先週末、娘と、仙台市戦災復興記念館へ開催中の仙台復興展・ヒロシマ原爆展を見に行った。
昨年夏は立石美穂さんの投稿から広瀬文化センターで原爆展が開催中と知り、娘と一緒に見にいった。
私の亡父が昭和6年生まれ、亡母が昭和12年生まれということで、昨年は私が両親から聴いた体験談などを娘に伝えながら、
原爆体験者の絵画をじっくり見て回った。
小6の娘は社会の授業で、戦争のことを調べる宿題など出ていて、今年は自分から学校のポスターで見て行きたいと自分から言ってきた。
原爆の時の遺物も展示されていた。娘は、学徒動員に出かけた小学生の男の子が貴重な大豆入りご飯を持たせてもらったのに原爆投下の時に亡くなり、その遺体が抱えていた真っ黒に炭化したお弁当などに見入っていた。
仙台空襲の時の体験者のお話の動画を見て、その後に防空壕の模型展示を見た。
広瀬川周辺には今も防空壕跡がいくつかあるようで、娘は興味を持った様子。
仙台空襲の時には、防空壕に行っても扉を開けてもらえず、防空壕の外で焼死した子供もいたようで心が痛い。
仙台市中心部のクリスロード仙台、桜井薬局前には、仙台空襲後の調査で分かった仙台爆撃中心点の印が今もある。
今度、街を歩いたら見つけよう。
仙台空襲について後からの調査で、どんなふうに空襲がなされたのかのパネル展示や、広島の高校生が被爆者から話を聴いて作品化した絵画、原爆の遺物、核兵器に関する現在の世界の動向など情報がとても多い展示。
原爆に関する本も読めるように展示されていて久しぶりに「はだしのゲン」を手に取った。
私が小学生の時は「はだしのゲン」を漫画でも読み、実写版映画も見て戦争の恐ろしさが頭に焼きついた。
展示物の中には、私が亜鉛板(トタン板)を麻糸で縫い留めて創る彫刻を始めたきっかけとなった、
武運長久の千人針もあった。
30代の時に鹿児島県知覧の特攻平和記念館でみたことが創作のきっかけとなったのだけれど、思いがけず仙台で見られて
感慨深かった。
帰り際、会場では、思いがけず立石さんとお会いして立ち話。
中学・高校と広島にお住まいになっていたとは、知りませんでした。
立石さんもこの展示のこと詳しく投稿されているので、ご覧になってみてください。
雨に気を取られて気が付かずに来てしまったのだけれど、平成7年に仙台市民有志が記念館に贈った
「奈津子・十一才の夏」という小さなブロンズ作品があるらしい。
ブロンズ職人さんが創作されたようで、ネット検索していると写真が出てくる。
戦災復興記念館は、街中だからまた立ち寄ってみよう。
これから日付が変わって、78年前の7月10日、午前0時20分頃から仙台空襲だった。
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