先日読んでいた


朝井リョウさんの


「正欲」




読み終わって、なんていうか

衝撃。


自分の思っている多様性はすごく

狭すぎてはずかしくなるような。


どんなに全てを見ようとしても

絶対に無理ですよね。




私は幸いにも、もともとどんなことでも

意外と受け入れるというか、認められる

タイプでした。

意識しているわけでもなく。



なんかすごいことのように聞こえてしまいそうですが、理解出来るわけではなくて

「あぁ、そうなんだ、そんな人もいるんだ」

というくらいの話で、なんとなく反発することもなく、「そういう世界もあるんだなぁ」

という感じの話です。




とは言え、自分のその性の対象を求めることで人に迷惑や心や体に傷を負わせたりすることには、全く共感は出来ないし、時に嫌悪感が心の底から湧き上がってくることはあります。


でも、それって、いわゆる一般的とされている、異性が性的対象だ、という人だって同じことが言えます。

悲しいことにそんな事件はあるわけです。



だから、本にあるように対象が生き物ですらないとしても、それが異常だとは思わないんですよね。

問題は対象が何かではなく、

それでどう行動するか、だと思っています。



ただし、私の想像力では共感できないことが

多々ありますけどね。




そもそも、全てに共感するなんて無理だし、

出来たらちょっと気持ち悪いかもしれません。


私たちはただお互いを

認めればいいんですよね。


そこに共感や賛成がなくてもいいから。



あぁ、言葉にするとなんておもしろくない(笑)


そして、もし自分が嫌だな、と思うのなら

そのまま少し距離を取ればいい。

そんな風に考えています。



私がこんなふうに書いてみると、

きっと結局多様性を認めよう、人それぞれ

なのだから、というよく聞くメッセージに

感じる人もいるでしょうしね。


その文章から何を感じるかは、それこそ

人それぞれです。


いや、伝え方がまだ甘いのかな。



なんていうか、私のはもっと温度低めで

読んでいただければと(笑)





そんな風に言ってる私も、結局は

自分のものさしで周りを図ることは多くて、

認められていると言っても実は

自分の許容できる範囲内のことだけなのかもしれない。


そこからはみ出すものはまだあまり出会っていないだけで、これからやっぱり認められらないな、ということが出てくるかもしれない。


それでも、私にだって人には言えないことや

人と違うかもしれないなということを抱えて生きているということは忘れないようにしたいものです。


人はつい、

「みんなもそうだよね、それ以外は

認められないよね、おかしいよね」

と、周りの人たちと同じ自分を探して

安心してしまうことがあるから。



それ以外を迷惑なものと決めつけてしまうこともあるから。



私も気をつけようと思います。



「正欲」、興味がありましたら

読んでみてください。