コジ コジカこと、いぎなり東北産の藤谷美海ちゃん。
真面目な会議でダジャレを言いたがる、
美形なのにすぐ変顔をしたがる、
真面目な桜ひなの をからかってケンカになる…
そんな子です。
ブログでは、なぜか、テーマに即した簡単な絵を自分で描いて掲載します。
前にも書きましたが、それが結構、ブットビです。
最近のもスゴイです。
まず、9/8の絵。
運動会で台風の目をやった時のです。
棒を持って走る4人の競技者、回転する時の中心軸になるカラーコーン、ぐるぐる走った跡を描いてるのでしょう。
ですが、それらがちゃんとした位置関係で描かれず、適当に配置されて、一部重なったりしています。
走った跡も、実際の正しい軌跡じゃなくて、「グルグル」という感覚そのものを表現しています。
記憶の中心である、競技の主体(自分)、一番注目して見ていた対象(カラーコーン)、回った感覚、
それを、ただ描き、その関係性を切り捨てています。
普通、こんな風に描く人はいませんね。
天才タイプです。
彼女の心の中では、体験の記憶の断片が、論理的関係性の中にきっちりと配置されないことで、
心の中で自由につながり、成長していきます。
普通の人が抑圧している、そういう心の自由を、彼女は生きているのでしょう。
エビ中の廣田さんは、お母さんから、キャンパスをはみ出るように描け、
と言われて育てられたそうですが、
コジカちゃんの絵は、そういうレベルを超えています。
次に、9/12の絵。
イベントで赤い口紅をつけた時のです。
乱雑に赤で塗りつぶした唇と、「あかくぬるのめんどくさい」という文字が描かれています。
何でしょう?
ショッキングです!
唇をちゃんと塗るのが面倒くさいから、乱雑に塗りつぶしたんでしょう。
でも、ちゃんと塗ろうとした跡はありません。
それに、この日のブログの絵は、これで5枚目…。
なぜ、わざわざ、面倒くさいと表現するのか?
それとも、イベントで口紅を塗った時に面倒くさかったのか?
ブログに書いているように、口紅を塗った後、それが他につかないように気をつけるのが、面倒くさかったのか?
いやいや、本人は気づいていなくても、「めんどくさい」には、もっと深い意味があるかもしれません。
彼女は、初めて、真っ赤な口紅を塗って、「女」になることを体験したのです。
自分の中の秘めたる女性性を発見し、
同時に、社会からの、こういう姿の「女」になれ、という圧力を発見し、
アンビバレントな感情を抱いた…
絵には、女性性を象徴する「赤」が大きく描かれています。
だから、彼女は、女性性を拒否していないと思います。
でも、乱雑に塗っているので、
ちゃんと口紅を塗ることが象徴する、社会的な女性像は、拒否しているのではないでしょうか。
男性の私には、分かりませんが…
でも、彼女には、「少女の聖性」の、あまりにも純粋でアナーキーな発現を見るようで、
震えます。
* 「美海」は、社会的な人格を溶かし込む普遍性、「生まれたての子鹿」はそこから飛び出し続ける自由な運動性