権威者に期待してしまう自分 ー サマワさん他の場合 | 心の歩み、さまざま

心の歩み、さまざま

米国マサチューセッツ州で、サイコ(心理)セラピーをしています。
そこら辺に転がっている、日常の色々。
心理学の視点、文化の視点から斬ってみると、また別の物が見えてくるかもしれません。

「自分が30歳にもなって、

 まだまだ立派な人間に慣れていない。

 それを情けなく思う」

と言われるインド人のサマワさん。

 

「自分は医者として専門知識があるのに

 患者さんに質問されると

 間違いを指摘されるのではと緊張してしまう。」

と言われる中国系アメリカ人のチョンさん。

 

「父親として男として、

 子供や妻に立派なところを

 見せなくてはいけない」と

仕事でも家庭でも

弱い自分を出そうとしないために

つい威張ってしまうと言われる

日本人のタケルさん。

 

いわば
「権威者に対する期待が大きい」

という傾向が、

アジア系の人に多い様に

お見受けするのは私だけでしょうか?

 

一方で。

 

アメリカ人のある家庭のワンシーン。

クリスマスのプレゼントを交換する場面で

子供がディズニーランドに行くチケットを

もらって、歓喜余ってうれし涙が出た。

 

それを見ていた母親も貰い泣き。

その時にお母さんが娘に

「Look, I am crying, too!」と言った。

つまり

「見て!ママも涙が出ちゃった!」

と子供にわざわざ言ったりする。

 

「泣いても良いのよ

 大人も泣くしね。

 一緒に感情表現をして

 はしゃぐのは自然なのよ。」

というメッセージ。

 

うーん、違うわ。

 

これがアジア人の

多くの反応でしょうか。

 

何かが違うんですよね。

何が違うのでしょう?

 

こういう違いもあります。

 

アメリカの企業で働く

日本人のアヤさん。

 

アメリカ人の上司の元で

頼まれていないことも含めて

残業して週末も返上して

頑張って働いている。

 

こんなに頑張っている自分を

上司が静かに遠くから見ていてくれて

認めてくれて、

いつか昇格させてくれても良いのに...。

 

と思って以前それをセラピーで話したら

 

「いや、それ、上司の業務内容じゃ

 ないから。」

「頼まれていないことって、あなた

 業務内容に書いていないことは

 やらない方が良くない?」

 

...なんてアメリカ人のセラピストから

言われてしまった。

 

この差です。

あっけらかんと見事なまでの差。

 

いえ、ドライなのが良いとは言っていません。

 

この、何気にいつの間にか

上司に親の様な「情」を求めるという

「受け身」な姿勢の様な心理。

 

期待していも何も起こらないことに

落胆と怒りを感じることも。

 

ではなぜアジア系の人にこの

「受け身」的な「上司への期待」

があのか、ですよね?

 

ここでセオリーを導入します。

例えば、

Authoritarian Parents(タイプ1)と

Authoritative Parentsと(タイプ2)

いう定義があります。

 

言葉の意味は後で吟味するとして、

例を見てみましょう。

 

子供が風邪ひいて熱を出した。

薬は飲みたくない、という状況の時。

 

Authoritarian (タイプ1)な親

の対応はざっくり言うと:

 

「薬を飲みなさい」(やや命令的)

苦いから飲みたくない (子供の意見はスルー)

「飲まないと熱が下がらないぞ」

「親の言う事を聞かないから風邪が治らない」

「学校に行けなくても知らないぞ」(ちょっと脅し)

「聞き分けの悪い子供だ」(ちょっと決めつけ)

と言った感じでしょうか?

 

一方でAuthoritative(タイプ2)な親の

対応は:

 

「何で飲みたくないの?」(質問する)

苦いから

「どうやったら飲めるかな、甘いのと混ぜる?」

(一緒に考える)

「この薬を飲むと風邪が治ると言うよりは

 熱を下げてくれるから楽になるんだよ」

(情報を提供する)

「薬を飲むか飲まないかはあなたに任せる

 けれど、結果が悪くなったらその責任は

 自分で取れるかな」 (選択肢と責任をちらつかせる)

 

この書き方は極端ではあります。

 

けれどこのポイントは、

上の者に従う教育か

自己責任感を養う教育か

の違いとでも言いましょうか?

 

別の言い方をすると

最初のAuthoritarian というのは

「権威主義」と訳せて

 

一方でAuthoritativeというのは

「権威はあるけれど信頼のできる」

とと解釈できましょうか?

 

この「受け身的な傾向」が育まれる理由に

アジア的教育や躾の形があるのでは、

と私は着目しているのであります。

 

異論は認めます。

 

目上の人の言う事を「ちょっと違うな」

と思いつつも、我慢して従ってきた結果

 

「先生の言うとおりにしてきたのに

 結果が酷いじゃないか」

「正しく導いてくれなかった!」

「誰も助けてくれなかった!」

 

と、いわば「裏切られた感」も

芽生えることも、あるのでは

ないでしょうか。

 

様々な国のクライアントさんと

お話をさせていただいていると、

国による違いが見えてくる

気がします。

 

幼い頃に大人から受けたメッセージによって

 

自分を信じて良いのだ 

と思う場合もあれば

 

他人に大きく期待したり

自分に期待しすぎてジレンマになったり。

 

場合によっては

過去に抑圧された結果

心の傷となっていたり

 

それがセラピストへ投影されて

セラピストへの懐疑心と

期待の入り混じったような

怒りの様なものが出てくる場合も。

 

一方、

セラピストに完璧を求める

クライアントさんには

申し訳ないくらい

結構ヘマの多い私。

 

それに耐えられるクライアントさんと

耐えられないクライアントさんが

いらっしゃり

 

そこで耐えられなかった人には

本当に申し訳なく

 

そこを何とか通り抜けた後、

「ヘマが多いけれど理解してくれるセラピスト」

として受け入れて

 

「そんなでも良いのか」と

フランクになっていかれるクライアントさんも

いらっしゃいます。

 

いえいえ、私を正当化するために

書いている訳ではありませんが。

 

ご自分に過去に課せられた

やんわりとした圧力。

 

それがいつか

自分や他人への期待や圧力へと変わり

人間関係がうまくいかなくなることも。

 

親だって社長だって有名人だって

ありのままの自分を出したって

良いではないか。

 

それは無責任を助長する

という話しではなく

 

ご自分らしさを子供にも周りにも

ためらわずに見せられる

というお話ですよね。

 

そんな風に変わっていかれる

クライアントさんを目の当たりににすると

良かったなと

ホッとする私です。