憂国のサラリーマン -68ページ目

景気刺激策



中国のように経済成長率の倍のペースで紙幣発行を継続するのはどうかと思うが、デフレの日本では、確かにひとり50万円程度、50兆円分を刷ってくばるのは景気刺激策としては有効だと思う。円安にもなるし。匙加減が微妙だけど、今のジリ貧よりはいい気がする。あ、でも外国人にまで配るのはやめてね^^;

無名のヒーロー

<東日本大震災>流される母子つかむ J1仙台選手が救助


毎日新聞 3月24日(木)20時35分配信


東日本大震災で被災したサッカーJ1仙台の育成組織に所属する藤沢恭史朗選手(15)=宮城県東松島市立矢本第二中学3年=が、11日の地震発生時に津波に流された親子を助けていたことが24日、分かった。藤沢選手は現在も避難所で生活しているという。
 同クラブによると、藤沢選手は東松島市の自宅付近で津波に遭遇。流されないように耐えていたところで流されてきた母子を発見し、右腕で子ども、左腕で母 親をつかみ、近くにあった軽トラックの屋根に上ったという。その後、胸まで浸水してきたものの、子どもを肩車し、左腕で母親をかかえたままの体勢で耐え、 徐々に水かさが減ったため、無事に2人を避難所へ送り届けて自らも避難した。
 藤沢選手は身長約180センチのDFでジュニアユースに所属。昨年12月の高円宮杯全日本ユース選手権(U15)にも出場しており、春からはユースに昇格することが決まっている。【中村有花】

いい話です。おそらく記事にはなっていないけど同じような無名のヒーローがたくさんいたんでしょうね。

その頃空では

東北で大地震が起きたとき、揺れるはずのない空でかなり緊迫したことが起きていたようですね。アメリカから成田空港に向かっていたデルタ航空のパイロットの手記です。ひとつ間違ったら空からも飛行機が落ちてきてたいへんなことになっていたのではないでしょうか。

http://labaq.com/archives/51640449.html

成田空港の乗務員用のホテルの中からこれを書いている。なんとか今は無事でいる。
 これは私の初の太平洋横断で、国際便767の機長として興味深いフライトだった。過去に大西洋を3度ほど横断しているので海の横断経験はあった。ア リューシャン列島の美しい景色を超え、東京から100マイル(約160km)の地点で着陸の降下準備を始めるまでは順調なフライトだった。

 トラブルの最初の兆しは、日本の管制塔が「待機経路」(着陸許可を待つ機が楕円に飛ぶ周回路)の指示を出してきたことで、最初はよくある混雑だと思っ た。すると会社側が地震のメッセージを送ってきた。その直後には「成田空港が一時的な点検のため閉鎖、しかしすぐに再開するであろう」との見解が入ってき た。(会社はいつも楽観的なんだ)

 我々の見解からすると明らかにいつもと様子が違った。日本の管制官の不安レベルはかなり高いようで、待機がいつまで続くかわからないと伝えてきた。我々 はそんな状況下で時間を保証してくれる者など誰もいないことを知っていた。副操縦士と交代要員の操縦士の二人は、コース変更可能な迂回先と燃料確認に忙殺 されていた。当然太平洋を横断してきたことから燃料の残量値は低い。

 10分も経たぬうちにエアカナダ、アメリカン航空、ユナイテッド航空の機長たちが、他の空港へのコース変更をリクエストし始めた。全機が最低限の燃料し かないと主張している。当機の燃料は1時間半~2時間ほどフライトできる残量だった。言うまでもなくこのコース変更により、ことは複雑になった。

 やがて管制塔が成田空港は被害を受けたため再開できないと知らせてきた。各機はすぐに羽田への着陸を要請し、6機ほどのJALや欧米機がそちらへ向かっ た。ところがその後で管制塔が羽田も閉鎖したと伝えてきたんだ。おっと、もはやここで待機している場合じゃない、さらに遠方の大阪や名古屋も考えなくて は……。

 大型旅客機の欠点は、そこらの小さな空港にぽんと着陸できないことにある。大きく立派な滑走路が必要なんだ。さらに多くの飛行機が西からも東からもやっ てきて渋滞し、全機がこぞって着陸を待っている状況だ。いくつかの機体は燃料の危機を伝えている。管制塔は圧倒されている。

 この混乱の中、名古屋空港から着陸許可が下りた。燃料はまだ大丈夫だ、なんとかなっている。ところが数分ほど名古屋に向かったところで、管制塔から引き返せとの命令が来た。名古屋も飽和状態でこれ以上の飛行機を引き受けられないと言う。さらに大阪も同じとのことだった。

 もっと遠方へ飛ぶ可能性が高くなり、OKだったはずの燃料はいきなりギリギリの状況に陥った。さらに我々と同じ状況の飛行機が周りに十数機もあり、全機 がどこかに着陸許可を出してくれと脅している状態だ。そこへエアカナダともう1機の燃料状況が「緊急」となり、軍の基地に向かい始めた。東京に一番近いの は横田基地である。もちろん競うように我々もそれに参加した。だが横田から返ってきた回答は「閉鎖」。スペースが無いということである。

 もうこうなるとコックピット内は、さながらスリリングなサーカスとでも言うべきだろうか。副操縦士は無線にかじりつき、私は判断を下しながら操縦、交代 要員の操縦士は航路図に埋もれながら、どこに行けるかアトランタからやってくるメッセージとにらめっこしている。そこで三沢基地を選んだ。本州の北側にあ り、残りの燃料でもたどりつけそうだ。管制塔は大混乱の東京から我々が去ってほっとしているようだが、どうも仙台に送ろうとしていたみたいだ。そこは小さ な地域の海岸線の空港で、津波の被害が甚大なところである。

 アトランタから今度は北海道の千歳空港まで行けるかとの連絡が入り、その他のデルタ航空機もそちらへ向かっていた。我々のコックピット内はひっくり返し たような状況だ「天候確認、チャート確認、燃料確認、OK」。よし、なんとかたどり着けそうだ、これ以上の遅延が出ない限りは燃料は緊急状態に陥らないで あろう。

 三沢に近づくと千歳空港の着陸許可がおりた。重大な決断をするときの考え方が頭をよぎる。飛ばし過ぎた飛行機を、かなり離れた目的地へコース変更。そこでさらに状況が悪くなったら……。安全報告書はどう映るだろうか。

 またもや管制塔から電波連絡が入り指示を待つよう伝えられる。悪夢である。状況は急速に悪化していく。東京上空で待機したあと名古屋へコース変更、また 東京へ、そしてさらに三沢へ。十分だったはずの燃料はどんどん蒸発していく。その後の会話はわかりやすく言い換えるとこのような内容である。
「札幌管制塔へ デルタXX便、至急千歳空港への着陸を要請します。燃料の残量は少なく、これ以上待機できません」
「拒否します。現在混雑中です」
「札幌管制塔へ デルタXX便、緊急着陸を宣言します。燃料の低残量、千歳に直接入ります」
「了解、デルタXX便。千歳に向かうことを許可します。千歳との連絡を……」

 もうたくさんだ。同じ待機パターンに入って重大な燃料問題を抱えてしまう前に、緊急着陸を決断した。このことで会社に書類を提出することになるが、どう でもいい。本当の緊急事態になるまで30分の燃料を残していたが、千歳に安全に着陸した。我々を引き入れたのは空港内の外れにあるへんぴな場所で、さらに 他の数機が舞い降りてきた。結果的にデルタの747が2機、我々を含む767が2機、777が1機、すべて移動式のタラップを取り付けられた。さらにアメ リカン航空2機、ユナイテッド航空1機、エアカナダが2機も降りて来た。もちろんその後いくつかのJALや全日空がやって来たのは言うまでもない。

追記:9時間後にようやく日本航空の搭乗用はしごが届き、飛行機から降りて入国を済ませることができた。しかしそれはそれで、また別の興味深い経験となった。この文章を書いている45分の間にも4回ほど地震の揺れを感じたところだ。