義母が気管支切開をしないと

 

一ヶ月しか持たないと言われた日

 

医師の○藤先生が

 

その場に私しかいなかったので

 

私に決めてくれと…

 

「先生、私は嫁の立場なので、そんな大事な事は私には決められません」と

 

伝えた

 

まだ日赤が、昔の土地て営業をしていた時のことです

 

それから、どのくらいの時間が経ったのか記憶にないのだけど

 

まもなくして、義兄が駆けつけてくれて

 

すぐ義母の気管支切開の手術をする事になった

 

でも、その時は旦那も娘もいなかった

 

義兄は、「すぐに返事をすれば良かったのに…」と

 

私に言ったけど

 

そんな事、私の一存で勝手に決められるわけないのに

 

後で、旦那は「親の気の済むようにさせてあげたいと思ってた」と

 

私には、そう話していた

 

で、その時に旦那が

 

 

私の実家に義母が1ヶ月持つかどうか分からないから来てもらってくれと言ったので

 

 

私の母と姉が実家から、日帰りで旧の日赤にお見舞いに来てもらった

 

でも、義母はICUに入っていたので、面会時間が過ぎているという事で

 

母と姉は面会もできないまま、病院内の椅子に座って

 

母が買ってきてくれたパックのお寿司をご馳走になって

 

旧の日赤の近くのバス停で、2人を見送った…

 

 

本当なら自宅に来てもらうのが普通なのだけど

 

狭いうえに、あまりにも汚くしてて

 

とても寄ってもらえるような状態ではなくて

 

 

今にして思うと

 

本当に申し訳ない事をしたと、つくづく悔やまれてならない

 

この事は、娘は知らなかったのだろうか

 

よくよく考えてみると

 

その日、娘と息子は、いったいどこにいたんだろう

 

旦那には母と姉が見舞いに来てくれてると、話してあったのだけど

 

自宅に来られるのは恥ずかしいから逃げたのである 苦笑 そりゃそうだよね

 

でも、面会をする事はできなかったけれど

 

母と姉が、お見舞いに来てくれたという事実は、義母や義兄に伝える事ができたので

 

それだけでも良かったと思っている

 

で、娘は見舞いに来なかった事で

 

後で、旦那(父親)に怒られたらしいけど

 

私は記憶にない

 

その後、義母は気管支切開をしたお陰で

 

7年ほど生きることが出来た

 

当の本人の義母が、どんな気持ちだったのかは

 

私は聞いていない

 

 

それまでも、私が嫁に来てからも時々入退院を繰り返していただろうと思うけど

 

私には息子と向き合わなければいけない時間が必要だったので

 

周りの事が、私の記憶から

 

ゴッソリと抜け落ちてしまって

 

 

私は、娘の事を、いったいどうやって育てたのか何も覚えていないのです

 

知らない間に大人になっていた、そんな感覚なのです

 

よくもまぁ、大病もせず、歯の治療も

 

未だかつて一度も受けた事もないというのです

 

そういえば、歯が痛いというのを聞いたことがなかったな〜と

 

それは自慢したいな〜なんちゃって 笑 (冗談です)

 

長いこと生きてると

 

本当にいろんな事があるものです

 

これから先も、明日のことすらも誰にもわからない

 

でも、息子の事だけは

 

真剣に考えないといけない

 

私が元気な内に、終の住処となる場所を

 

キチンと決めてあげて

 

私も息子も安心して、次のステップに進めるように

 

したいものだ…。