後でこのことを振り返るとやけになり過ぎていたな苦笑いを浮かべるのだった。 翡翠も溶けてなくなり夕方となり、まぁ味立ても出来て尚飛翔とする暁には何にも混じり気の無い風が浮かんで怠惰な日常を絶えず流して居た。こんなことになるなんて‥。もっと会話でもして居れば良かったのかなと思って居た。悶々とする尋常で無い何かが渦巻くのだけれど闇夜に生ずるのは小さな夜景だけで、物質とは何かと染み染みとして仕舞うのはこの辺りの癖であった。世界のことや宇宙のことが解明出来れば良いのに。と思うすがら何故解明せねばならないのだろうと懐疑するのだが、快諾したいので研究は止まなかった。甲斐甲斐しい旅へと連れ出す思想は手持ち無沙汰であり何人も立ち入ることは出来ぬ間々、やはり非常とし、ありにも角にもお着物を着て居るなんてのは冗談で絶対などと云う物を見つけようとするのであるが、中々に上手くイカナイ。

 

 こんな事ばかり続けて居ては日が幾つ有っても足りない。死の前後に変わったことはないか探したりもするのだが、妙ちきりんな事に何も変わった事等ないのだ。それこそ彼奴らしいと言えばそうなのだが、彼奴は死を創り上げた。一つの死とを記念物のように構築したのであった。まさしく芸術たるなんて表彰に値するだろう。現に悩ましい種は親族のみならず友人各所に波及しており何らかの反駁を期待して居るのだが、「いや、そうじゃない。」と云えるだけの技量を誰も持っては居なかった。虚しいのは両親で実際、長々と電話したのは1年前で家を出てから1年間連絡はスマホのメッセージだけだったのだ。たまにお互いの写真を送りあったりするのだが余りにも何の予兆どころか知久自身から両親への心配ばかりして居たので逆にそんなことはよしなさいと言わんばかりであったのも無理は無い。何か伝言か死者からのメールじみたものでもあればこの2人の儚い希望は満たされるかもしれないが、誰も助けることは出来なかった。赤月はそんな2人を見やって助けようと苦心したものだったが、苦心するだけ苦心して後には何も出来ないと気がつくのがオチであり親戚一同何かとあれば知久は明るく生きていって欲しいだろうという妄想や想像を現実のものだと固く信じており、そこに漬け込むような真似は出来なかった。知久の生前の明るさや無鉄砲さに救われたのは遺された遺族達だった。彼が遺したのは希望だった。

 

 

 

続く