4曲目は「Mr.Morale & The Big Steppers」収録、Mr.Moraleサイドの1曲目となる「Count me out」。以前もこの曲については語っているので、そちらも併せてご覧ください。

 

 

まず言っておきたいのが、一聴してバウンジーでノリやすい曲ゆえ勘違いしやすいのだが、ものすごく辛い曲、ものすごくシリアスな曲であるという事。

ライブでも盛り上がる曲ではあると思うけれど、その反面歌われている内容は「俺の家から出ていってくれ、一人にしてくれ」「俺が壊れていくのがわからないのか?」「俺はベストを尽くしたのに、君たちは俺を無視した」など、傷つきに傷ついた挙句の「突破口」として「“自分”を癒す」ことにフォーカスする決意がラップされている。それゆえの「自分を仲間外れにしてくれて嬉しい」というタイトルになっている。

 

これは世間に向けられたメッセージであるので、批評家はもちろん、俺たちファンに向けての言葉でもある。彼はこのアルバムのアートワークやライブで茨の王冠を被っているが、それが何を意味するのかを理解してもらいたい。ちなみにアルバムでこの曲の次はズバリ「Crown」(王冠)という曲だ。

 

 

ファン、とは言うけれど、ケンドリックの音楽というか、ケンドリックにとってファンはその名の通りの存在であっていいのだろうか…?「あーもうこいつの音楽聴くのやめるわ」みたいな。

 

 

自分の大好きなラッパーであるTyler the Creatorも似たようなことを言っていて、彼はリリックや音楽性を初期からかなり変えてきているけれど、自分は一貫してタイラーが好きである。ただ初期のグロテスクで猟奇的なタイラーのスタイルが好きで、いきなりポジティブなメッセージが増えた「Cherry Bomb」で若干ファンが離れた際、彼は「アーティストは進化していくものだ」と言い、変化を望まないファンを責めた事がある。

それ以前にも「Rasty」では「『Analog』のファンはレイプ(Rape)にうんざり、『Tron Cat』のファンは湖(Lake)にうんざり、俺はどうかって?文句ばかりのお前らにうんざり」なんてラップしていて、自分らしくやってるんだから黙っとけ!と言ってるわけだ。

 

※ちなみに「Analog」は女の子に湖でデートしようと誘うメロウな曲で、「Tron Cat」は「Goblin」の作中で数あるタイラーの人格内で一番凶悪な人格として登場したトロン・キャットがラップする(ここでは書けない内容ばかりの)猟奇的な曲。

 

 

タイラーみたくはっちゃけキャラだったら強気に言えたのかもしれないけれど、ケンドリックは「グッド・キッド」としてデビューし、タイラー以上に賞賛、なんなら崇拝されてきたのだから、「生身の自分をさらけ出す」ことは我々が考える以上に難しかったのかもしれない。

 

この曲というかMr.Moraleサイドは世間やファンを責めるような歌詞も多いけれど、それについてケンドリックを責めるのはちょっと間違ってると思っていて、むしろ今まで抑え込んできた色々なものから解放されて、よかったね!と言ってあげるのが正解なんじゃないかと思ってる。

 

 

 

そう、「Mr.Morale~」は旧世紀版エヴァンゲリオンだと思うんですよ。The Big SteppersサイドがTVアニメ版25話26話で、劇場版がMr.Moraleサイド。

 

新劇場版のエヴァって、シンジ君がみんなを救い出したけれど、そのシンジ(というより視聴者?)を救い出したのはマリだったわけじゃないですか。それは今の時代にあった方法だったとは思ってるけれど、自分は旧世紀版エヴァこそ今見られるべきだと思っていて、それこそケンドリックよろしくシンジ君は2話かけて心の中で思考を巡らせて自分を見つけ出すじゃないですか。ほいで旧劇場版では、視聴者を現実の世界に蹴りとばして「お前らで考えて生きろ」って感じじゃないですか。そして「唯一の他人」としてアスカが存在する。

 

…めちゃくちゃ構図が似てると思うのは俺だけ?

 

だとすれば、当時の視聴者よろしく「なんだエヴァの最終2話。ずっと喋ってるだけじゃねぇか、つまらん」「劇場版でしっくり終わらせるのかと思ったけど何だこれ、『気持ち悪い』で終わらせんなや、つまらん」で思考停止するんじゃなくて、もっと考えて、表面的に見るのではなくて、作り手の立場やキャラクターの立場になって考えてみるべきじゃないのかなぁ、と思う。ケンドリックもそれを言いたいんじゃないのかなぁ?

 

 

…ちょっと話が長くなって脱線してしまった感があるので、ここいらでやめときますか。とにかく、「心して聴け」という事でございます。