走り去ってしまったタクシーを呆然と見つめる私の周りには、何人か近所の方が見物人❓でいらした様で今思えば皆さん泣いておられたように思います。

姉がきっと保育園の裏なので早く来ていたのでしょう、そこにいて私は会えなかったけどお姉ちゃんは最後に会えたんだ!と、良かったと思う心の方が何故か強かったのも覚えています。私が遅れて来たから、早く走れなかったからお母ちゃんは行ってしまったと当時は思っていました。なんて健気な4歳児なんでしょうねー!

母親にもらった駄菓子のおやつを持って帰り当時はそんなに世の中も豊かではなく、子供のおやつも今の比ではないくらいない時代でした。ので、すぐ食べたがる私に祖父が優しく『毎日少しづつ大切に食べなさい』と、言っていました。不思議と私らが母親と最後の別れをした事は家族の誰も口にはしませんでした。事前に決められていた事だったのかも知れません。

先日、姉とその時の事を本当に50余年振りに答え合わせをしました。私が走ったけど車が行ってしまったけど、姉ちゃんはポツンと立ってたから会ったんだよね?って聞いたら(こないだみたいに言ってるけど、半世紀以上前の出来事です笑)姉が、うち保育園にいたら誰かが呼びに来て(私と一緒です)そしたら、裏に母親がいて抱きしめられたわ❗️と言うのです。そうだったんだなぁそうだったんだなぁ!と、感無量の私で走馬灯の様にあの時の情景、鼓動、感覚が呼び起こされ、そして感傷に浸っていました。そして、姉が一言何であんた来るのに待っていてくれなかったんやろな?って。でも、私は知っていました幼い頃からだって母親が大好きだったので、きっとつかまえてしまったら離れないし母親も別れられないし。
ああする以外ない別れの方法だったのだと。