参与がさんよなら
小佐古参与が抗議の辞意 子供の被曝基準「容認できぬ」
http://www.asahi.com/politics/update/0429/TKY201104290314.html
内閣官房参与の小佐古敏荘(こさこ・としそう)・東大大学院教授(61)が29日、東京・永田町で記者会見を開き、参与を辞任する意向を表明した。小佐古氏は菅政権の福島第一原発事故対応について「法律や指針を軽視し、その場限りだ」と批判した。
小佐古氏は会見に先立って首相官邸を訪ね、今月30日付の辞表を提出した。
会見では特に、小学校などの校庭利用で文部科学省が採用した放射線の年間被曝(ひばく)量20ミリシーベルトという屋外活動制限基準を強く批判。「とん でもなく高い数値であり、容認したら私の学者生命は終わり。自分の子どもをそんな目に遭わせるのは絶対に嫌だ」と訴えた。「通常の放射線防護基準に近い年 間1ミリシーベルトで運用すべきだ」とも述べた。
また、緊急時迅速放射能影響予測システム(SPEEDI)による放射性物質の拡散予測が4月下旬までに2回しか公表されなかったことも批判。「今のやり 方は、東京で数字をぼっと決めてやっている」と指摘し、政権の対応について「私がやってきたことからは外れているので、これ以上とどまっている理由はあま りない」と語った。
小佐古氏は放射線安全学などが専門で、東日本大震災発生後の3月16日、原発事故の助言を政権に求められて参与に就任した。菅直人首相は小佐古氏ら計6人の原子力専門家らを次々に内閣官房参与に任命した。
有識者を次々参与として集め、どういう指揮命令系統になっているのかわからない対策会議や本部、チームを次々立ち上げたあげく、この有様である。
有名な参考書を次々買い集めて不安を打ち消そうとしたものの、ちょっと問題に手をつけては、もっと自分に合ったいい参考書があるかもしれないと、また別の評判のいい参考書を探し続けている受験生か。
今回の事態を想定した防災訓練を昨年実施しているのに、何故その手順通りにやらないのか。これを場当たり的と言わずになんと言うのか。
菅総理は、小佐古氏の発言を否定し、自分はきちんとやっている、学者の間で意見が合わなかったから小佐古氏は辞めたなどとほざいている。では、同氏が指摘している通常の放射線防護基準を超えた屋外活動制限基準の設定をどう説明するのか。
同氏の見解を論理的に否定できないのであれば、まずできるだけ安全な基準を採用し、実績を見て徐々に緩和するのが普通であろう。
あとでごめんなさいと言われても遅いのである。
首相を次々交代させるのは日本にとってマイナ
スで、多少問題があっても我慢して経験を積ませて育てるようにしたいところであるが、いくらなんでも資質が酷すぎる。少なくとも一般の企業の社長が務まる
人材でなければ、日本と言う大きな組織の長は務まりません。菅総理のように自分を棚にあげて部下を馬鹿だと罵ったり、原稿棒読みの訓示では社員は誰もつい
ていきません。会社存亡の危機に、部下を信用せず外部からコンサルタントばかり連れてきて、対策本部を山のようにつくって会議ばかりして、その会議の情報
も全然流さないのでは、とてもやってられません。その前の社長も、この会社は社員だけのための会社ではなく、他の会社の人達も働ける友愛の会社にするとか
意味不明のことを言っていましたが、今度の社長も負けず劣らず相当ひどいです。ダメ社長にとってかわる人材がいない会社は終わりですが、幸い社員は優秀なので、そこから社長、経営陣を育てるシステムを早くつくりたいものです。
復興の歌
いきものががりのYELL。東日本大震災の復興の歌にしてはどうでしょうか。
このイメージビデオもよくできているので、「~こだまでしょうか、いいえだれでも」の
見飽きたコマーシャルの代わりに時々流して欲しいものです。
情報軽視
- 第2次大戦では、米国との圧倒的な物量差の前に日本は負けたと言われるが、同じレベルの資源、工業力をもっていたとしても、やはり負けたかのかもしれないと、この本を読んで思った。
- 日本が英語を敵性言語として使用を禁止したのに対し、アメリカは日系アメリカ人を中心に諜報チームを組織し、日本のありとあらゆる情報を収集、分析し、作戦に反映させていた。
- 当時の日本人は世界的にも識字率が高く、一般の兵士でも日誌をつけているものが多かった。今日はどこからどこまで移動した、いつまでにどこどこまで移動する、弾薬が残り少なくなってきたとか、自分では日誌のつもりでも、敵からみれば貴重な軍事情報であった。アメリカ人が難しい日本語など読めるわけが無いと油断していたのかもしれない。
- アメリカ軍は、戦いの都度、戦場に残された日本兵の日誌を収集、分析し、日本軍の作戦行動や作戦パターン、士気などを読み取り、自軍の作戦に反映させた。
- また、日本兵を捕虜にすると、捕虜になったことを日本に伝えると脅し、機密情報を聞き出した。日本兵はどんなに拷問をしても口を割らないが、生きて捕虜になったことが知られ、日本の家族が世間から白い目で見られることの方が辛いことを、日本人を分析していたアメリカ人は知った。
- 結局、日本の暗号はほとんど解読され、日本の軍事情報は、ほとんど裸同然になっていた。
- 逆に日本はアメリカに対する情報収集、分析が不十分であった。というよりも、重要視しておらず、アメリカと同じレベルで組織的に取り組むこともなかった。
- こうした情報に対する姿勢の差が、ハードの差とも相まって敗戦につながったと言える。戦後も、アメリカの占領軍は、戦争中と同様に日系人をつかって情報活動を継続し、占領政策に活用した。
- おそらく今もそれは続いているのだろう。
- インターネットは、アメリカの軍事通信網から始まったが、OSもブラウザもアメリカ企業が握っている。今もどこかで、インターネット上のこうしたブログの情報まで収集して分析している機関があるのかもしれない。
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