同病相憐れむ | これって闘病!?

これって闘病!?

子宮頸癌Ⅰb2でした


タイトルの言葉。


「同病相憐れむ」って、みなさんはどんなイメージを持ちますか?

私は、この言葉からは、あまり良いイメージを持つことができませんでした。

それは何故なのか、考えてみました。


何となく

健康な人間が遠巻きに、病気の人達を見て発する言葉のようで、上から目線な印象を抱いてしまう。
そして言葉の中には、クスっと皮肉な笑いを含む感情や、同情、不憫、他人事、といったものを感じてしまう。

それと同時に、病気の人間同士の狭い世界だけで安心感を得ようとしている、小さな殻の中を想像してしまう。

憐れむという言葉が、どこか痛ましいイメージなのかもしれません。


◆◇

私は、癌という病気になりました。


病気になってできた友人がいます。
言い換えれば、病気にならなければ友人になり得なかった人達と出会いました。

顔を見て話をする友人、ブログで話をする友人。


癌に限らず、生命の期限を考えざるを得ない病や、難病のように先の見えない病、それらがもたらすのは。

見えない未来。
気の遠くなるような苦痛。

怒り、悲しみ、絶望、恐怖、不安。


そして、そんな感情なんて無視するかのように事態は刻々と変化し、ノルマのようにやらなくてはならない出来事が次々とやってきます。

もしくは、何も出来ずに悶々とする時間を過ごさなくてはならない。


そんなとき、同じ病を経験した人との関わりは、何より心の支えとなることがありますし、大きな安心感に繋がります。


それを「同病相憐れむ」というのなら。

私の中では、嫌なイメージを払拭できる気がします。


どんどん憐れみあっちゃいます。

「病」という狭いカテゴリーであったとしても、それぞれの人は、住む場所も、育ってきた環境も、職業も、年齢も、趣味も、そして思考だって違うのです。

だから、その人達と関わることは、世界が広がると感じています。
そして、場合によっては友人を介して別世界の人と知り合えたりします。

私の場合は、確実に視野が広がりました。

「病」という狭い殻の中からだって、広い世界へ広がることがあるのです。


「同病相憐れむ」

慰め合い、励まし合い、支え合い。
とってもステキなことだと思います。


同じ気持ちを経験してきたからこそ。




◆◇


だけど



そんな友人が、また辛い状況に置かれてしまったら。
本当の意味で理解はできていない。想像しかできない。

同時に、自分に置き換えてみて、恐怖におののきます。




なんて声をかけたら良いんだろう。


私に何ができるのだろう。


どんなことを言っても、何をしても
「アナタはいいわよね。だって今、アナタ辛くないじゃない」
って思わせてしまうんじゃないか?

高見の見物と思われてしまう?

何かしたいという私の思いは、押しつけだったり自己満足になってしまうのではないか?



そんな風に考えていたとき、都島さん(勝手にリンクごめんなさい)の記事を読みました。


「楽しい日が多くなるように」
「少しでも楽に過ごせるように」



うん。


そうなのです。


その為に、私にできることをしようと思いました。


いつも会いに行くことのできる距離じゃない。
離れているから見えない、解らないことがある。

でも、離れているから適度な距離を保つことができるかもしれない。


いつも貴女を思っているよ。
楽しいことを考えよう。
メールするよ。
でも、辛いとき、返信はいらないからね。

家族に心配かけたくないという思いが溢れた貴女の涙。
もしも、家族に言えない気持ちがあったら、私に吐き出してね。

全く同じ経験していないから、完全な共感は難しいかもしれないけど。


貴女が笑える時間が増えるように祈っているよ。



そして、何より一番に


貴女がまた元気いっぱいになることを願っているからね。


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川の水は流れる。貴女にも届きますように。



ヽ(*・ω・)人(・ω・*)ノ


いつもありがとう