12時間前。
始業式の朝。
掲示板に貼られた新しいクラス表を見て、小林由依はため息を溢していた。
何故クラス替えなんてしなければならないのか。
人見知りの小林にとっては憂鬱で仕方がない。
櫻坂高校、2年A組。
30人程の名前が記された一覧。
その中には確かに自分の名前があって、でも他は知らない人ばかり。また一から人間関係を作っていかなければならないと考えると気が遠くなる。
唯一の救いは、親友の小池美波と小林の名前が連続して記されていたことだけ。
なのに…
「なぁ、由依ちゃんヤバい!これはヤバいで!」
関西弁で捲し立てる小池がこんなにも興奮している理由は、小林と同じクラスになったことではないらしい。
「みいちゃんは何がそんなに嬉しいの?クラス替えなんてしなくてもいいのに。」
「だって!同じクラスに土生くんがおるもん!」
小池は目をキラキラさせながらクラス表を指さす。
"土生瑞穂"という4文字は確かに2-Aの欄にあった。
小池が言うにはその"土生くん"とやらはイケメンで、櫻坂高校の王子様らしいのだけど…
「王子様ねぇ…。」
王子様って…そんな人現実にいるわけないでしょ。
なんてツッコミは心の中で留めて、小池の浮ついた話を片耳で聞きながら教室へ移動する。
「何で由依ちゃんは土生くんに惚れへんの?おかしい。」
「いやいや、私そういうの興味無いし。」
「まあ由依ちゃんの恋人はサックスやもんな。音楽一筋やもんな…。」
「別に恋人ではないけど…。」
「土生くんはな、ほんまに優しいねんで?さらにはあのクシャッとした笑顔…!あれは確か冬の寒い日やったんやけど…。」
小池は"土生くん"と出会った日のことを話し始める。
要するに、冬の寒い日に土生くんとぶつかって、その時の誠実な対応と優しさに一目惚れしたっていう話だけど…
その話、もう何回も聞いた。
小林は適当に相槌をうちながら新しい教室に入り、自分の席に座る。
小池は目の前の席に座り、その間も土生くんの魅力を語り続ける。
よくもまぁ、そんなに魅力が出てくるもんだな。
なんて思いながら、小林は教室のドアへと目を向けた。
ちょうど、背の高い人が教室に入ってくるタイミングだった。
その人が現れると同時に騒つく教室。
視線がドアの方へと集まる。
小池はその喧騒に気づき振り向く。
瞬時に目は煌めき、大きく開いた口を手で覆った。
「由依ちゃん…!土生くん来た…!!」
声は潜めているが、興奮は抑えられないらしい。
小池は小林の肩を掴んで大きく揺らし、脚をバタバタと床に叩きつけている。
「ヤバい!ほんまにカッコいい!」
小池のあまりの興奮ぶりにつられ、小林は土生の頭の先からつま先までをじっくりと見る。
スラっと伸びた長い脚に、小さな顔。
整った目鼻立ち。
綺麗な歯を見せた、クシャッとした笑顔。
確かにイケメンだし、モテそうだ。
…でもあの笑顔をクラス中に振り撒いてるあたり、絶対にチャラい。
「な、な?イケメンやろ?」
「うーん。イケメンだけど、私はいいかな。チャラい人苦手だし、私はドラマや漫画の中のキュンを楽しむだけで十分。」
「もぉ、そんな寂しいこと言わんと、ほら。」
小池はそう言って、小林の手を引いた。
「え、ちょっと!」
つられて席を立ち上がり、土生の目の前に連れて行かれる。
「あ、みいちゃん久しぶり!同じクラスなんだね、よろしく!」
土生は小池の顔をみるやいなや、爽やかな笑顔を向けた。
嬉しそうな顔で応える小池は、心なしか目がトロリとしている。
「土生くん、私のこと覚えてくれてたんや。」
「当たり前じゃん!あ、みいちゃん、前髪切ったでしょ。似合ってる。」
「え、切った!よく気付いたね。」
「そりゃ気付くよ!」
そう言ってクシャッと笑う土生。
そんな2人のやりとりを見た小林は感心して、
「…凄いな。」
と、思わず呟いた。
女の子の変化に即座に気付き、さり気なく褒める土生は多分、無自覚の内に女の子を落とす、天然タラシ系。
いや、それとも、分かっててやってる…??
だとしたら、ほんとにチャラい。
ふいに、小池が言っていた土生の噂を思い出す。
『土生くんな、モテすぎて恋人が両手で足りないくらい居るらしいねん。凄いよな』
って。
私的にはそういうの許せない。
女の子の気持ち弄んで、傷つけて…
小林は本能的に土生を避けようと、自分の席に戻ろうとした。
でも…
「ねぇ、みいちゃんのお友達?名前は?」
…捕まってしまった。
「え、ああ、小林由依です。よろしく。」
「由依ちゃんか。じゃあ、ゆいぽんだね。よろしく。」
そう言って、眩しいほどの笑顔を小林に向ける土生。
ああ、この笑顔に女子達は落とされていくんだと、小林は冷静に分析をしながら苦笑いで会釈する。
「由依ちゃんね、サックスが超上手くて、うちの高校の吹奏楽部エースやねんで。」
小池の他己紹介に、へぇ!と土生が感心する。
「吹奏楽部なんだ?」
「うん。」
「へぇ!うちの高校って吹奏楽有名だもんね。その中でエースなんてすごいね!」
「いや、全然凄くないよ。そもそもエースじゃないし。」
小林は謙遜する。
ここ、櫻坂高校は吹奏楽部と陸上部が全国的に有名な高校で、その吹奏楽部に所属する小林は推薦入学で入ってきた1人だった。
「楽器演奏出来るだけでも尊敬しちゃう。演奏会とか楽しみにしてる。」
土生はまたニコッと笑った。
そうやってさり気なく褒めて、女の子を落とす手法なんでしょ。
私はそんな手に乗らないから。
なんて自己暗示をかけながら、
「うん。ありがと。」
と微笑んだ。
すると土生は、ジーッと小林を見つめる。
「……え、何…?」
「ねぇ、もしかして俺のこと苦手だなーとか思ってる?」
土生は顔を傾けて訊ねる。
核心を突かれた小林は、悟られないように笑顔を取り繕って
「そんなことないよ。」
と首を振った。
「ほんと?」
土生は立ち上がり、じっと目を見たまま小林に顔を近づける。
小林は反射的に後退り、後ろの机に腰をぶつけた。
ガタンと音が鳴り、その弾みに机に手をつく。
それでも土生は距離を詰めてくるから、土生と距離を取るために机に体重を乗せて体を後ろに傾ける。
「ほ、ほんとだよ。今日初めて会ったばかりで、嫌いになりようがないでしょ?」
なるべく平静を装って言葉を紡ぐ。
「…ふーん。まぁいいや。」
土生はそう言って小林から離れ、
「よろしくね、これから。」
なんて、何事も無かったかのように笑って、自分の席に戻った。
一方の小林は動揺のあまり、体勢を戻すこともなく唖然としていた。
心臓は他人に聞こえてしまいそうな程に大きな音で鳴り、顔は紅潮する。
何今の!?
意味わかんない…!
心を掻き乱され、机の上で固まる小林。
その後ろで、怒りを露わに立ち尽くす人の存在なんて、もちろん気付いていない。
「ねぇ、邪魔なんだけど。」
怒りのこもったその声に、小林はハッと現実に引き戻される。
ゆっくりと首を回して後ろを向くと、しかめっ面した長身の人がこちらを睨みつけていた。
めちゃくちゃ怒ってる…?
「あっ、ごめん。あなたの席だったんだね。ごめんごめん、すぐ退くから。」
小林は平静を装って机から降りる。
チッ、という舌打ちと共にその人は椅子を引く。
如何にもイラついてます、みたいな気怠るそうな顔で座り、机に伏せた。
いや、態度悪っ。
もうちょっと愛想よく出来ないかな?
なんて、心の中で怒りを爆発させる。
でも初対面だしここで喧嘩するのは今後に影響する。
そう思ってグッと堪えて、大きく深呼吸した。
見かねた小池と土生が、小林の元に駆け寄る。
「由依ちゃん大丈夫?」
「ごめん、俺のせいだね。でも理佐も悪い奴じゃないから、許してやって?」
そう言って土生は申し訳なさそうに両手を顔の前で合わせた。
"理佐"という名前に、小池の話を思い出す。
土生と仲の良い渡邉理佐というイケメンがいる、と。
確か、陸上部のエース"だった"と小池は言っていたはず…。
「あの人、噂の渡邉理佐やで。土生くんとイケメンツートップに君臨してるけど、超愛想悪いことで有名やねん。女子にも冷たいクール系。やから気にしんとき。」
小池は小声でそう呟き、宥めるように肩をポンっと叩いた。
「イケメンだからって何でも許されると思ってんのかね。信じらんないわ。こっちは謝ってんのにさ。」
小声で毒を吐く。
それくらいさせてくれないと、怒りはおさまらなかった。
でも、その発言が火に油を注いだみたいで…
「なぁ、今何か言った?」
いつの間にか顔を上げていた理佐が、こちらを睨みつけていた。
「別に。何も。」
こちらも対抗して反抗的な態度を見せる。
「何だよ、文句あんなら直接言ってこいよ。」
理佐の言葉に、抑えていた感情が滲んでくる。
我慢していた文句は次々と口から溢れ出した。
「…じゃあ言わせてもらうけど、初対面で、その態度は何?ちょっと邪魔だったからって舌打ちすることなくない?」
「あ?大体な、俺の席を占領してんのが悪いだろ。どう考えても邪魔___ 」
「___あー!ストップ!2人とも落ち着いて!!」
2人の一発触発な空気を察して、土生が即座に止めに入った。
「俺が全部悪かった。だから、落ち着いて。」
土生の抑制に、理佐は眉間に皺を寄せた。
「またお前はそうやって__ 」
「___理佐。人に当たるなって。敵を増やすようなことはいい加減やめろよ。」
「チッ。うるせぇよ。」
理佐は立ち上がり、その場を後にする。
取り残された小林と土生、唖然とする小池。
「ごめん、ほんとはいい奴なんだけどね…。」
土生は気まずい空気を緩和させるように、無理やり笑って見せた。
「何で土生くんが謝るの。」
「これには深い事情が___ 」
土生の言葉を遮るように、教室のドアが開く。
新しい担任の土田が、「席につけよー。」と脱力した様子で教室に入ってきたことで、この件はお預けとなってしまった。
そう。私たちの出会いは最悪だった。
こんな人たちとは絶対に関わらない。
そう思ってたはずなのに。
まさか、この日の夜の出来事が私たちの運命を狂わせ始めるなんて、この時は予想だにしていなかった。