ネタバレ含むってタイトルにも書いたから、ダメな人は気を付けてね。
で、それよ。
この映画、宣伝でも騙し合いやどんでん返しがある事が謳われてるけど、どこまでが作り手の想定しているものかがかわからないのよ。
冒頭で新人の原稿を見る高野(松岡茉優)と薫風社社長が犬の散歩をするシーンのカットバックのところから
「すげえ、かっけえ、おもしれえ」
とワクワクしっぱなしで最後まで観たんだけど、話が終わるちょっと前のシーンですごい引っかかったの。
速水(大泉洋)を出し抜いた高野が、新しく始めた事業で独占販売する本が並べられてるシーンがあるんだけどあそこ気になった人いないかな?
作中で高野はすげえ本が好きな人のように描かれてるんだけど、果たしてそれが本当なのかどうか、と。
正確に言うと、高野は「文学」や「作品」には価値を見ていてもモノとしての「原稿」とか「本」そのものにはさほどのこだわりが無いのではないかと思ってしまったのよ。
というのも、くだんの本が並べられているシーン。
一冊数万する本を、らせん階段のように少しずつずらしながら回転させて積み上げる形にディスプレイしているんだけど、モノとしての「本」が好きな人ならそんな不安定な積み方をわざわざするかなあ、と。
同じような積み方をしてTwitterで批判されてる書店を何年か前に見た記憶があったからそれを思い出したんだよね。
積まれてる本がディスプレイ用のダミーってことなら、俺の話はここでおしまい。すべて俺の勘違いでした、で済むんだけど、これが勘違いじゃないと考えるとしっくりくるシーンが割と作中に登場している。
まずは上にも書いた通り、いきなり引き込まれた冒頭のシーン。
原稿に目を通す高野は机の上にコーヒーを置いている。
原稿に集中し過ぎていて注意が疎かになっていたのか、突然かかってきた電話に驚いたのか、電話のコードをコーヒーのカップに引っかけて倒してしまう。
ここで高野は思わず謝りながら原稿にこぼしてしまったコーヒーを拭き取る訳だが……。
この時点では無名の新人の原稿(コピーかも知れんけど)とは言え、本が好きな人がそこにコーヒーこぼすかもしれない状況で作業するかなあ?
そして更に。酒に酔った高野を速水がタクシーに押し込んで送るシーン。
高野がかばんの中の荷物をぶちまけてしまうんだけど、大事な原稿を持ってる状態で泥酔したり、あまつさえ落として失くすかもしれない状況に置くだろうか。
あそこで落とした原稿はコピーで原本やデータは編集部にあるのかもしれないけど、だとしても頓着が無さすぎやしないか。
ここで回収し損ねた原稿が速水の手に渡った事で騒動に発展するわけで、ストーリー上重要なシーンでもあるのだが、それは高野がモノとしての原稿を大事に扱っていないから起こった事なのだ。
あと、これはそんなに大事じゃないかもしれないけど。
高野の実家の本屋はマンガにカバーがかかってなくて立ち読みが出来る状態になっていて、子供が何も買わずに閉店までたむろしているが、店主である父親もそのことには寛容な様子。宇多丸の映画評では地域のコミュニティとしての本屋の役割を大事にしているという解釈をしたようで、なるほどそういう見方はできる。
それは同時に、(売り物であっても)誰かが触って多少汚れた本にも抵抗が無いという事だろうし、モノとしての本にそこまでの愛着が無い可能性に繋がるかもしれない。
これらのシーンが「実は高野はモノとしての本にはそんなに頓着が無い」ことを示すために入れられたシーンだとしたらスゲエなあと思うし、完全に騙されたなあと思うんだけど、これ俺の単なる深読み、しかも間違ってる可能性も充分あるのよね。
むしろ、物語的にはそういう部分には特に触れずに進むし、この要素が無くても問題なく成立するから、わざわざそんな設定仕込んでない可能性の方が高い。
けれど、それについて明確に示されるシーンが無いから自分の解釈をどうしても消せないのよね。
そんな訳で、俺の中で高野は文学や作品は愛していてもモノとしての本が好きな訳ではない。少なくとも大切にはしない人なんだろうなあと思ってしまったのでした。
映画観てからずっとこの部分が気になってて、珍しくネタバレ感想系のブログとかまとめ記事とか読んじゃったんだけど、特にここに引っかかってる人がいなかったし、アトロクで宇多丸も触れてなかったからとうとう俺のモヤモヤの行き場がなくなってしまい、ついつい眠っていたブログを起こして書きなぐってしまった、という次第。