思い、ここに記します。