2010/09/25(土)
LEONです。
今日(9/25)明日(9/26)は百舌鳥八幡宮月見祭が開催されます。
ふとん太鼓を奉納します。
いい写真が撮れたら写真集新作にアップするつもりです。
さてこのお祭り・・・地元の秋祭りとしては結構規模も大きく有名です。
中秋の名月のあたりの土曜日曜に執り行なわれるのです。
今年は十五夜(中秋の名月)が9/22で、十六夜(いざよい)が9/23、
十七夜(立待)が9/24となっています。
さて、本題です。ただ十七夜については後に出てきますのでちょっとだけ
記憶に残しておいてください。
浅田次郎の『勇気凛凛ルリの色』というエッセイ集に『三島由紀夫に
ついて』があります。
LEONは三島が自衛隊の市谷駐屯地において憂国を説いて割腹自殺を
したことで、一種のアレルギーを感じていたからか、その著作を読んだ
ことがありませんでした。
しかし、次に引用する部分を読んで、トライしてみる気になりました。
三島由紀夫はわれらの時代の知的シンボルであり、同時に知的アイドルであった。つまり
深く研究するにしろ、うわっつらを鑑賞するにしろ、どうしてもわれらの青春とは切り離すこと
のできないほど、大きな存在であった。
彼は世代から言えば明らかな戦後派にも拘らず、文学史的には戦前の文豪巨匠と同位置
にあった。つまり、『吉行・遠藤・三島』ではなく、『谷崎・川端・三島』と言った方が収まりが良
かった。
死してのちそう定まったのではない。生前からそうであったのだから、たいしたものだ。
浅田次郎の後押しで・・・三島由紀夫の『春の雪(豊饒の海・第一巻)』を読み始めました。

読み始めたばかりだし、浅田次郎のいうすごさを感じるには至っていません。しかしながら
なんともいえない文章の美しさに引き込まれてしまいます。
十七夜に関する部分を引用して、その一端をご紹介しようと思います。
それから父と母とが、共通の話題を探して苦慮しているのが、清顕にも読みとれたが、
そのうちにどういうわけか、三年前に清顕が十五歳になった『御立待(おたちまち)』の
祝いのときのことを話し出した。
それは旧暦8月17日夜の月を、庭に置いた新しい盥(たらい)の水に映して、供え物
をする古いしきたりであったが、十五歳の夏のその夜空が曇ると、一生雲が悪いと云わ
れていた。
父母の話で、清顕の心にも、ありありとその夜の情景が浮んできた。
はや露しげく、虫のすだきに充ちた芝生のまんなかに、水を張った新しい盥が置かれ、
紋付袴で彼は父母の間に立っていた。盥の囲む丸い水面が、わざと灯を消した庭の周
囲の木立やその彼方の屋根の甍(いらか)や紅葉山などの凹凸に富んだ景色を、引き
絞り、統括しているようだった。その明るい檜の板の盥の縁、そこのところでこの世界が
終り、そこから別の世界の入り口がはじまっていた。自分の十五の祝いの吉凶がかかっ
ているだけに、清顕には、それが露芝の上に裸で置かれた自分の魂の形のように思わ
れた。その盥の縁から彼の内面がひらけ、縁の外側からは外面が・・・・・・。
どれくらい待ったろう。やがて、突然、盥の水のその凝固したかのようなあいまいな闇
が破れて、小さな明らかな満月が、正しく水の中央に宿った。人々は歓声をあげ、ほっと
した母は、はじめて扇をうごかして、裾のあたりの蚊を追いながら、
『よかった。この子は運がいいね』
と言った。そしてみんなが口々に述べる祝賀を受けた。
清顕はしかし、天にかかる月の原像を仰ぐのが怖かった。丸い水の形をした自分の内
面の尾k深く、ずっと深くに、金いろの貝殻のように沈んでいる月のみ見ていた。ついに
こうして個人の内面が、一つの天体を捕獲したのだ。彼の魂の捕虫網が、金いろに輝や
く蝶を。
しかし、その魂の網目は粗く、一度捕らえた蝶は、又すぐ飛び翔ってゆきはしないだろ
うか? 十五歳の彼は、早くも喪失を怖れていたのだ。得るが早いか喪失を怖れる心が、
この少年の性格の特徴をなしていた。一旦月を得た以上、今後月のない世界に住むよう
になったとしたら、その恐怖はどんなに大きいだろう。たとえ彼がその月を憎んでいたと
しても・・・・・・。
確かに美しい!!!