習慣から来る映画嗜好
月曜5限出ていますか?今年退職されるのだそうです。多分この何十年間かけても言い切れなかっただろうさまざまなことを言っています。そのようなことを当ても無くノートに書きとめていっていたある日の授業、とても興味深いことを先生は言ったのでした。
価値観は習慣によって作られる。
そ、確かにそうだ。なぜならこの命題によって私の体験も上手くまとめられるのです。ヤン=シュワンクマイエル作品を見たことがありますか。99年の春休みに川崎市民ミュージアムでのアニメーションフェスティバル、それからユーロでヤン=シュワンクマイエルまつりなるものがあって一度に大量の作品を目にしました。初めの印象はとにかくネクラな奴だと思っただけ。確かにその世界観はなかなか作れないものだからとりあえず映画史上保存されるべき物だと思ったけれど、個人的には思い入れなかったよ。とくに「悦楽共犯者」なんかさ、欲求不満なやつがこうなるんだろうなあ、と思ってみてた、それだけだった。なのに最後に「ファウスト」を見た後、いくつかのシーンが頭から離れず、そうするうちに今までの作品をスゲーいいよとか思い始めたのです。だから、どうしたかなあ、とずっと考えていたのでした。でもすぐわすれていた。そうしたら先生が上のようなことを言ったのです。
つまり、
映画の好みも習慣か。
つうことなんよ。
ということは…、私のいままでの好みも習慣から来てるということなのかな、全然意識していなかったが。「ねじ式」な生活送ってるわけじゃないのに。 考えるのが面倒くさくなってきた。
思うに私の映画をめぐる体験は色々な変遷をたどってきました。小学校まで、隣の家が歩いて5分以上離れているようなところに住んでいました。趣味がてらにビデオをとって、NHKの我が町だよりのコーナーに出すのだけが生きがいみたいなおじさんがいてほそぼそとレンタルビデオを(非合法で)やっていたので、父親に温泉帰りに車で10分くらいかけて行ってもらって、借りていました。ドラえもんだけは全シリーズそろっていて(多分おじさんの子供のせい)全部見た。それからうちの家族がコメディ好きなのと笑って嫌なことを忘れようとする風潮があったので、「ポリスアカデミー」シリーズも全部見ました。ほかに映画に触れた機会として隣の県に住む親戚のお兄さんにたのんで少林寺シリーズを観ました。ビデオデッキはあるのに誰一人として録画の仕方が分からなかったので(わかろうともしなかった)とにかく暇な時はその少林寺ビデオを観ていたものです。後は、父親に無理につれられて、映画館で「ランボー」を観ました。その時は父親のズボンに鼻血を出したのだけ覚えています。中学・高校は、映画には全く興味がありませんでした。観るとしても友達の付き合いとか家族団欒の1手段でした。では何故今のようなわたしがあるのかというと、やはりね。塚本晋也に出会ってしまったからです。高3の秋でした(恋の秋だよ)。これの出会いは不純なものでして。竹中直人が好きな私は、「東京フィスト」にでているからという理由で観たのでした。
結局これが言いたかったのかな。聞き飽きている人には申し訳ない。すみません。でもこの人の作品をみていなかったら、例えば塚本晋也ではなくて岩井俊二だったら、ロメールだったら、ヴェンダースだったら、キアロスタミだったら……。また違う自分がここにいるのです(言い切り)。
今まで作られた映画をすべてみることなどぜったいありえないので、観ることがない映画はたくさん存在するのだと思うけれど、そしてこれからの私の好みもかわっていくのだろうけれど(塚本晋也が好きだった時代があったなあ、と思っていたりして)、運命主義者の私としては、
それでいいんだよ… と言い放ち、これから観る映画のことを予感している毎日なのであります。
こんな晴れ晴れした気持ちにさせてくれてありがとう、永井先生。
さようなら。
補遺:永井先生とは、当時、人文学部にいらした永井先生です。当時、一般教養の授業で、カミュの『異邦人』や大江健三郎を読んでいました。とても好きな授業でした。退官の年に合わせて書いた拙文です。