愛知県の観光スポットのお話⚔️
戦国時代、いろんな場所でいろいろな戦がおこなわれました。
長野県の川中島では武田信玄軍と上杉謙信軍の川中島の戦が起きました。
🔶川中島合戦場のお話⚔️
愛知県ではかなり多くの場所で戦が起きました❗
長篠の戦、小牧長久手の戦、そして
桶狭間の戦。
1560年に起きた織田信長軍と今川義元軍の合戦。
2万5千人の大軍を率い尾張に侵攻した今川義元に対し、尾張の織田信長が本陣を奇襲、または正面から攻撃し、今川義元を討ち取りました。
そんな古戦場が愛知県豊明市にあります。
桶狭間古戦場伝説地
今川義元が本陣を設営し、織田信長が奇襲した桶狭間合戦があった所です。
桶狭間古戦場伝説地の中に、このような7つの石の碑が点在しています。
(正確には6本が伝説地の中にあり、1本は近くの高徳院墓地内にあります。)
1号碑は、今川義元の物。
この石碑は、桶狭間の合戦で亡くなった今川義元を初めとする今川軍7人が亡くなった場所を示す物。
桶狭弔古碑。
碑には桶狭間合戦の戦況が刻まれています。
こちら、昔は池だったんでしょうか
近くには小川が流れています。
歌人香川景樹
伝説地の竹が生えた場所には、沢山のお地蔵さん。
こちらの地蔵は、おばけ地蔵。
嘉永6年(1853)に尾張藩士が建立しました。
地元には義元の亡霊が現れる話が伝えられていたが、この地蔵尊の建立により現れなくなったと言います。
今川義元の仏式の墓。
万延元年(1860)建立者は「某」と刻まれて不明。
七ツ塚。
勝利を収めた織田信長は、全軍を釜ヶ谷あたりに集め、勝どきをあげました。そして、村人に戦死者を葬るよう命じて引き揚げました。村人はこのあたりに七つの穴を掘り埋葬したと伝えられています。
因みに、今川、織田両軍の桶狭間の戦いでの戦死者は、約3,500名と言われております。
おけはざま山。
今川義元本陣跡。
今は至って普通の住宅街のマンションの前に碑がありました。
高台になっており、見晴らしのよい場所です。
桶狭間古戦場公園
こちらは豊明市ではなく、名古屋市緑区にあります。
小川の先端には❗泉❗
義元首洗いの泉
義元水汲みの泉とも言われ、泉の中にくるくる回る桶があったので、桶廻る狭間が桶廻間、桶狭間となったとも言われています。
馬つなぎの社松
義元が馬をつないだと言われる、ねずの木。
触れると熱病に罹るとの伝承があり、ねず塚にあったものを移植し今は枯木として残しています。
今川義元の墓
駿公墓碣
田楽坪のねず塚から出土した「駿公墓碣」と刻まれた墓碑です。その建立年は不明。
新しい墓碑は昭和8年に建立されました。
駿公とは駿河の国(現在の静岡県)のすぐれた立派な人との意味です。
今川義元の墓碑はいくつかあるんですね。
槍を持つ、織田信長像。
大池。
反対側から、桶狭間古戦場と書かれてます。
大池には、義元公戦評の松があります。
今川義元の本陣の設営を終えた瀬名氏俊隊がここの松の根元で、軍議を開いたといわれています。
ここは白馬に跨がった今川義元の亡霊がでる伝説がある場所とも言われています👻
近くに瀬名氏俊陣跡もあります。
近くのお寺、長福寺
観音堂。
合戦の際に血がついた刀をすすいだ血刀すすぎの池と言われています。
大池の前に、織田信長像がありました❗
ちょ~っと今風過ぎませんか~
カッコいいですけどね
ご訪問ありがとうございます。
クリックしてくれると嬉しいです(*゚∀゚*)
🔷桶狭間に泊まろう🏨
🔷今川義元グッズ✨