後楽園 | お銀ちゃんの大日本漫遊記( v^-゜)♪

お銀ちゃんの大日本漫遊記( v^-゜)♪

温泉大好き❤️食べるの大好き❤️なお銀ちゃんの日本全国、楽しい美味しい旅の記録です( v^-゜)♪

※ブログ記事の内容は私達が訪れた時当時の内容となっています。
※ブログ記事は訪れた都道府県ごとにテーマ分けされています。

岡山県の観光スポットのお話日本国旗



岡山県岡山市北区にある岡山後楽園へ行ってきましたニコニコ

岡山へは何度も訪れたことがあるのですが、岡山城🏯と後楽園にはなかなか行くことが出来ていなくて、今年(2024年)2月に初めて行ってきましたニコニコ


正門から入場しました。


岡山後楽園。


後楽園は江戸時代初期に岡山藩主の池田綱政が岡山郡代官の津田永忠に命じて造らせた、元禄文化を代表する庭園です。


国の特別名勝に指定されており、日本三名園のひとつになっていますキラキラ

日本三名園は、石川県金沢市兼六園岡山県岡
山市後楽園茨城県水戸市偕楽園です❗

🔶兼六園のお話日本国旗
🔶偕楽園のお話日本国旗


後楽園は岡山市内を流れる旭川をはさみ、岡山城の対岸の中州に位置します。

園内マップ。

面積は14.4haあります。


二色が岡

この一帯は昔は山桜と楓が季節ごとに彩りを変える趣向の林でしたが、戦後長らく杉を中心とした林となっていましたが、現在、築庭当時の姿を再生するため杉などの伐採と山桜・楓などの植栽が進められています。


園内には水路が通っています。


井田

昔は園内に広く田畑が作られていましたが、今は井田だけがそのなごりを伝えています。

井田とは中国周時代の田租法で、本園では幕未に田畑の一部を井田の形に作りました。

2月でしたので何も植えられていませんでした。

毎年六月の第二日曜日には、お田植え祭を行っています。


稲が実った頃は見ごたえあるんだろうなニヤリ


水路と向こう側には池。

沢の池・花交の池・花葉の池があります。


庭園内にある唯心山に登ってみました。

園内を見渡せる展望所のような場所。

唯心山は池田編政の子、継政の時に築かれ、平面的だった庭園が立体的な景観へと変化しました。


唯心山から沢の池の景色。


後楽園日本三名園と呼ばれる庭園ですから、それなりに立派な庭園ではあるのですが、この前日に日本一の庭園と名高い場所へ訪れて、その場所にえらく感動したので、そこと比べてしまうとなんだか物足りなさを感じてしまいますプンプン

日本三名園もこれでやっと制覇できたのですが、やっぱり私は兼六園がいちばん好きかなっ。


茶畑

岡山ってあんまりお茶🍵のイメージありませんでしたがえー

築庭当時からこの位置にあり、江戸時代には、ここで作った葉茶は、藩主がふだんに飲むお茶として使われました。

毎年五月の第三日曜日には、茶つみ祭を行っています。


梅林。

ちらほらと咲いていました🌸

紅白あわせて約百本の木があるそうですびっくり


池の周りを散策。

茶色が多いキョロキョロ


橋の感じは庭園らしさがあります。


廉池軒


この建物からは沢の池越しに見える松林や曲水と池の段差など、起伏に富んだ景観を眺めることができます。


廉池軒は戦災をまぬがれた数少ない建物の一つ。


池には鯉。

鶴鳴館

1949年に山口県岩国市の吉川邸を移築したもので、武家屋敷の佇まいをよく伝えるものです。


延養亭

藩主の居間で、園内で最も重要な建物でしたが、戦災で焼失し、1960年に当時第一級の木材と技術で築庭当時の間取りに復元されました。

延養亭明治天皇が、1885年8月と1910年11月の2度、岡山に行幸された際に行在所となりました。



延養亭の横にある能舞台。


能舞台の周囲の座敷は、能の見所や接待の場として使われました。築庭した池田綱政 は、家臣や領民にも能を見せました。



平四郎の松

後楽園の前身は当地の名主である平四郎の屋敷があったとされ、その庭にあった松を残したものが平四郎の松といわれています。


茂松庵

築庭初期に建てられた建物の一つです。江戸時代には花葉軒と呼ばれていましたが、明治初期には建物前に広がる二色が岡の植栽が変化したことから、茂松庵と呼ばれるようになりました。


栄唱橋

栄唱橋は、花葉の池に架かる高欄つきの折れ曲がった板橋です。


御舟入跡

藩主が城から舟で渡ってきた時の舟着場の跡で、舟溜まりと園内側の土手に御成御門まで続く雁木がありました。ここから出入りできたのは、藩主と藩主の特別な許しを得た者だけでした。


流店

中央に水路を通し、色彩に富んだ奇石六個を配した全国的にも珍しい建物です。

藩主の庭廻りや賓客の接待などで、休憩所として使われました。


茶祖堂

もとは利休堂といい、幕末の岡山藩家老の下屋敷から移築された茶室で千利休を祀っていました。

戦災で焼失し、1961年に再建し、岡山出身で日本に茶を伝えた栄西禅師を合祀したため茶祖堂と改めました。


古陶館


岡山市田町にあった武家屋敷の移築長屋門で、現在は焼き物の展示館になっています。



園内にある鳥居⛩️


慈眼堂

池田綱政が1697年に池田家と領民の繁栄を願って建立しました。


現在は空堂になっていますが、かつては観音像を祀っていました。


大立石

慈眼堂の境内にある巨大な花崗岩を九十数個に割り、もとの形に組み上げたもの。


鶴舎

1956年、岡山の旧制第六高等学校に学んだことのある中国科学院の郭沫若氏から、戦後途絶えたままであったタンチョウ2羽が贈られました。

その後、釧路市の協力もあり多くが生まれ育ち、その美しい姿が園内によみがえりました。



後楽園の隣には岡山城🏯があります。

園内からもお城🏯の姿を見ることができますルンルン



ブログランキング・にほんブログ村へ
ご訪問ありがとうございます。

クリックしてくれると嬉しいです(*>∀<*)



フォローしてね!