編集長の富田志乃です。
最近、
「共感」という言葉をよく聞きます。
これまでは「競走」の時代
これから「共感」の時代
勝っていても、1位を取っても
それだけでは評価されず、
どれだけ多くの人から
「共感」を得られるかが
新時代のリーダーの姿なのだそうです。
一見、優しい時代になったようにも
見えますが、
「なんとも複雑な時代になったなあ」と
私は感じます。
良いか悪いかではありません。
ただ、勉強ができる、勝った、力がある、
仕事ができている
そういう人が1位で、優れていて、
凄くて、リーダーだよね
の方がわかりやすいのです。
勝った人が、
1位の人が、尊敬されるよね
の方が、目標としてシンプルなのです。
しかも、自分が頑張ればよいだけなので、
頑張りとゴールが一直線です。
ところが、「共感」が君臨するための
スペックだとすると、
自分の頑張りだけではどうにもなりません。
「頑張る」ベクトルが、いくつもあるので、
頑張りとゴールがねじれているのです。
目標が定まらない。
目標がわからない。
だからそんな人が
増えているのかなとも感じます。
優しい時代にはなりました。
いろんな人の可能性といろんな人の個性を
尊重するとてもいい時代にはなりました。
でも一方で、迷子になってしまう人も
多いのかなとは感じます。
そもそも「共感される」ことは
つき詰めたら本来はとても難しいはずなのです。
映画やドラマ、音楽、文学などの芸術から
物を売るCMに至るまで、
たくさんの知恵と情報とお金を駆使して
「いかに多くの人に共感されるか」を
追求し続けています。
それでも、共感されないものの方が多い。
表面的な「わかるわかる」は得られても
本質的な「私もそう思う」は
なかなか得られるものではありません。
勉強して偏差値を上がるよりも、
努力して共感を得られるようにする方が
もしかしたら難しいかもしれません。


