まただ。
また、あんな態度取ってしまった。
理佐は1人で校門に向かいながら、後悔の念に苛まれていた。
決して皆が嫌いなわけじゃない。
ただ弱い自分が許せなくて、それに苛ついて、周りに当たってしまって…そんな自分がまた嫌で自己嫌悪に陥って…。
そもそも、跳べなくなってしまったのも弱い自分が原因なわけだし。
夢だってほんとは……。
「くっそ…。」
理佐は自分の前髪をクシャッと掴み、涙をこらえた。
空模様は今の心情を表してるかのように暗く、ポツリポツリと雨粒が落ち始める。
徐々に勢いを増す雨も気にせず、5限が始まるチャイムの音も気にせず、理佐は校外に出て歩みを進めた。
言いようのない苦しみをどうすればいいか分からなくて、泣きたくもないのに涙が溢れてくる。
歩いて歩いて、雨なのか涙なのか分からない、頬を濡らす雫を制服の袖で拭う。
雨は激しくなり、地面に打ちつける音は次第に大きくなる。
でもふいに、音の種類が変わった。
そして、自分に雨が当たっていないことに気づく。
視界の上の方に傘が見えて、誰かが傘をさしてくれているんだと気づいて振り向いた。
「小林…?何で?」
後ろには、息を切らした小林の姿。
「こんな雨の中傘もささずにびしょ濡れって、馬鹿なの?」
この間のお返しとしての強い言葉なのだろうが、小林は眉を下げ泣きそうな顔をしていた。
「うるさ…。何でここに居るんだよ。」
「この間助けてもらったから…借りを返すために。」
そう言って小林は、理佐の顔を覗き込んだ。
そして一気に心配そうな表情へと変わる。
「…泣いてるの?」
小林の質問に、理佐はさっと顔を背け、
「雨で濡れてるだけだよ。」
と強がって、話題を逸らそうとする。
「それより、どうしたんだよ。授業あんだろ。」
「それは理佐も同じでしょ。」
「俺はいいんだよ。」
理佐がそう言うと、小林は大きくため息をこぼした。
「何があったのか知らないけどさ、1人で抱え込むのやめたら?」
小林の言葉が、グサリと理佐の胸に突き刺さった。
「き、急に何だよ。別に悩んでないし、抱え込んでもない。俺はずっとこうだし__ 」
動揺を誤魔化すように早口で言葉を連ねるが、それは小林によって遮られた。
「___土生くん、すごく辛そうだったよ。理佐、最近笑わなくなったって。」
「それは…。」
「もっと周りを頼っていいんだよ。それで__ 」
「……何がわかるんだよ?」
思わず楯突いてしまう。
心配してくれていることだって、こんなこと言っちゃダメだってことも
心の奥では分かってるのに…。
ぽろっと出てしまった言葉は、もう制御が効かなくて次々に吐き出してしまう。
「理佐…?」
「思い通りに体を動かせない辛さが。前みたいに戻れない辛さが。期待に応えられない辛さが。周りに落胆される怖さが…!小林に理解出来んのかよ…!」
段々と口調が強くなって、気づいた時には目の前の小林が眉毛を下げて、目を潤ませて立ち尽くしていた。
「…ごめん。」
「…確かに分かんないよ、理佐の気持ち。…でも、1人じゃないってことだけは、忘れないで…。」
小林の目からポロッと、雫が落ちた。
その瞬間、胸が締め付けられるように苦しくて…
でも、理佐にはどうすることも出来ず、また反発してしまう。
「…ほっといてくれ。」
そう言い残して理佐は、小林から離れていく。
再び雨が体に強く打ちつけられる。
こういう日っていつも雨だな、なんて思って、思わず呆れたような笑みが溢れる。
事故にあった時だって、雨だった。
_____
__
半年前
小雨の中、国体は行われていた。
「理佐さん、頑張ってくださいね。理佐さんなら、高校記録塗り替えられますよ。」
試合を見に来ていた後輩の山﨑天が理佐を鼓舞した。
理佐は静かに微笑み、無言で小さく頷いた。
ここ数ヶ月、自分の思うように跳べなくなっていたことは言えなかった。
中学3年の時、全国大会で中学記録を更新し優勝。
高校1年のインターハイではさらなる自己新記録を出し、入賞。
順調だった競技生活に影が差し始めていたのは、ここ最近のことだ。
前までは簡単に跳べていた高さが跳べない。
理由の分からないスランプに陥っていたのだ。
バーの前に立てば、怖くて足は震える。
それでも、周囲の期待は今まで以上にのし掛かる。
親とか、友達とか、周りの人達は期待の眼差しを向け、理佐なら絶対に大丈夫だという確証のない自信を向けられていた。
それが重荷で、怖かった。
逃げ出せるのなら、今すぐにでも逃げたい。
そんな思いが心の奥底で見え隠れする日々。
でも、逃げるわけにはいかなかった。
期待に応えるため
立たなければいけない。
あの場に。
「じゃあ、スタンドで見守ってますから。試合後にまた会いましょう。」
山﨑は理佐に手を振りながら、後ろ向きで、青信号に変わった横断歩道に足を踏み出す。
「ああ、また後で__ 」
不安を隠して頑張って笑って、平静を装って手を振ろうとした、その時だった。
「まって!天!」
右側から左折する車が猛スピードで来ていることに気づく理佐。
さしていた傘を投げ捨てる。
地面を思いっきり蹴って、慌てて山﨑の元へ駆け寄った。
転がる傘。
近づいてくる車。
クラクションの音。
全てがスローモーションのように鮮明に流れていく。
そして山﨑の体を抱き抱えるように押し出す。
同時に飛んでいく山﨑の傘。
間一髪で車を避け、理佐は山﨑を抱えたまま、左脚で着地する。
しかし、不安定な体勢で2人分の体重を支えきれなかった左脚はふらつき、理佐はそのまま背中から地面に転がった。
大きなクラクションを鳴り響かせ、車はそのまま走り去っていく。
「大丈夫か?」
周りで見ていた人達が問いかけた。
地面に転がる2人は起き上がる。
「俺は大丈夫です…。理佐さんは?」
「あ、ああ、大丈夫。ちょっと擦っただけ。」
そう言って理佐は山﨑の手を借りて立ち上がる。
その時、左足首に軽い痛みが走った。
「…っ!!!」
思わずバランスを崩し、咄嗟に山﨑の肩を掴む。
やっぱり、避けた時の着地がまずかったらしい。
「理佐さん!?」
「大丈夫。大したことない。」
「まさか足首ですか?しかも踏み切りの足じゃないですか…。どうしよう、この後大会なのに…。」
「……大丈夫だって。天は怪我してない?」
「俺は何とも…理佐さんが庇ってくれたから。ごめんなさい…俺のせいで。」
山﨑が下を向いて、今にも泣きそうな声で謝った。
理佐は山﨑に見せるように、左足首を動かしてみせる。
思ったよりもスムーズに動く足首。痛みは一時的なもので、今は違和感だけが残っていた。
山﨑の頭に手を置く。
「ほら、俺は大丈夫だから。天に怪我が無くて良かった。」
山﨑の目から、じわっと涙が溢れた。
「でも…!!」
「泣くなって。とりあえず、警察呼ばないと…。」
何故か、ものすごく冷静だった。
雨も降ってるし、大会の時間だって迫ってるのに…。
理佐は持ってた携帯で警察に連絡して、冷静に状況を説明した。
だけど、山﨑は隣でずっと泣いていた。
ずっとずっと、謝り続けていた。
「ごめんなさい…ごめんなさい…俺のせいで…。」
「ほら、ごめんなさいは禁止。泣くのも禁止。自分責めるのも禁止。俺は跳べなくなったりしないから。」
山﨑を前に、虚勢を張ってしまった。
意地を張ってしまった。
跳べなくなったりしないなんて、嘘なのに。
今だってもう、思うように跳べてないのに。
心の底から、弱い自分が嫌いだ。
理佐は唇を噛み締める。
だけど、絶対に弱い姿を見せたく無い理佐は山﨑の背中をさすり続け、励まし続けた。
数分後には警察が来て、事故の状況を説明して、2人は解放された。
「理佐さん…大会はどうするんですか…?」
また目に涙を溜める山﨑に、理佐は優しく微笑んだ。
「大丈夫。出るよ。」
今思えば、冷静なフリをしていただけで、本当は何も見えていなかったのかもしれない。
期待に応えなければいけない。
結果を出さなければいけない。
そんなプレッシャーが、判断力を鈍らせた。
怪我を誤魔化して、理佐は跳んだ。
踏み切りの瞬間、大きな重力に耐えきれなかった左足首は壊れた。
浮かない身体はそのままバーに突っ込み、マットに転がる。
バーが落ちる音が、無慈悲に響く。
同時に、ずっと虚勢でコーティングして誤魔化し続けてきた何かがプツリと切れた。
きっともう、千切れかけていた糸だった。
ハイジャンに対する情熱も、高く跳びたいという夢も、張り続けていた意地も。
一気に失ってしまった。
「理佐さん…!」
担架で運ばれる理佐に、山﨑は泣きついた。
「ごめん、天。俺…もう…。」
無理かもしれない。
そう言いかけたけど、山﨑は声を被せるように言葉を投げた。
「理佐さん…絶対戻ってきてくださいね!約束ですからね…!俺ずっと待ってますからね…!」
泣きじゃくる山﨑に、理佐は言葉を飲み込み、小さく微笑んだ。
「…天は俺みたいに弱くなるなよ。」
そう言って、理佐は山﨑の元から離れた。
その時に見た空は灰色で。
冷たい雨が顔に打ちつけていた。
____
左足首の靭帯断裂。
全治3ヶ月。
車を運転していた人はあの後捕まったらしい。
試合は棄権。
周りは残念だったね、不運だったねと嘆いたけど、正直、ホッとしていた自分がいた。
のしかかるプレッシャーから逃げられて、結果を出せない自分に対して落胆されることもなくて。
そんな弱い自分が、逃げてしまう自分が、自分にも他人にも嘘つく自分が……大嫌いだったけど。