第21回 鉄鼠の檻 2)鉄鼠とは | ちょい悪爺LEONのブログ

ちょい悪爺LEONのブログ

大阪フィルハーモニー交響楽団のファンで、その演奏会を中心に投稿します。写真撮影は公共交通機関を利用して行ける所を中心に復活しましたが、写真はインスタにpostしています。
同時に当ブログにリンクを貼っていますので、そちらも見ていただければ嬉しいです。

2009/02/28(土)
LEONです。

京極夏彦の鉄鼠の檻を読んでいます。2度目なので割りとスイスイ読んでます。
分冊文庫版の(2)を読み終えたところです。

今日はそもそも鉄鼠とは何かについて書きます。
この小説では分冊文庫版(1)の226ページから始まるわたし関口と京極堂の
会話の中で詳しく説明されています。
要所を引用します。

引用開始

『そうだ、京極堂、話は変わるが、珍しい話を聞いた。鼠の坊さんと云うのは
どうだ?そんな妖怪はいないだろう』
こちらの方は流石に一般的ではあるまい。
私は何とかこの妖怪好きの友人の鼻を明かしてやりたかったのである。
頼豪のことかい?』
しかし友人はあっさり答えた。
『なんだ? 鼠の坊さんまでいるのか!』
『君は本当に日本人なのか? 鼠の妖術と云えば坊主、坊主の妖術といえば
鼠。平安の昔っからそう決まっていようが』
『それがその、らいごうとか云う?』

中略
関口は京極堂に和綴の本【百鬼夜行】のある頁を示される。

鳥山石燕『画図百鬼夜行』より
イメージ 1


『鉄、鼠、てっそと読むのか? 君はさっきらいごうとか---ああらいがう、とも
書いてあるなぁ』

中略

『それが鼠妖術の総本家たる天台宗園城寺派の高僧、實相房阿闍梨頼豪だ』

引用終り

この先は長くなるのでWikipediaから引用します。

園城寺(三井寺)の阿闍梨(あじゃり)・頼豪は、効験があれば思いのままに褒美を
取らせるという白河天皇との約束のもと、切望される皇子の誕生を祈祷し続け、
承保元年(1074年)12月16日、見事これを成就させた。ところがそれにもかかわらず、
申し出た園城寺の戒壇院建立の願いは、対抗勢力である比叡山延暦寺の横槍
遇って遂に叶えられることなく終わってしまう。
このことに恨みを募らせた頼豪は、自分の祈祷で誕生した皇子・敦文親王を今度は、
祈祷で魔道に落とそうと、断食に入った。やがて100日後、頼豪は悪鬼のような姿に
成り果てて死んだが、その頃から皇子・敦文親王の枕元に、妖しい白髪の老僧が
現れるようになった。白河天皇は頼豪の呪詛を恐れて祈祷にすがったが効果はなく、
敦文親王はわずか4歳にしてこの世を去ったという。頼豪の恨みは皇子を取り殺し
てもなおおさまることはなく、その身は石の体と鉄の牙を持つ、雄牛のように巨大な
大鼠へと変化(へんげ)した。そうして、生前の恨みを晴らすため、8万4千匹もの
鼠の大群を率いて比叡山を駆け登り、延暦寺の仏像や経典を食い破ったとされる。
延暦寺は頼豪の怨念に怖れをなし、東坂本に社を築いて頼豪の怨念を鎮めた。
現在この社は鼠の秀倉(ねずみのほくら)の名で呼ばれている。
園城寺の石段の脇に祀られる十八明神「鼠の宮(現・ねずみの宮)」とも呼ばれ、
鉄鼠たちの霊を祀り鎮めているといわれ、比叡山の方を向けて建てられている。

昨年仕事の合間に行った三井寺の鼠の宮
イメージ 2