心の歩み、さまざま

心の歩み、さまざま

米国マサチューセッツ州で、サイコ(心理)セラピーをしています。
そこら辺に転がっている、日常の色々。
心理学の視点、文化の視点から斬ってみると、また別の物が見えてくるかもしれません。

「私より、あの子の事が好きなの?」

 

両親の居る実家を出て

彼と一緒に住むことを考えて

ずっと待ち望んでいた、

というアディさん。

 

最近その引っ越し作業に入ってから

実は、彼にがっかり。

 

彼のアパートを出る日になっても

彼の部屋の荷物はできていなかった。

 

週末3日間、夜中過ぎまで

彼の荷物と部屋の片づけで

自分の荷造りは途中で終わったまま

入居の日を迎えてしまった。

 

私は実家から引っ越すから

急がないのだけれど。

 

でも入居した後の週末は

私の引っ越しを済ませたいのに

友達と遊びに行くことばかり。

 

付き添いに行った私までも

夜、家に帰りたくても

車が一台だから帰れない。

 

やっとスケジュールが空いた日に

実家に戻って荷造りをしても

彼はスマホを見てばかり。

 

「『僕はここに居るじゃないか』って

 言うんです。 居るだけじゃ

 困るんだけれど。」

 

そんな彼。

ある日別の共通の友人の女子が

引越しをするとなったら、

 

他の男子3人と手伝うことになり

そこにアディさんも誘われたとか。

 

「その朝私、言ったんです。

 『そこに行く必要ないでしょ。

 私の引っ越しが先だよね』って。

 

 そうしたら彼、

 『君は来なくていいよ』って言って

 行っちゃったんです。」

 

え、行っちゃったんですか?

 

「はい。」

 

そのお気持ちを察する私。

 

「でもその後、その女の子から

 私もあとから誘われて、

 行ったんです。そうしたら ...

 

 彼、スマホも見ないで真剣に

 荷造りしているんですよね。

 

 それを見てショックを受けちゃって。」

 

そのお気持ちに非常に共感しまくる私。

 

「その場で私も手伝ったんですが、

 かなりブルーになって

 ずっと黙っていたら

 その子に

 『二人で散歩してきたら?』って

 言われたんです。」

 

その後彼に怒りをぶちまけた

というアディさん。

 

その彼の返答が

「だってあの娘は

 ちゃんと指示してくれるんだよ」

とわけわからない返答をされて

 

「指示しなかった私が悪い

 ってことにされて、さらに怒りました」

と。

 

その後、

よくよく聞いてみると、

 

アディさんの彼は、

「外づらが良い」

 

だけではなく

その度合いが激しく

 

意地悪された相手にも

男女関係なく

とにかく「良い人」パフォーマンスを

してしまう。

 

その為に、

自分の事はおろそかになり

 

ましてや彼女である

アディさんの事まで

二の次になることが

度々ある様子。

 

「私聞いたんです。

 『ひょっとして彼女の事が

 好きなの?』って。」

 

聞いたんですね。そうしたら?

 

「そうしたら、『No』って。

 『あり得ない』って言うんです。」

 

そこで、そうだろうと思ったので

ある図を広げて

アディさんに見ていただきました。

 

その図の内容は

 

緊張したり、

人間関係が危ういと感じてしまった時

 

とっさに自律神経が発動してしまい

 

一番高機能な前頭葉が遮断され

 

体全体が

 

「戦ってやられたらやり返すモード」

「もう無理、逃げちゃえモード」

の他

「頭が真っ白フリーズモード」

「私いい人だから嫌わないでモード」

「お願い一人にしないで助けてよモード」

 

という

サバイバルモードの

どれかになってしまう

 

というお話です。

 

アディさんの彼はひょっとして

「僕悪い人じゃないから

 アタックしないでお願い」と言う

いわば

「Noと言わない」

「いい人を演じて」

「自分を犠牲にしちゃう」

という

People-Pleaserの

タイプでは?

 

と伺いました。

 

「あ、そう。ほんと。そうかもしれない!」

 

きっと昔から

Good son

Good student

Good friend

をやって

人から嫌われないしているのでは?

 

凄く沢山頷いているアディさん。

 

でもその度に実は

前頭葉が働いていないから

変な言い訳をしてしまうのだ

と言うのが

今回アディさんが知ったポイント。

 

その翌週。

 

私が描いてお見せしたその図と

似たものがネット上にないか探して

なかったけれど

その内容を彼に話した

というアディさん。

 

そして、今はアディさん。

彼に対して

何か大切な話をする時

「怒っていないから聞いて」

とか

「批判じゃないから聞いてくれる?」

と言って

話を始めるようになったと言われます。

 

「私のタオルの畳み方、見てくれる?

 と言ったら、

 『僕の畳み方じゃ何で悪い?』って

 言いながらも、

 私の畳むのを何気に見ていて

 その翌日から

 私の畳み方に変えてくれたんです。」

 

それを伺って感動した私。

 

アディさん!凄いですね!

あの図をお見せして

そんなに深く理解して

さっさと生活に使っている人は

見たことありませんよ。

 

そうしたら彼女は

「自分でも今話して見るまで

 自分がこんなに

 この関係に投資していたとは

 気づかなかった」

と。

 

早速

私の図をメールでお送りしました。

それを見ながらアディさん。

 

「自分にも当てはまる。

 そして母にも。父にも。」

 

長い間既にセラピーをされてきた

アディさん。

 

最初は自分の言いたいことが

何も言えなかった。

けれど、だいぶ気持ちを相手に

上手に伝えるばかりか

 

相手の気持ちを上手に察して

お話することも

出来るようになっていました。

 

「彼と別れようと思っていた。

 でも何とかなりそう。

 ありがとうございます。」

 

いえいえ。

私もこんなに光栄なことは

ありません。

貴方の真っ直ぐな気持ちに

勇気をいただきます。

 

「母の主治医を変えて欲しい」

 

高齢になる母が今度首の手術をする

と言われるマリアンさん。

 

詳しく伺ったら

首に出来た嚢胞を取り除く手術で

お母さまは75歳だとか。

 

前回お母さまの腰の手術をした主治医に

今回も頼むと言っているお母さまの意向に対して

マリアンさんと弟さんは

頭と首の専門の医者に

変えてもらった方が良いと思うとのこと。

 

「My mother loves our attention, 

  but she basically tells us to 

  leave her alone」と。

 

つまり。

お母さまは入院されたりすると

人に看病されるのが大好き。

 

でも一方で

自分の方針を

家族が変えようとするのは嫌だから

放っておいて欲しい

と言われると。

 

マリアンさんに

何故主治医を変えるのが良いのか

を伺ったら

「失敗したら取り返しがつかない」

と。

 

何を一番懸念されていますか?

と伺ったら

 

「首の神経をいじられて

 体がマヒして母が動けなくなること。

 そうしたら

 私達の仕事が増える。」

 

とのこと。

 

更に伺います。

マリアンさん、

お母さまの決断を信用していますか?

 

「No」

 

なぜですか?

 

「母は記憶が弱いから」

 

今回記憶が弱い為に

何が支障になっていますか?

 

「作り話もでっち上げもするし

 人の話を聴かない。」

 

マリアンさんはここで

言語化をしてみて初めて、

お母さまの難しさは

 

高齢や記憶の問題

ではなく

 

昔からの性格によるものだ

 

と気づかれたような。

 

ではマリアンさん。

お母さまの主治医を

マリアンさんは

信用していますか?

 

「No」

 

何故?

 

「だって前回手術をした時

 翌日に家に帰したのよ。

 

 金曜日で医者も

 家に帰りたかったからじゃ

 ないかしら? 

 週末も入院させてほしかったのに。」

 

その結果、マリアンさん達が

大変だった、と?

 

「そう。」

 

なるほど。

 

「だって、母は医者も

 言いくるめるのよ。

 

 手術の後なのに

『大丈夫だから、

 家に帰りたいから』

 って。」

 

今現在、お母さまの医療の

代理意思決定者は

誰ですか?

 

「妹。」

 

お母さまには認知症の診断は

出ていますか?

 

「No」

 

そうすると、

今の段階では

ご家族が医療決定をすることは

無理という事ですね。

 

「...。」

 

医者の判断で

家に帰ることが可能で

本人が家に帰りたい、と言われる場合

医者が家族の理由で

病院に引き留めておくことは

ないのでは?

 

「でも医者がもう少し

 そこを何とかしてくれても

 良かったと思うのよ!」

 

なるほど。

それってマリアンさん

 

お医者さんの腕や経験を

疑うとか

お母さまを信用しないとか

ではなくて、

 

お母さまが入院や手術が必要

となる度に

 

心配や不安になって

誰かに頼りたくなる

 

という事ではないですか?

 

「!」

 

その上に、

以前から、話し合いで同意の難しい

お母さまとのわだかまりも

気持ちの中でまだ

なかなか解消されていませんよね。

 

「それはあるかもしれない」

 

では伺います。

 

私というセラピストが

マリアンさんにとって

実際どれだけ信用があるかは

別として。

 

マリアンさんのお子さんたちが

「あのママの心理セラピストさぁ、

 信用できないよね!

 私らが選んだ別のセラピストに

 さっさと変えさせた方が 

 いいんじゃない?」

 

と話し合っていたとして

マリアンさんは

どんな気持ちになりますか?

 

「アハハハー!」

と笑いだすマリアンさん。

 

「そんなの絶対嫌に

 決まっているじゃない!」

 

セラピストとクライアントさんだけでなく

医者と患者さんの間も

信頼関係で結び付くことは

ありますよね。

 

それにもしかして

手術の直後に家に帰る前に

 

ひょっとして

お母さまは主治医に

「今週孫と会いたいのよねー

 家に帰りたいわぁ」

とか

「家のご飯が食べたいのよぉ」

とか言って

お医者さんも

「わかりますよー!それ!」

 

と同意した、なんて経緯が

あったりしたかも

知れないですよね。

 

大笑いしてから

目の端の笑い涙を手で拭いて

ため息をつくマリアンさん。

 

「まあねー。私が不安なのよ。」

 

それは自然なのではないですか?

 

そんな風にして、今日も

マリアンさんとのセッションが

終わりました。

 

「自分が30歳にもなって、

 まだまだ立派な人間に慣れていない。

 それを情けなく思う」

と言われるインド人のサマワさん。

 

「自分は医者として専門知識があるのに

 患者さんに質問されると

 間違いを指摘されるのではと緊張してしまう。」

と言われる中国系アメリカ人のチョンさん。

 

「父親として男として、

 子供や妻に立派なところを

 見せなくてはいけない」と

仕事でも家庭でも

弱い自分を出そうとしないために

つい威張ってしまうと言われる

日本人のタケルさん。

 

いわば
「権威者に対する期待が大きい」

という傾向が、

アジア系の人に多い様に

お見受けするのは私だけでしょうか?

 

一方で。

 

アメリカ人のある家庭のワンシーン。

クリスマスのプレゼントを交換する場面で

子供がディズニーランドに行くチケットを

もらって、歓喜余ってうれし涙が出た。

 

それを見ていた母親も貰い泣き。

その時にお母さんが娘に

「Look, I am crying, too!」と言った。

つまり

「見て!ママも涙が出ちゃった!」

と子供にわざわざ言ったりする。

 

「泣いても良いのよ

 大人も泣くしね。

 一緒に感情表現をして

 はしゃぐのは自然なのよ。」

というメッセージ。

 

うーん、違うわ。

 

これがアジア人の

多くの反応でしょうか。

 

何かが違うんですよね。

何が違うのでしょう?

 

こういう違いもあります。

 

アメリカの企業で働く

日本人のアヤさん。

 

アメリカ人の上司の元で

頼まれていないことも含めて

残業して週末も返上して

頑張って働いている。

 

こんなに頑張っている自分を

上司が静かに遠くから見ていてくれて

認めてくれて、

いつか昇格させてくれても良いのに...。

 

と思って以前それをセラピーで話したら

 

「いや、それ、上司の業務内容じゃ

 ないから。」

「頼まれていないことって、あなた

 業務内容に書いていないことは

 やらない方が良くない?」

 

...なんてアメリカ人のセラピストから

言われてしまった。

 

この差です。

あっけらかんと見事なまでの差。

 

いえ、ドライなのが良いとは言っていません。

 

この、何気にいつの間にか

上司に親の様な「情」を求めるという

「受け身」な姿勢の様な心理。

 

期待していも何も起こらないことに

落胆と怒りを感じることも。

 

ではなぜアジア系の人にこの

「受け身」的な「上司への期待」

があのか、ですよね?

 

ここでセオリーを導入します。

例えば、

Authoritarian Parents(タイプ1)と

Authoritative Parentsと(タイプ2)

いう定義があります。

 

言葉の意味は後で吟味するとして、

例を見てみましょう。

 

子供が風邪ひいて熱を出した。

薬は飲みたくない、という状況の時。

 

Authoritarian (タイプ1)な親

の対応はざっくり言うと:

 

「薬を飲みなさい」(やや命令的)

苦いから飲みたくない (子供の意見はスルー)

「飲まないと熱が下がらないぞ」

「親の言う事を聞かないから風邪が治らない」

「学校に行けなくても知らないぞ」(ちょっと脅し)

「聞き分けの悪い子供だ」(ちょっと決めつけ)

と言った感じでしょうか?

 

一方でAuthoritative(タイプ2)な親の

対応は:

 

「何で飲みたくないの?」(質問する)

苦いから

「どうやったら飲めるかな、甘いのと混ぜる?」

(一緒に考える)

「この薬を飲むと風邪が治ると言うよりは

 熱を下げてくれるから楽になるんだよ」

(情報を提供する)

「薬を飲むか飲まないかはあなたに任せる

 けれど、結果が悪くなったらその責任は

 自分で取れるかな」 (選択肢と責任をちらつかせる)

 

この書き方は極端ではあります。

 

けれどこのポイントは、

上の者に従う教育か

自己責任感を養う教育か

の違いとでも言いましょうか?

 

別の言い方をすると

最初のAuthoritarian というのは

「権威主義」と訳せて

 

一方でAuthoritativeというのは

「権威はあるけれど信頼のできる」

とと解釈できましょうか?

 

この「受け身的な傾向」が育まれる理由に

アジア的教育や躾の形があるのでは、

と私は着目しているのであります。

 

異論は認めます。

 

目上の人の言う事を「ちょっと違うな」

と思いつつも、我慢して従ってきた結果

 

「先生の言うとおりにしてきたのに

 結果が酷いじゃないか」

「正しく導いてくれなかった!」

「誰も助けてくれなかった!」

 

と、いわば「裏切られた感」も

芽生えることも、あるのでは

ないでしょうか。

 

様々な国のクライアントさんと

お話をさせていただいていると、

国による違いが見えてくる

気がします。

 

幼い頃に大人から受けたメッセージによって

 

自分を信じて良いのだ 

と思う場合もあれば

 

他人に大きく期待したり

自分に期待しすぎてジレンマになったり。

 

場合によっては

過去に抑圧された結果

心の傷となっていたり

 

それがセラピストへ投影されて

セラピストへの懐疑心と

期待の入り混じったような

怒りの様なものが出てくる場合も。

 

一方、

セラピストに完璧を求める

クライアントさんには

申し訳ないくらい

結構ヘマの多い私。

 

それに耐えられるクライアントさんと

耐えられないクライアントさんが

いらっしゃり

 

そこで耐えられなかった人には

本当に申し訳なく

 

そこを何とか通り抜けた後、

「ヘマが多いけれど理解してくれるセラピスト」

として受け入れて

 

「そんなでも良いのか」と

フランクになっていかれるクライアントさんも

いらっしゃいます。

 

いえいえ、私を正当化するために

書いている訳ではありませんが。

 

ご自分に過去に課せられた

やんわりとした圧力。

 

それがいつか

自分や他人への期待や圧力へと変わり

人間関係がうまくいかなくなることも。

 

親だって社長だって有名人だって

ありのままの自分を出したって

良いではないか。

 

それは無責任を助長する

という話しではなく

 

ご自分らしさを子供にも周りにも

ためらわずに見せられる

というお話ですよね。

 

そんな風に変わっていかれる

クライアントさんを目の当たりににすると

良かったなと

ホッとする私です。

 

「クラス会に行ったの!」

 

コロナ禍はリモートで仕事をし

週末は家族や親戚に会う事はあっても

その他の誰か大勢と会ったのは

実に何年ぶりだった

と週末の報告をしてきたマリアンさん。

 

最初はこのクラス会の連絡があった時

一瞬「えー!行きたくない!」

と思ったのだとか。

 

何故なら、20年前の時は

元クラスメートの皆さん、

なんだかキラびやか。

 

仕事で成功をして

豪邸を買って

豪華クルーズに行って

という話しが多く

 

自分と比較したら

居場所がない気分になっていたと。

 

ところが今回は

「61歳になって

 『ずっと仕事辞めたい』って

 私ぼやいていたでしょ。

 でもね!

 他の人で最近首切られた人もいたし

 この年で再就職に付けている人も居なくて

 仕事があったのは私と他の少人数だけ!

 なんか I felt so greatful! 

 私はなんて恵まれているんだと

 思ったわ!」

 

この「感謝」の言い方に

アンダーラインをする私。

 

「しかもね!

 前回は話すことが少なかったけれど

 今回は

 退職後の貯蓄の話とか

 健康の話とか

 孫の話とか!

 話すことが尽きなかった上に

 うちは孫に双子が生まれたから

 私の孫の写真が一番ゴールドスターで

 皆のアテンションを引いたの!

 楽しかったぁ!」

 

とマリアンさん。

 

そうですか。

楽しかったのは何よりです。

 

ここで、長年私と

セラピー付き合いのあるマリアンさんには

正直にお伝えしました。

 

マリアンさんは

人と比べるという事無しに

幸せを感じることに慣れるのが

マリアンさんの

近々のゴールですね。

 

そうしたら、マリアンさん

慌てて

「別に競争心はないのよ!

 私がその立場じゃなくて

 ホッとしたって話よ!」

と。

 

はい。わかりますよ。

そしてセラピーで心の内を

正直に話されるのは

マリアンさんの強さです。

 

今回のお話は

ご自分がいかに恵まれているかに

気づいた瞬間だったという事ですね?

 

「そうそう!

 I felt thankful for what I have!」

 

そういう事ですね。

 

でも、

他人が不幸になったのを見て

我に返り

手の中にあるものに

感謝するというのは

貴方の信じる宗教の教えの中に

あるのでしょうか?

 

「それは、そうかな。」

 

では伺います。

自分の不幸を誰かに話した後に

「あぁ私、あなたの立場じゃなくて

 良かったぁ!感謝しなきゃ」

と言われたら、

マリアンさんだったら

どんな気分になりますか?

 

吹き出すように

大笑いする彼女。

 

「それってすごく嫌味な

 Bitchっぽい発言よね!

 でもね!その人達の前で

 言ったわけじゃないの!」

 

はい。わかりますよ。

 

でも、考えていることを

相手に言わなければ

伝わらないとうことではない。

 

考えは無言の表情に

漏れることもあります。

 

そもそも、

その考え方の癖を

続けたいか、というお話です。

 

もう一度お話の内容をReviewしてみましょう。

 

前回のクラス会で

マリアンさんは、

人々の何かに圧倒されて

自分は居心地が悪い思いをした。

 

けれど今回は

自分自身の話をしても

誰にも批判や決めつけの目線で

見られる恐れがないと

感じて

人とつながることが出来て

嬉しかった

 

つまり

人と比べる、という視点で考えなくても

十分成り立っている

話ではないですか?

 

「まぁ...確かにそうかな。」

 

マリアンさんは

このセラピーを通して

ずいぶん変わりましたよね。

 

「うん。」

 

ご自分では何が変わったと

思いますか?

 

「私は前は 

 人の顔色ばかり伺って

 言いたいことも言えずに

 我慢ばかりしていたかな。」

 

そうですよね。

今は「お互いに良い」関係を

作ることが出来るように

ご主人にも子供さんにも

遠慮せずにお願いすることも

出来て

嫌味を言う同僚も

スルー出来て

不安がだいぶなくなったのでは?

 

「うん。だいぶ人が怖くなくなった

 気がする。」

 

という事は。

今回クラス会で

自然体で居られたのは

以前ご自分が抱えていた

ためらいや恐れが

既に減っていたから

ではないですか?

 

「!」

 

でも

ご自分に自信がついても

なかなか自分の成果だと認めずに

「他人のおかげで」

自分が楽になったと

結論付ける傾向に

ありますよね。

 

「...そうかもしれない。」

 

だから今回クラス会で

楽しい思いをしたのは

人と比較して

自分が上だったという

今までの考え方の型に

はまった話し方に

なっていたようですが

 

実は今は

相手の立場を理解したり

緊張せずに人とつながる

余裕が出来ている

だから

今回の集まりが

楽しかった

 

という事に

なりませんか?

 

「あー。うんうんうん。」

 

でもですね、マリアンさん。

別に私が言うままに

考えなくても良いのですよ。

 

今までの様に

人と比べて自分の立場を感謝して

Bitchっぽく居たければ

それでも良いし。

 

大口を開けて笑うする

マリアンさん。

 

「私、嫌な人のオーラが

 出ていたかしら?」

 

どうでしょう?

皆さんとの最後の別れは

どんな感じでしたか?

 

「もう電話番号やメールを交換して

 毎月でも会いたいね

 って皆が言ってくれた。」

 

ですよね。

それは嫌な人には

言わないのでは。

 

ホッとした顔をした後

笑顔が満面に広がっています。

 

「私ね、仕事頑張ろうと思うの。」

 

いい刺激をもらっていらしたんですね。

 

「そう!いい刺激!」

 

人とつながって良いパワーを

もらってきた。

そんな嬉しそうなマリアンさん。

 

「じゃ、もうセラピー要りませんね」

と冗談ぽく言ったら

 

「あーそれは、まだー!」

と笑う彼女が居ました。

 

「子供がうざったい。」

 

ねーパパ遊んで!

という息子が

うるさく感じで仕方がない。

 

今日は仕事で疲れた。

部屋でゆっくりしているのに

息子まとわりついてくる。

 

部屋を変えて地下室にこもると

妻が探して入ってきて話をしたり

息子が宿題を見てくれと

追いかけてくる。

 

なんで僕が居るところを

かぎつけるんだろう!

と苦笑して歯を見せる

ジェンキンスさん。


ジェンキンスさんは

自分が息子にいらいらすることに

実は罪悪感を感じておられると。

そして息子に嫉妬心を抱いている

それも信じられないと言います。

 

夜中にしょっちゅう邪魔してくる息子を

自分の布団に居れる妻。

 

彼女のせいで息子が甘やかされていると

彼女を恨んだりしているけれど

実は妻の息子への愛情が憎い。

 

その上息子は

母親を邪見にする。

とんでもない息子だ。

 

怒ってみては、

怒っている自分を責め、

自分を責めることで何かが向上すると

毎回セラピーにやってくるけれど

なかなか自分が変わらない、と。

 

しかも何より

怒りを感じる自分そのものが、

神にも背いている気がする。

 

自分の事が一番嫌いだと

言えるかもしれない。

 

そんな

ジェンキンスさんに聞いてみます。

 

以前ジェンキンスさんは

幼い頃、お父さまがテレビばかり見て

話しかけると邪魔扱いした

と言っておられましたね。

 

もしかして、知らぬ間に

お父さまの姿を学んで、

忠実に再現しているということでは

無いですか?

 

「...。 だとしたら

 どうやったら治るんだよこれ。

 以前だって父親への嫌悪感については

 セラピーで話したじゃないか。」

 

そういわれるジェンキンスさん。

 

けれど実際は...

ジェンキンスさんがお父さまの話を

する時はどちらかというと

「なかなか思い出せない」

という言い方が多いですよね。

 

お父さまの

「自分を大切に扱ってくれなかった姿}

をお話し始めると、

そのすぐ後には、

 「でも父親は働き者で

 僕が10代になってからは

 助けてくれた」

という風に

すぐさまお父さまの立場を守る思考に移りますよね。

 

お父さまへの感情を丸出しに表出されたり

ご自分の気持ちを言語化される事は

なかなか無かったですよね。

 

自分の中の本当の感情が

現れると良いと思うのですが。

 

なので、改めて伺います。

 

ジェンキンスの中に居る

幼いジェンキンス君は

お父さまと遊びたくても

絵を見せて褒めてもらいたくても

こっちを見てくれなかった。

 

そのジェンキンス君は

どんな気持ちだったと思いますか?

 

するジェンキンスさん、

悲しかった、と言われるのかと思っていたら

そうではなく

「僕は母親にすごい酷いことをした。」

と言われます。

 

酷いこと?どんなことですか?

 

「母親に怒鳴ったり蹴散らしたり」

 

ほお。そのお話は初めてですね。

子供が親に怒りを出すには

何か理由があったのではないかと思いますが、

何故そんな素振りになったと思いますか?

 

「わからない」

 

お父さまにぶつけられない感情を、

お母さまに安心して出していたという事は

ありませんか?

 

又ひょっとして、寂しい思いをしていたとか

自分を見て欲しいと思っていたとか。

 

「それはあると思う。」

 

幼いジェンキンス君に対して、

今大人のジェンキンスさんは

どんな気持ちになりますか?

 

そんな風に聞いてみたこの時の私は、

ジェンキンスさんが

幼い自分の気持ちを受け止めると、

少しはお父さんへの怒りも出て、

過去の呪縛から外れるのかと

少し期待をしてしまっていました。

 

ところが...

 

「I hate him! The little guy in me is 

 a stupid little pig!

 He should have been dead.」

 

おお!怒りが幼い自分に出ましたね!

 

そんな子供は死んでしまえ、

と。

 

何故でしょう?

 

「母は何も悪いことをしていない

 僕は母に八つ当たり居ていたんだ。

 そんなガキは居ない方がマシじゃないか。」

 

ジェンキンスさん。

どこまで行っても

ご自分に相当な怒りがあるのですね。

 

そしてその後、

なぜそこまでご自分を責めるのかについて

しばらくいろんな角度から

探るセラピーが続きました。

 

そうしたら

ジェンキンスさんは語りました。

 

10代の頃に麻薬をやっていた事。

盗みを働いていた事。

当時の彼女を妊娠させてしまって

中絶もさせてしまった事。

 

そして酒でグダングダンに酔って

運転して車で木に突入して

廃車にした時がまだ未成年者で

警察が来たときは

お父さんがすでに駆けつけていて

自分が代わりに運転していたことに

してくれた事。

 

「それから父親が違う人に見えて

 僕は酒も薬もやめて

 ギャングを飛びだして

 教会に行くようになった。」

 

本当はずっと

相当寂しい思いをして

その気持ちをマヒさせるために

少年の頃から酒や麻薬に手を出しても

親は知っていても知らんふり。

 

悲しい思いをしていたり

怒りも感じていたかもしれない。

 

けれどその心の傷は

 

お父さまの善意で蓋がされてしまって

 

更に自分の悪行への罪悪感や恥の気持ちが

処理されていなかった

 

というのが

徐々に見えてきました。

 

そして教会に行くようになってからは

 

さらに親に対する怒りを口にするのは

彼の意識ではとんでもないことだと

解釈された様子。

 

感情に蓋がされて

その蓋の上に更に蓋が重なった

そんなイメージでしょうか?

 

でもね、ジェンキンスさん。

セラピーでは

「親に対する愚痴を言うこと」が

目的というのではなく

 

「自分の過去の未処理の気持ちが

 放置されているのだとしたら

 それを掘り起こして

 改めて感じて言語化する」こと

 

が目的なのです。

 

自分の感情は

正しかった。

 

寂しいと思う事や

やるせないと思う事は

間違っていなかった。

 

その様に受け止めることによって

やっと前に進める。

 

セラピーはそんな役割も

あるのだと思います。

 

いつかご自分を許すことが出来たら

息子さんを許すことも

出来るのではないでしょうか、ね。